- Yukarin_7TP
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大東亜戦争開戦時、無敵とも言われた日本海軍機動部隊。その中の第1航空艦隊の旗艦が空母赤城です #purauda http://t.co/EUDLSs4qKx
2013-05-05 21:13:58巡洋戦艦として生まれるはずだった赤城、赤城の運命を大きく変えたのは起工から2年後のワシントン海軍軍縮条約でした。 #purauda
2013-05-05 21:19:32巡洋戦艦天城型の設計図。長門型の高速版と言える。 #purauda http://t.co/Ecd2jxEgJ9
2013-05-05 21:23:02しかしこの条約では、基準排水量3万3千トン以内(本来は1艦2万7千トン以内)であれば、2隻のみに限り大型空母の建造が認められていました。 #purauda
2013-05-05 21:25:49そのため、赤城は廃艦されず空母として建造されることになります。なおこの時、同型艦の天城も同様に空母化されることになっていましたが関東大震災による損壊で建造中止。代わりに廃艦予定だった加賀が空母化します。 #purauda
2013-05-05 21:28:42この条約により、アメリカは初の巡洋戦艦レキシントンを空母に改装。その後巡洋戦艦は建造しなかったので、アメリカは巡洋戦艦を持たなかった。 #purauda
2013-05-05 21:29:38ちなみに赤城が巡洋戦艦になっていたら...こんな感じになります。 #purauda http://t.co/ygnDyRSUVQ
2013-05-05 21:32:06巡洋戦艦として建造中だった赤城は、すでに船体下部が完成している状態だったため、格納庫や飛行甲板といった改造を行うだけでした。 #purauda
2013-05-05 21:34:09当時、空母という艦種の形態は手探りの状態でした。日本がこの時に保有していた空母は鳳翔でした。鳳翔は実験的な要素が強い艦であり、より大型の空母を建造するのは初めてのことでした。 #purauda
2013-05-05 21:38:17@purauda1 当時日米は英国に空母設計図の提供を求め、アメリカは全通空母のイーグルを参考にしたが、日本には当時主流で、巡洋戦艦改装と共通点のあるフュリアスを提供した。 #purauda
2013-05-05 21:47:39それは、建造当時の赤城が三重の飛行甲板をもっていたところに見られます。フューリアスは二重甲板です。ほかにも日本空母が英国空母を範とした所は、閉鎖式格納庫などです。 #purauda http://t.co/t4F9Anwr9l
2013-05-05 21:47:52この三重飛行甲板は実用的ではなく、最終的に一枚の全通型の飛行甲板になります。二層目、三層目の甲板は格納庫のスペースとして使われ搭載機が91機と多くなっています。 #purauda http://t.co/UCSPYj6TWO
2013-05-05 21:50:26飛行甲板を持つ空母にとって、煙突の配置は気流を乱して航空機の発着を邪魔しない点で重要ですが、赤城は初めから舷側煙突方式になっています。さらに巡洋戦艦の名残として20センチ砲を装備していましたが実用性は怪しいところ... #purauda
2013-05-05 21:52:52