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一ゲーム制作者の立場から『Angel Beats!』を考えてみた

2010/09/11 ロフトプラスワンで開かれました『オタク大賞R8』に行ってきました。その後、モヤモヤしていたのが自分でも納得できる形にまとまりましたので、メモ代わりに残しておきます。 講演でも前田久氏が、「『AB!』の良さは、准度100%なところにある」と仰ってましたが、それを単なる信者発言ととらえるのではなく、そこに普遍的な意味がありうるか自分でも考えてみたところ至った結論です。 一制作者が他人の作品に必要以上に言及するのは避けるべきとは思いますが、単純に「よくわからんが売れている」だけで済ましてしまうのはプランナーとしてはどうかと思ってましたので、おかげでスッキリしました。これで僕も成仏できそうですw>前田久氏
アニメ ゲーム Angel Beats! シナリオ
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小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
「オタク大賞R8」 行ってきた。麻枝信者の前田久氏が『AB!』を語るという趣旨の講演なので、聞いているこちらも幾分古典落語で言うところの『酢豆腐』を楽しむ心持ちになるのはやむを得ないが、そのあたりは残り3方のトークバランスもあって、ちゃんと芸になっていたのは見応えがあったと思う。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
その前田氏にしても、ガルデモの空気っぷりに関してはフォローの理屈が思い浮かばなかったとのことで、ちと残念。ここは『毒を喰らわば皿まで』の勢いでキレた意見をぶちかまして欲しかったかな。入場料と酒込みで5000円ほど払いましたが、なかなか面白い集いでした。ライターの皆様、お疲れ様です
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
昨日の『オタク大賞R8』で聞いた話で一番面白かったのは、確か志田氏の発言だと思うが「第10話の脚本を読んだが、意外と書き込まれていて情緒深かった」というくだり。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
この発言自体にそれほどの事実誤認はないと思われるので、このことから思うのは、まさにビジュアルノベル形式のエロゲーにおける『テキスト』と、それ以外の映像作品における『シナリオ』、さらには通常のゲームにおける『テキスト』に求められる要件は本当に別物なのだということだ。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
ものすごくざっぱな分け方をしてしまえば、ビジュアルノベル形式のエロゲーにおける『テキスト』は例え冗長であっても『長い』ことが売りになっており、しかもその長さを最大限使った情緒の出し方が市場的に求められている感がある。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
一方、それ以外のメディアでは、大抵必要な尺というものが事前に決まっており、ライターはその尺の中に十分の収まるように内容を詰め込むことが要求される。その究極の作法がシド・フィールド流のハリウッド式シナリオ術だ。映像作品向けのシナリオは、極力この方式にならったほうが分かりやすくなる。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
通常のゲームの場合、求められるテキストはゲーム内のリソースとしてのテキストである。それはストーリーのある場合でも同じで、そのテキストはしばしば音声リソースに結びついている場合がほとんどだ。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
ゲーム向けテキストの場合、シド・フィールド流のテクニックは必ずしも必要ではないが、それでもそのテキストが音声リソースと結びついている場合、どのくらいのテキスト規模になるかはメディアの収録容量との兼ね合いで事前にある程度決まっているので、無制限に冗長なテキストを書くわけにはいかない
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
したがって、通常のゲームにおける『テキスト』でも効率よく演出をするために、その必要な尺に収まるようにエピソードを配置すべくライターに工夫をしてもらうことになる。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
実際、僕の作っているゲームでも、オチまでの完全なプロットを作成した後、各ファイルに何を書くべきかの詳細な構成表を作り、平行してシナリオフローを作成する。このフローを作成する最中に全てのフラグ、必要なイベントの配置、新たにプログラムが必要な演出命令等は全部発注されるので(続く)
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
事実上、シナリオフローが完成した時には、ディレクターの頭の中ではほぼゲームは完成していることになる。後は実際に仕上がってきた素材を組み込みながら、調整していくのがメインの作業となる。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
さて一方、映像作品としての『シナリオ』に求められるのは、各台詞の内容や言葉回しのクオリティの高さはもちろんだが、それ以上に重要なのは客がそのストーリーを理解できるように、各イベントが十分に配置されているかどうかだ。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
文章で読んだときには十分情緒があったものを映像化した結果、その情感が十分に出ていないというのは、おそらくシナリオ上でその情感を伝えられるだけの十分なイベント配置がなされていないのと同時に、そのイベントに十分な尺が振り分けられていないからではないか、という推測は容易にできる。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
実際、『AB!』10話を見終わってポカンとするのは、よく言われている「結婚してやんよ!」のくだり以上に、冒頭の焼却炉の前で音無と奏が次のターゲットとしてユイを選ぶくだりと、結局のところこの回でユイはこの世界を去るにも関わらず、後半一切のガルデモパートが出てこないことである。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
おそらくこのエピソードがそれまでのKeyのゲームでの場合のように、10時間を費やして語られていたとしたら、アニメ脚本とまったく同じ構成であってもユーザーは納得した可能性が高い。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
何故かと言えば、10時間このネタを続けられた時点で、そもそもユイがガルデモに賭けていた意味はユーザーの頭から消えてしまい、むしろユイのために「10時間以上も」一緒に過ごしてやった音無(=プレイヤー)との歴史のほうが、プレイヤーにとっては価値あるものにすり替わるからである。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
そういう意味では、「ユイがガルデモに寄せる生き甲斐」というのはあくまで「設定」であって、それは作り手側がユーザーに押しつけるものとも言える。それに対し、「ユーザーがユイと過ごす10時間」は例えそれが単なるバッティング練習であっても、目の前で繰り広げられた確固とした「経験」だ。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
通常ならこの「設定」の十分な説明をする中で、その「設定(あるいはキャラの初期状態/超目的と言っても良い)」が最終的にどのような結末を迎えるかを描ききることが「物語」作劇の中心にあるのだが、(続く)
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
ここでそのような「設定」の説明に時間を費やす以上にユーザーとの「経験」を重視し、その積み上げてきた「時間」を担保とし一気に押し切ることで感動を誘うというのが麻枝作品の根本だとするならば、確かに一定の尺があるアニメ作品として最初に商品化すること自体にムリがあったのは否めない。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
なるほど、そう考えると2ちゃんなどでよく議論になっている、『AB!』に対する擁護意見とアンチ意見がまったくかみ合わないのも理解できる。その両者はどちらも正しいものであり、どっちがより優れているとは言い切れないからである。むしろ分野が違う議論を同時に俎上に載せてはいけないだろう。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
そういう意味では、徹底的に麻枝信者の立場を貫いて『AB!』を擁護した前田久氏は十分その仕事をしたのだろう。少なくとも、彼の言っている矛盾点に対する回答は説得力はなかったが、彼が何故そう感じてしまうのかを通じて、『AB!』が好きな人の感じ方を理解することが出来たのは収穫だった。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko
そう考えると、『AB!』のアニメ化で一番よいやり方は、朝のNHKの連続TV小説形式だったのではないか? つまり15分枠を月~金連続で延々1年間やるという方式である。僕の勘では、おそらくこの形式が麻枝脚本には一番あっている感じがするのだが、どうか?

