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黒井丸@九州歴史研究会 @gokutubusi354
農民視点から見た三国志だと劉表と劉禅は以外と評価が高そう。西の京都と呼ばれた大内時代に通じるものとかないかしら?そういえば信長が統治してたときの農民の評価ってどんなのだったのかしら?
お菓子っ子 @sweets_street
信長は農村の統治にはあまり興味がなかったと言われてますね RT @gokutubusi354 農民視点から見た三国志だと劉表と劉禅は以外と評価が高そう。西の京都と呼ばれた大内時代に通じるものとかないかしら?そういえば信長が統治してたときの農民の評価ってどんなのだったのかしら?
黒井丸@九州歴史研究会 @gokutubusi354
@sweets_street 商業では色々政策の記録が有りますが農業の話は聞かないですね。兵農分離という形で兵役から離してはいるから意外と農民には嫌われてはいない気がしてきました。有難う御座いますm(__)m
お菓子っ子 @sweets_street
そもそも、信長の兵農分離というのが怪しいので…(´・ω・`) RT @gokutubusi354 商業では色々政策の記録が有りますが農業の話は聞かないですね。兵農分離という形で兵役から離してはいるから意外と農民には嫌われてはいない気がしてきました。有難う御座いますm(__)m
カニ高専 @masau0519
都市を基盤とする政権と言う意味では、室町幕府を継承してますね“@sweets_street: 信長は農村の統治にはあまり興味がなかったと言われてますね RT @gokutubusi354 農民視点から見た三国志だと劉表と劉禅は以外と評価が高そう。西の京都と呼ばれた大内時代に通じる
お菓子っ子 @sweets_street
農村を直接掌握できないから、都市を財源にせざるを得なかったですね。とても中世的です RT @masau0519 都市を基盤とする政権と言う意味では、室町幕府を継承してますね
カニ高専 @masau0519
農村部と言う海に浮かぶ島(都市)しか制圧出来ない、という日中戦争の日本軍か、南ベトナムの米軍の様な状況では、本能寺が無くともいずれ瓦解していたのでは、と思います…“@hiroki71: 信長の検地は指出検地だしなー。 RT @sweets_street: 農村を直接掌握
まとめ管理人 @1059kanri
@sweets_street @gokutubusi354 もう「兵農分離はなかった」と見たほうが正しいでしょうね。
お菓子っ子 @sweets_street
信長が兵農分離していたとしたら他の大名もしていたことになるし、他の大名が兵農分離していなかったとしたら信長もしていないことになるんじゃないかと RT @1059kanri @gokutubusi354 もう「兵農分離はなかった」と見たほうが正しいでしょうね。
黒井丸@九州歴史研究会 @gokutubusi354
@sweets_street ご指摘されて検索して、初めてこちらの [兵農分離を行った証拠は実はない http://t.co/fsF5vNcsnw ]のまとめを知りました(滝汗 m(__)m
黒井丸@九州歴史研究会 @gokutubusi354
兵農分離を行った証拠は実はない http://t.co/fsF5vNcsnw …知らなかった(// //)
ひろ氏 @kenmo_vip
@sweets_street 信長が先駆けて兵農分離を手始めたって聞いたんですが
お菓子っ子 @sweets_street
何をもって兵農分離と定義しているのでしょうか? RT @sikogreen 信長が先駆けて兵農分離を手始めたって聞いたんですが
ひろ氏 @kenmo_vip
@sweets_street 浪人やその土地に根付いていない流れ者を兵隊にしたと何かの文章で読みました。土地と兵士を分けて考えたのが兵農分離かと
まとめ管理人 @1059kanri
@sweets_street @gokutubusi354 戦国末期から近世にかけて起こったのは兵農分離ではなく、武士階級の城下集住ですね。それも信長はむしろ遅れていた感じですがw
まんりき @manriki
@1059kanri @sweets_street @gokutubusi354 佐久間信盛などは小牧城下に住まずに少しはなれた場所に独自の城館を構えていたそうですね(忘れた頃に追放フラグ)。
