- masakishibata
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11月6日
子飼い扱いに物申す。
てか、石田三成って秀吉の小姓時代とかないよな。長浜時代に父と一緒に仕えたか、姫路時代に成人してから仕えたか。どちらの説としても小姓になる身分でもない。
2012-11-06 00:20:15石田家は京極配下で荘園の代官をしていたといわれるほどの家柄で、決して低い身分ではない。父も兄も秀吉に仕え、兄は堺の奉行になるくらい重用されているので、三成だけが見出されたわけではないことから子飼い否定派なのです。
2012-11-06 01:24:56大谷吉継との親友設定もねーよ。
とりあえず総括。
【さきさんの三成総括1】豊臣秀吉の子飼いであったことは否定。父と兄が秀吉に仕えており、最初はその繋がりで仕えていた。また、成人してから仕官しているので子飼いとは解釈できない。
2012-11-06 23:42:52【さきさんの三成総括2】三成は豊臣政権の奉行。豊臣家への忠誠よりも政権の維持と反映を担う立場であり、豊臣家や秀吉個人への陶酔はないと考える。
2012-11-06 23:44:23【さきさんの三成総括3】関ヶ原での挙兵の理由は「官僚政治の完成」。秀吉個人のカリスマ性で維持されていた政権の危うさを知り、よりシステム的な政権運営を目指しての挙兵と考える。
2012-11-06 23:47:06【さきさんの三成総括4】ただ、官吏一筋の人物ではなく、賤ヶ岳の戦いでの一番槍の武功を始めとした戦場経験は豊富にある。忍城攻めの失態から戦下手のレッテルを貼られるが、あれは秀吉の作戦ミスもしくは勝つ必要のない権威を示すだけの場であった。
2012-11-06 23:50:50【さきさんの三成総括5】日本史上、初めて兵站の重要性に気づいた人物と考える。10万人を超える軍隊を速やか進軍させ、継続的に遠征させるだけの補給路と人員の確保を確立させた。三成の登場によって日本の戦争は変わったともいえる。
2012-11-06 23:53:241月9日
おまけ:三成とまわりの人々。
さこん「うちの殿、決断が遅くてよく失敗するんスよねー。あと、上っ面だけでも頭下げたほうが物事スムーズに進むって言っているのに嫌だって。そんなわけなんで、私は裏切りませんよ。」
2013-01-09 18:40:23ぎょうぶ「オマエは横柄で上からも下からも嫌われているし人望ないから出しゃばってくんな。輝とか秀とか立てて裏方に徹しておけ。いいな、出しゃばるなよ。」
2013-01-09 18:42:06