コメント

小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko 2010年9月12日
サン=テグジュペリの傑作『星の王子さま』に次のような言葉がある。「あなたがその薔薇を大切に思うのは、あなたがその薔薇に時間を費やしたからだよ」 Twitterの140文字では十分書ききれなかったが、ユーザーとキャラクターとの間に繰り広げられる「経験」をより重視し、そこで積み上げられてきた「時間」を担保として、一気に押し切るという手法が有効なのは、まさにこの言葉が表している通りだ。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko 2010年9月12日
そう考えると、何故『AIR』にとって『DREAM』編が必要であったのか、そして長い『SUMMER』編を経て、『AIR』編においてその過去の経験を、今度は一切プレイヤーが手を出すことが出来ない立場で見守ることになり、そしてその見守り続けてきたキャラクターが昇華される瞬間に、プレイヤーが何を感じ、そしてその経験を後にどのように伝えるのかは想像に難くない。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko 2010年9月12日
つまりプレイヤーがそこで経験するのは、コンピュータ上で繰り広げられるものであっても、それは間違いなく『愛』のひとつの形である。『泣きゲー』のテキストの長さにそういう意味があったということを発見できたのが、個人的には今回の一番の収穫だった。
望月茂 @motidukisigeru 2010年9月13日
おっしゃるとおりと思います。ノベルゲームで「毎日幼なじみが起こしに来る」というワンパターン展開が10日続いたあと、11日目に来ないと、ものすごく大きい欠落感があり、そうしたギミックが重要に使われています。これは、ハリウッドムービーや1クールアニメでは無理な、連ドラとかの文法ですよね。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko 2010年9月13日
>連ドラとかの文法  そうですね。その中でも特に横道にそれる余地があり、しかもそれたこと自体が評価に繋がりやすい、朝の連続TV小説形式がベストかという結論に至った訳です。今の若い皆さんは直接見たことはないかもしれませんが、『おしん』とかそれまくりでしたから。
kuz_a @kuz_a 2010年9月13日
最近の1クールおよび2クールアニメでたまに感じた 「なんかもったいない」の一つの解答を見た気がしました 勉強勉強
kartis56 @kartis56 2010年9月13日
悪く取れば、尺が短いために描写不足になった。ととれますが、初期の15分一話のうる星やつらでも起承転結うまく収めることが出来ていたわけです。30分かけてできないのなら、それは脚本が悪いとしかいえないのでは。
fukus @fukus 2010年9月13日
放映見てて思ったのは「ああこれ3週目なんだな」って 1週目:メインヒロイン達 2週目:サブヒロイン達 3週目:天使ちゃん 2週目まででサブキャラ達の過去も明かされていって、3週目で真の謎が解き明かされる!!ってやつ。
小林信行 Nobuyuki Kobayashi @nyaa_toraneko 2010年9月13日
初期の15分1話形式の時の『うる星やつら』ですが、当時『うる星』のプロデューサーをやっていらした落合氏が、「当初の15分1話構成では、エピソードを収めることに汲々としてしまって、情感というものがなくなってしまった。それではいけないので、特別編を挟んでAB2パートで1話にする体制に組み替えた」というようなことを、後日『僕のプロデューサー駆け出し日記』という本で書いていらっしゃいますよ。なかなか手に入りにくいとは思いますが、機会がありましたら読んでみてくださいね。
カズナリ @kazunari2022 2010年9月13日
KanonもAirも文章が冗長すぎてイマイチだったけど、AB!はそれが無かったために楽しめた自分はマイノリティですか、そうですか
S.Antonino @shimole 2010年9月13日
ああ、ヱヴァ破のアスカの扱い、というかこれまでの新劇場版の流れに感じるものも似てるかも。26話分の時間を積み上げられるTVシリーズと劇場版の違い、日常パートに割ける時間がまるで違うから。TV版ではレイとアスカ双方をある程度日常描写出来てたけど、劇場版はおそらく選択と集中でレイに絞ってる(それでも最小限)。
bibi @BBbulletB 2010年9月16日
せっかく積み上げた10時間の最後を持っていくのは主人公ではないので 連続ドラマ形式でもやはり無理があるのではないかと。