お菓子っ子 @sweets_street
浪人や流れ者を金で雇って兵隊にするのはどこの大名でもやっていたことですよ。それに信長軍にも農村に根を張る地侍はたくさんいました RT @sikogreen 浪人やその土地に根付いていない流れ者を兵隊にしたと何かの文章で読みました。土地と兵士を分けて考えたのが兵農分離かと
ut_ken @ut_ken
兵農分離の定義によりますけど、「農民でなく専業兵士で戦争をする」「武士を農村から引き離し城下町に住まわせる」どちらも、信長以外の戦国大名たちも信長以前から進めている上に、信長が他の戦国大名より進んでいたという根拠も特になし@sikogreen @sweets_street
お菓子っ子 @sweets_street
農村に住んでいた領主を城下に住ませるようにしたのだから、専業の武士が住む場所を変えただけですね RT @1059kanri @gokutubusi354 戦国末期から近世にかけて起こったのは兵農分離ではなく、武士階級の城下集住ですね。それも信長はむしろ遅れていた感じですがw
ut_ken @ut_ken
そういえば井沢センセーは「信長の軍隊は給料で雇う兵士だから他の戦国大名の軍隊と違って略奪しない」と述べてますけど、傭兵なんてむしろ略奪が日常茶飯事のゴロツキなんですが @sweets_street
お菓子っ子 @sweets_street
当時の傭兵は臨時雇いのゴロツキですからね。常備兵は領地か扶持米を貰ってる武士です RT @ut_ken そういえば井沢センセーは「信長の軍隊は給料で雇う兵士だから他の戦国大名の軍隊と違って略奪しない」と述べてますけど、傭兵なんてむしろ略奪が日常茶飯事のゴロツキなんですが
ひろ氏 @kenmo_vip
@sweets_street 信長公記によると神社のものと結びつきが強かったため当時の流れ者を兵として使いやすかったと書いてました。清洲は、伊勢湾と東海道によって交易が盛んな商業地のためよその大名に比べて兵農分離に有利な場所だったのでは?
お菓子っ子 @sweets_street
傭兵を金で雇うのは当時では当たり前に皆がやってることなんですよ。それこそ信長登場以前から RT @sikogreen 信長公記によると神社のものと結びつきが強かったため当時の流れ者を兵として使いやすかったと書いてました。清洲は、伊勢湾と東海道によって交易が盛んな商業地のためよ(略
まとめ管理人 @1059kanri
@sweets_street @sikogreen 伊達政宗のおじいちゃんの伊達稙宗の作った『塵芥集』にも既に、そういった傭兵に関する記述がありますねw
ひろ氏 @kenmo_vip
@sweets_street 信長が金銭的に余裕がありまた人の交流地点である尾張にいたから大量にそういうものを雇うことが出来たのでは?他の大名は雇ったものもいると思いますがほとんどが農村から徴兵したものが多いと思います。
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コメント

言葉使い @tennteke 2013年5月9日
戦国大名って、麻とか芥子とかの栽培してなかったのかなぁと素朴な疑問。やっててもドラマや小説じゃ取り上げられないだろうし。
扶桑委員会 @fussoo_moe 2013年5月9日
日本の中世と西洋の中世って似ているようで全然違うからのう……当委員会も最近実感していることだけれども。西洋では農民は奴隷に近いが日本では農民は自治自活が基本っていう。
nekosencho @Neko_Sencho 2013年5月9日
議論の内容はともかく、「○○さんに××という本を薦める人発見」みたいなのは要らないんじゃないかな。内容に関係ないし読んでてあまりいい気分なものではない。話の流れでツイートする人はいるだろうけど、まとめに載せる意味はないと思うんだがどうだろ
鉄底海峡 @tetteikaikyou 2013年5月9日
まとめを更新しました。 kurmacfさんに鍵を解除してもらい、指摘のあった余計と思われるツイートを削除いたしました。
ぼんじゅ〜る・Fカップ @France_syoin 2013年5月9日
うむ。俺も何となく徴兵制みたいので「城主様が、おっ父をいくさにつれってってしまって、おらぁ一人になっちまっただぁ」と言う世界と漠然と思ってたわ。水戸黄門を笑えんなw
