富士山世界遺産と三保松原:登録か保存か
三保の松原のある三保半島は「砂嘴(さし)」という地形である。海岸流による土砂の移動と堆積でできる。その形成は西側にある安倍川の土砂供給と密接に関連している。地震や大雨によって安倍川の上流で大規模な崩壊が起き、河口から大量の土砂が供給されるたびに少しずつ成長してきたと思われる。
2013-05-03 09:23:58続)たとえば安倍川の源流に大谷崩(おおやくずれ)という大規模崩壊地がある。ここは1707年宝永東海地震によって崩壊したと考えられている。大量の土砂が安倍川上流の谷を埋め、せき止め湖が2つできた。そのうちの一つは明治初年まで残っていたことが知られている。
2013-05-03 09:27:54続)大谷崩ほど大規模でない事件もたびたび起きてきた。1828年と1914年に起きた安倍川の大洪水も、大雨による中流域のせき止め湖の形成とその崩壊に起因する可能性が示唆されている。静岡市街のある安倍川扇状地や三保半島はこうした土砂供給によって作られてきたのである。
2013-05-03 09:33:46続)こうした洪水を防ぐために安倍川では大規模な砂防・治水工事が国の直轄事業としておこなわれてきた。そのおかげで静岡市民は洪水に悩まされる生活から開放された。しかし、皮肉なことに海岸への土砂供給量が著しく減ったために、静岡から三保にかけての海岸は浸食に悩まされるようになった。
2013-05-03 09:37:10続)たとえば久能海岸の自動車道は高波のたびに崩壊し、よく通行止めになった。今では安倍川河口から三保半島の先端まで消波ブロックが断続的に設置され、ブロックが設置された場所には徐々に砂が戻り、砂浜が成長し始めている。こうした背景や経緯をまず知るべきである。
2013-05-03 09:41:55続)つまり三保の松原は海岸浸食によって破壊される寸前であった。それが消波ブロックによって守られ、徐々に砂浜が回復しつつあるのだ。イコモスに言われたからといって消波ブロックを撤去するという発想はあまりに安易である。
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