ロトスコープとフライシャー、奥行きとアイワークス

フライシャーの『白雪姫』、ディズニーの『プレイン・クレイジー』に埋めこまれた、動きの似姿の問題、奥行きの問題について。雑誌『表象』7号の細馬宏通の論考の補足も兼ねて。
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細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

ディズニーは別段、奥行きのない平面表現をオズワルドやミッキーでやってたわけではない。ただし、そこに出てくるキャラクターや事物や背景、ぐにゃぐにゃゴムホースのように伸び縮みして、奥行きをどんどん歪めていく。この歪みが、ロトスコープに忠実な表現からは失われた、ということなのだ。

2013-04-28 16:47:49
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

だからフライシャーやディズニーのロトスコープを論じるときに、平面か奥行き感覚か、という対立で考えるのはミスリーディングで、むしろ可塑性の大小で考えるほうがよい。現在のロトショップを考えるときも同じことがいえると思う。

2013-04-28 16:49:42
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

ロトスコープを使ったから即、奥行き的になって平面が失われる、なんてことがないことは、フライシャーの1920-30年代の作品を見れば明らか。『ガリバー旅行記』とベティ・ブープの初期作品を比べれば、ロトスコープを使うかどうかが問題ではなく、使い方の問題だということがわかる。

2013-04-28 16:52:21
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

フライシャーは少なくとも1930年代半ばくらいまで、ロトスコープをそれを現実を写し取る道具としてだけでなく、変形を表すための手がかりとして用いていた。現代のロトスコープを考えるヒントは、『白雪姫』や『ガリヴァー旅行記』よりも、フライシャーのココ・ザ・クラウンやベティにあるかも。

2013-04-28 16:56:51
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

ガーティー以降のアニメイティッド・カートゥーンの特徴はそこにキャラクターの登場する背景(空間)が描かれること。この空間とキャラクターがどんな奥行きを形成するかが問題となる。フィッシンガーやマクラレンの実験映画のもたらす空間感覚との決定的な差はこの「背景」という舞台の存在。

2013-04-28 17:06:27
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

その意味で、背景が全く描かれなかったアニメーション版「リトル・ニモ」の空間感覚は、実験映画の走りだったと言えるかもしれない。

2013-04-28 17:07:16
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

ずっと後、チャック・ジョーンズがダフィ・ダックの背景を次々と描き変えていく「Duck Amuck」を出して、多くの人が驚いた。それは、1950年代には、アニメイティッド・カートゥーンの歴史の中で背景の与える空間感覚が意識されないほどあたりまえの存在になっていたからだ。

2013-04-28 17:11:28
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

フライシャーがキャブ・キャロウェイの手足の動きをロトスコープしながら、ただトレースするだけでなく、それをどう歪めて幽霊を作っているかについては、フライシャー版『白雪姫』の後半をどうぞ。 http://t.co/QV5KKlDkiw @gabin

2013-04-28 17:15:31
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細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

「表象」のワード論文で述べられているフライシャーの「幽霊」もしくは「厚み」というのは、おそらくこの『白雪姫』のような表現を指しているのだろう(彼ははっきり書いてないけど)。

2013-04-28 17:25:51
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

『惡の華』のロトスコープ表現の興味深いところは、身体を正確にトレースすればするほど、動く口を失う、ということだ。たまに試みられるリップシンクは恐ろしくぎこちなく、それを省略したり簡略化する方向、つまり口の動きをできるだけ見せない方向で作画がなされている。

2013-04-29 02:08:06
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

リップシンクのコストを削減することへの躊躇のなさ、というのは日本のアニメーションの伝統ではあるが、『惡の華』くらい身体が人間らしくなると、リップシンクの不在や不完全さはかなり際立ってくる。傀儡劇のような奇妙な感覚も、そこからやってくるのだろう。

2013-04-29 02:11:08
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

サザエさんみたいになんだか知らないけどぱくぱく動いて、驚いたときだけアングリ開くような口は、たぶん『惡の華』をぶちこわしてしまうだろう。

2013-04-29 02:18:25
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

しかし一方で、演技者にあらかじめセリフを正確なタイミングで発声してもらって、その口の動きをロトスコープでこれまた正確に写し取り、それをさらに声優になぞってもらうのは、コストがかかりすぎるし、演技者と声優とが(同一人物でない限り)演技を一致させねばならない。