欠点’s @weakpoints 2013年5月9日
tennteke 水戸黄門で抜け荷で麻薬を扱う商人を懲らしめるって話はありましたよ(たぶん
Mercato Nuovo @bukrd405 2013年5月9日
三十年戦争期の傭兵も「渡り人」(流浪生活をする人、遍歴や出稼ぎをして仕事をする人々のこと)だった。生活基盤を失った農民のほかに、必要な学費の給付がとだえた遍歴学生たちは、夏の間従軍し、冬に入ると中隊を離れた。この時代、冬には普通戦闘がなかったので、彼らはこの期間、夏に得た戦利品を学費にして勉学を続けた。
Mercato Nuovo @bukrd405 2013年5月9日
戦禍によって生活基盤と保護とを失った人々が軍隊に安全を求め、兵士になった彼らが新たな戦禍を招くと、それによって居場所を失った人々がさらに新たな兵士となる、という悪循環が、三十年戦争の時代には成立していた。その意味で三十年戦争期の傭兵は、戦争の実行者であっただけでなく、犠牲者でもあった。
あんとに庵 @antonianjp 2013年5月9日
へぇ面白い。。うちの母方の先祖は姉川の合戦で負けた浅井長政の家臣だったということなんだけど、婆ちゃんから聞いた話だと、あの辺りの集落のいわゆる地方豪士で、半分武将半分農民みたいなそんな印象があります。
あんとに庵 @antonianjp 2013年5月9日
なので、滋賀県ってそういう一族があちこちで農村集落形成して、色々と有力武将の家来になってるみたいなんが多いとか、独立して一族の土地守ってたりというイメージだったんだけど、厳密にどうだったかというのは考えたこともなかったのでこの話は面白いです。
Yoshi_せんしゃぶ!連載中 @Yoshikun21c 2013年5月10日
ド素人呼んできたら武器やら訓練やらが必要になるのだが。当然徴兵した町や村の労働力も減る。
ぼんじゅ〜る・Fカップ @France_syoin 2013年5月10日
素人集団には槍がおすすめ!簡単な訓練ですぐに実戦参加可能に!3人掛かりなら侍大将の首でもとれる!ww農村で人手が必要な春の種まきや秋の収穫の頃は戦争も無かったんじゃね?むしろ町や村に人があまりすぎな夏、冬に戦争があったと考える。
牙王獣太 @k2train 2013年5月10日
傭兵って、ある意味『募集かけて志願してくる』って事なら、一種志願制度に近い意味合いがあったのでしょうか?
Libra@引越し荷解き、終わるのかな……? @Libra02324038 2013年5月10日
江戸時代、あまりの貧乏に城下から村へ引っ越させてくれと訴えた家老がいた藩がある。なお、村の自治が侵されると村の猛烈な抵抗に遭い、断念した模様。
永沢壱朗 @Nichilaw 2013年5月10日
なんか「だいたい信長の野望が悪い」で片付くような気がしてきたw
鉄底海峡 @tetteikaikyou 2013年5月10日
k2train 傭兵であろうが正規軍であろうが、自由意志でやっている(つまり辞める事も自由)のならそれは志願制です。徴兵ってのは本人の意思に関係なく、お上の都合で強制的に徴募するシステムです。
neologcutter @neologcuter 2013年5月10日
出稼ぎ(略奪)目的で自発的に戦場に出る農民も結構いたんじゃないの?
冷たい熱湯 @Tuny1028 2015年5月20日
Nichilaw 信長の野望というか、信長の野望「事典」のせいでしょうね。ちなみに私の戦国時代知識の出発点は「信長の野望覇王伝事典」でした
タツコマはネコ科猛獣に襲われてしまった @TATukoma1987 2015年11月12日
France_syoin 同じく、素人に使わせるなら鉈も効果が高いってのはルワンダ大虐殺だとかグルカが証明しています。括りってのがその鉈として最適化された最たるものとされますね。誰でも、人体に対してなら日本刀並みの切れ味を訓練無しで再現できるとか。切れ方のタイプは全く違いますが。
タツコマはネコ科猛獣に襲われてしまった @TATukoma1987 2015年11月12日
俺は、日本における中世の農民ってのは傭兵に近い形だったって習ったんだが、世の中的にはそうじゃないのか。
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