
WTC第1ビルの106階で金融会議に出てた先輩。あの日、打ち合わせから帰社するなりビルに飛行機が刺さったTV映像を見た私は、なんかの映画のロケ?とかのほほんと思っていた。それがLIVEのニュース映像で作り物ではないとわかってからも、それは対岸の火事だった。あのメールが来るまでは。
2010-09-11 18:50:27
彼は高校の部活の先輩だった。6コ上なのに仲良しだったのは、あの部がタテのつながりが強くて合宿や行事ごとに先輩たちがよく遊びにきてくれたから。卒業して上京してからも、そのつながりはずっと切れずに1年に2、3回は必ず会って遊んでもらっていた。
2010-09-11 18:54:45
彼の奥様も同じ部活出身だったから、報道とはまた違うもっと生々しい情報がメーリングリストに逐次流れてきた。待つしかできない私たちはネットを血眼で探し回って被害者の名前を列挙したサイトに辿り着き、そこで先輩の名と「injured」という表記を見つけ「生きてる!」と歓喜する。
2010-09-11 19:06:41
NYで先輩が滞在していたホテルに遺された私物以外に彼の痕跡をみつけられないまま奥様が帰国し、3か月。明けて2002年1月、国からWTCで被災したまま行方不明となっていた邦人の死亡宣告が出される。
2010-09-11 19:12:30
2002年2月、先輩の「お別れ会」がホテルの1室で開かれた。生存情報も遺体もなくて宙ぶらりんな私たちは、それでも優しい微笑みをたたえた先輩の写真に花を捧げた。
2010-09-11 19:18:58
「お別れ会」からほどなく、先輩の遺体の一部が発見されたとの報を受け、奥様がNYに飛んだ。ショックで悲しくてたまらなかったけれど、同時に安堵もした。ああ、見つかってよかった、帰ってこられてよかったね先輩。
2010-09-11 19:28:25
2004年、奥様のもとに、先輩がしていた結婚指輪が見つかったとの連絡が入った。あれから3年が経っても遺族のために確認作業をし続けてくれている人たちがいて、そのおかげで先輩の大切なものがまた1つ日本に帰ってくることができたのだと、胸が熱くなる。
2010-09-11 19:37:27
何年経っても、先輩の歳をこえてしまっても、先輩はずっと尊敬できる優しくてかっこいい先輩のまま私の中にいる。迷ったときは空を見上げて先輩にちょっとだけ相談したりする。いつも頼ってばかりでごめんね先輩。これからもよろしくね。
2010-09-11 19:43:30