2013-04-29 02:22:39
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

こんな話にするつもりじゃなかったのだが、『表象』でポール・ワードやエスター・レスリーやエイゼンシュタインの論文を読んで、はっとした方はディズニーの『Oswald the lucky rabbit』やフライシャー版『白雪姫』やを見るといいですよ〜。

2013-04-28 17:33:17
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

さて、「表象」に載せた拙論を捕捉すべく、ちょっと連続でリツイートしますよ。

2013-04-28 19:24:49
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

ディズニーの「プレイン・クレイジー」には、アブ・アイワークスのそれまでの奥行き表現がかなりぶっとんだ形で表れているのだが、それは、以下の動画の3:00あたりから見ていただくと判ると思う。 http://t.co/1AnoKcCcn4

2013-04-28 19:26:44
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細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

先にも書いたように、ガーティー以降(正確にはブレアらによってセル・システムが定着して以降)、背景という空間内にキャラクターを描く、ということがアニメーション表現の定石となった。つまり背景で奥行きをまず作ってしまい、そこでキャラクターを動かす。

2013-04-28 19:28:25
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

問題は、キャラクターの自由な動き、身体に起こる変形が、背景の示す空間とどのような関係にあるか、ということ。両者がまったく無関係ならキャラクターは「浮いて」見える。かといって背景と同じではおもしろくない。そこで、背景のもたらす遠近をほどほどに利用することになるのだが。

2013-04-28 19:30:38
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

いくらキャラクターががんばって大胆な動きをしても、背景世界が変形しない限り、世界がそれほど歪んでいるようには見えない。だから、ここぞというときは、背景もまた、キャラクターの動きに応じて変形しなくてはならないのだが、それを描くのはものすごい手間。

2013-04-28 19:32:16
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

さて、「プレイン・クレイジー」は飛行機の話であり、飛行機視点から描くと世界はどんどん流れていく。しかし、その流れていく背景を全部描くと大変なので通常は手間を省くべく一枚の絵をスクロールさせて表現する。「プレイン・クレイジー」もおおよそはそうなっているのだが、問題は3:00から。

2013-04-28 19:33:43
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

ここで、飛行機の眼前に牛が現れる。この牛を追いかけるや、世界はダイナミックな遠近法で描かれだし、機首が左右に揺れるたびに世界も揺れる。牛はやがて視野いっぱいに広がる。そして背景=牛となり、世界は牛ごと歪む。その歪みがいかなるものかは、見て確かめて下さい。

2013-04-28 19:36:26
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

詳しい話は『表象』の拙論に譲るとして、ひとつ書き忘れたことを書き留めておこう。5:15あたりから、飛行機がきりもみで墜落していく場面なのだが、ここでアイワークスは暗転をおもしろい形で使っている。飛行機は上空から、下を見下ろす視点で樹に激突し暗転となる。

2013-04-28 19:39:14
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

私たちの視覚には動きの恒常性が働くので、暗転したあともその運動の方向はしばし残存している。暗闇に衝突を表す描き文字が表れ、次の場面で、初めて見た人は「あれ?」と感じるはず。というのも、下向きに落下していたはずの世界が縦スクロールで動き出すからだ。

2013-04-28 19:42:08
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

しばらくして、暗闇の中に縦スクロールする模様は木の間であり、ミッキーが樹の中を枝にぶつかりながら縦に落ちていくのがわかる。つまり、暗転をはさんで世界を見る視点は「上空から落下する視点」から「ミッキーの落下を縦に追う視点」へと、大きく切り替わっている。

2013-04-28 19:45:26
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

牛の尻表現にしても、この樹への落下表現にしても、背景の変形や視点の大胆な切り替えによって、観客が想定している世界を歪ませたり思わぬ方向へ飛躍させているのだけれど、観客はこうした歪みや切り替わりに、キャラクターによって導かれる。

2013-04-28 19:49:50