ポケモンが根底に持つ「幼稚さ」
私はBW/BW2をプレイしていないので、作品が提示した回答について口を挟む権利を持たない。ただ、ポケモンが「自分の世界を崩さず、自我同一性を崩壊させない範囲での回答」しか出せない事は、もう当に分かっていた。それがポケモンの限界であるとも。
2013-04-30 01:37:18ポケモンというゲームは、ポケモントレーナーがポケモンの上に立つこと、ポケモンを使役することを認めることにより成立する。それは、現実世界では奴隷制や一方的な支配にも見えるが、ポケモンの作品世界は、事実これで成り立っている。
2013-04-30 01:39:31それを否定すれば、ポケモンの作品世界は容易に崩れるだろう。その像を示すのに「アニマトリックス」の「セカンド・ルネッサンス」の如き残虐無比な破滅の画を用いるまでもない。ポケモンの世界は、ポケモンとトレーナーの関係をナンセンスと笑うだけで、静かに、だが跡形もなく崩れるのだ。
2013-04-30 01:42:07ポケモンとトレーナーの関係は、「ご都合主義」だ。ポケモンはトレーナーを無条件に信頼し、トレーナーはポケモンとの関係を、良好であると確信して使役する。それは「ご都合主義」の何物でもない。だが、その「ご都合主義」が、残酷にも見える無邪気なお互いの関係が、ポケモンをポケモンにする。
2013-04-30 01:44:40だが、このご都合主義は、ポケモンの「幼児性」故なのだろう。「どんなポケモンでも、モンスターボールひとつあれば自分のいう事を聞いてくれて、自分は何でもできる」という、幼児的な万能性の世界。それがポケモンの核にあるもので、それを意地悪に言えば、故首藤氏やPETAの主張になる。
2013-04-30 01:48:42モンスターボールとは、仮面ライダーにおける変身ベルトのようなものなのだ。モンスターボールでポケモンを捕まえた途端、少年はヒーローになれるのだ。ポケモンを従えたヒーローに。
2013-04-30 01:50:55ポケモンとは、その意味では、ランプの精的な存在と言い換えることもできる。どんな願いでも叶えてくれる・・・という程ではないにせよ、持ち主が自由に使役でき、また持ち主に力を与えてくれる存在としてのポケモン。
2013-04-30 01:53:08その「力」で何でも出来る、ポケモンがいればヒーローになれるし、リーグのチャンピオン・・・何かのナンバーワン・・・になれるし、どこにでもいける。そういう「万能性」を与えてくれるのがポケモンで、トレーナーはポケモンを自由に使役する。
2013-04-30 01:56:08それは幼児性の一種だろう。子供の空想、あるいは夢想。ウルトラマンや仮面ライダーにあこがれるように、ポケモントレーナーをロールプレイすることでなれる、万能の存在。「ボクはなんでもできるんだ」を、ポケモン達と、モンスターボールが叶えるのだ。
2013-04-30 01:57:29努力値だの個体値だのといったゲームシステムとプログラムのカーテンを引き剥がせば、そこにあるのは「子供がポケモンの力で、何でもできる世界」なのである。ポケモンとは何と幼稚な世界か。だが、その幼稚さこそがポケモンなのである。
2013-04-30 02:00:37その幼児性を意地悪に解釈し改変すれば、PETAの叫ぶような「ポケモン解放」になり、或いはフランケンシュタイン・コンプレックスめいた悪夢となる。だが、それはポケモンの幼児性に対する意地悪な大人の「たしなめ」であろう。
2013-04-30 02:05:48それよりも、やがて子供が「ポケモンの使役とモンスターボールが与える万能性」に飽きる事の方が重要ではあるまいか。あるいは、その万能性に・・・「全く違う理由が付与され、信仰となること」の方が余程重大な問題である。
2013-04-30 02:09:15そう、ポケモンとは、ポケモンの世界とは、「幼稚」であるが故に、いつか離れる世界なのだ。ポケモンは自分達の「主人」が、そっと次の世界に行くのを見守り、そして大人になって帰ってきたのならば、それを迎え入れる。
2013-04-30 02:13:40「ドリョクチ」や「コタイチ」等という数字が、ゲームのシステムが縛ってよいものではない。ポケモンの「幼稚」は幼稚なものでしかないのだ。同時に、その幼稚は、子供達に許された領域である。あるいは、「全てのかつて子供だった大人」に。
2013-04-30 02:19:17ポケモンは幼稚だ。でも、その「幼稚」について、自分がポケモンに求めた「幼稚」と、ポケモンが持ってる「幼稚」では、少し開きがあったかもしれない
2013-04-30 02:34:03ポケモン自身の「幼稚」は、「ポケモンを使役してなんでもできる」幼稚、ポケモンが使い手に万能性を与える幼稚である
2013-04-30 02:36:23自分がポケモンに求めた幼稚は、「ポケモンとともだちになりたい」ような、万能性よりも、更に幼児的な「幼稚」だった。
2013-04-30 02:37:38そう考えると、ポケモンが自身で持つ幼稚は、もう少し高年齢の児童が反応するような幼稚さかもしれない。ある意味、ビデオゲームやTCGが与えてくれるような「自分ってすごい」「自分って何でもできる」という感覚。
2013-04-30 02:40:50対して自分が求めた幼稚さは、「ポケモンでなにかする」ではなく、「ポケモンと一緒にいたい」「仲良くなりたい」というものだった。移行対象的であり、「実体をともなうイマジナリーフレンド」とも言えるような。
2013-04-30 02:43:45