将棋・電王戦について

趣味です。
1
金子 友也 @yuzo_kongouriki

プロ棋士ってのは尋常ではない対価を払ってたどり着く覚悟の聖域。そこに機械が紛れて力でねじ伏せ、心をねじ切って奪うだけ奪って行った今回電王戦/「人間対コンピュータ将棋」頂上決戦の真実 via http://t.co/ErNNUlwf88 http://t.co/xyQDJCcFiY

2013-04-30 08:25:12
金子 友也 @yuzo_kongouriki

電王戦の衝撃と同様のものがチェスのカスパロフvsディープブルーの時も世界であったのだろうな。いや、あれは世界チャンピオンに勝ったのだから、もう少しセンセーショナルだったんだろうな。羽生さんが負けるイメージだろうか。

2013-04-30 09:02:21
金子 友也 @yuzo_kongouriki

コンピュータvs人間で、コンピュータが勝つということを繰り返していった先には実際どんな世界が待ってるんだろう。例えばサッカーゲームで昔の伝説の選手が使えたり、世界最強のオールスターチームが相手だとかいう、その感覚とは次元が違う訳で。

2013-04-30 09:06:34
金子 友也 @yuzo_kongouriki

世界最強の選手の設定とか人間とか抜きに、ただ単にプログラムの限界値で用意された敵になんて、勝てっこない。そんなゲームは誰もしないだろう。ゲームだってプログラムで目指すは人間のドラマや擬似の筈だし、それが面白くてみんなゲームをやっていると思う。

2013-04-30 09:11:06
金子 友也 @yuzo_kongouriki

敵はスキルの数値が限りなく無限で選択ミスなし。感情も姿もなし。これに勝て!っていうのだから、もうコンピュータを破壊する他ないように思う。やり方というか、土俵が最初から破綻してる。しかし、コンピュータに勝つこと以外の意味を見出せるようにプログラムするのは、まだ遠い遠い先の話だろう。

2013-04-30 09:19:28
金子 友也 @yuzo_kongouriki

そもそも人が将棋を強くなることに実益はないが、意味や価値はより大きなものにして捻出し、見出している。確か羽生さんはある時から「勝つためだけの将棋をやめた」と語っていた。ベテラン勢がお爺ちゃんになってもひたすら勝負に向かう姿に将棋の機微や面白さを再発見し、戦い方が変わった、と。

2013-04-30 09:51:21
金子 友也 @yuzo_kongouriki

それから意味不明な冒険の手をわざわざ指すようになる。例えば相手が仕掛けている罠を知りながら、わざとそこに攻め込み、そしてその中から新しい手や新しい局面に出逢おうとする。羽生さんは将棋をこの頃から人と人で生み出す表現の領域に持ち込もうとしているように僕には見える。

2013-04-30 10:00:09
金子 友也 @yuzo_kongouriki

ニーチェは、人はラクダ(こうしなければならない)から、獅子(こうしたい!)になり、最後は幼子(真っ白な世界で夢中に楽しむ!)に至れー!と言っていたが、羽生さんはその頃から幼子の精神にたどり着いたのではないか。相手や局面がなんであれ、将棋から知れることをすべて愛するような、境地に。

2013-04-30 10:14:10
金子 友也 @yuzo_kongouriki

コンピュータが強くなり続けた先に無敵無敗の姿があったとして、そのコンピュータの強さが生み出す結果・表現は、もはやそういう羽生さんや様々な棋士たちが築いてきた強さの本質を問い続ける行為から道を踏み外し、目指すべき強さを履き違えた怪物・狂気に飲まれた邪悪なものでしかないのではないか。

2013-04-30 10:49:35
金子 友也 @yuzo_kongouriki

勝つことは答えを求める行為で、強さを求めることは問いかけを求める行為なのだろう。全然意味合いが違う。今後ジャンルを超えて普及するであろう電王戦はそういう本質を違えたもののすれ違いでしかないことを前提に見るべきなのかもしれない。負けた棋士の方々の今後の益々強くなった姿に期待します。

2013-04-30 11:10:18