90分で学ぶアートの歴史 第二回「日本現代美術史」 中ザワヒデキ(美術家) 各論
- misonikomioden
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これを受け入れてきた東京都美術館は、読売アンデパンダン展を処理しきれず、ついに1964年に廃止された。この原因は反芸術の作品ではない作品がでてきたせいなのは明らか。
2013-05-12 01:46:08ここからハイレッド・センターが出てきた。 ハイは高松次郎、レッドは赤瀬川原平、センターは中西夏之。ここからポップアート的なものへ移行する。 最初の反芸術はめちゃくちゃやろうというものだが、ハイレッド・センターからスーツにネクタイ姿で、芸術なんて古いねということがかっこ良くなる
2013-05-12 01:47:51これは広義のダダで、むしろハイレッド・センターのほうが真の反芸術。 ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズしていたことはアンフォルメルの成れの果ての反芸術。
2013-05-12 01:48:41ハイレッド・センターが出た後、ポップアートのほうにネオダダの作家が移行する。 それまで作品っぽいものを作るのがカッコ悪かったのが、急に商業的画廊で売れるようなものを作り始める。
2013-05-12 01:51:01ただその時にハードエッジで具象であって、マリリン・モンローのようなものを描くのが海外のポップアートであったら、日本では何を描くのが問題であった。
2013-05-12 01:51:31そういった流れが読売アンデパンダン展の廃止から、冷たい=クールな方向性に行った人達の話で、その裏側で読売アンデパンダン展の無茶苦茶さを保った地方のグループもあった。ゼロ次元や他の地方のグループだ。
2013-05-12 01:52:34第4章 還元主義と多様性 もの派、概念派、美共闘 概念派の概念とは物事の「事」、考え方、コンセプチャルアートに相当。 もの派の「もの」はひらがな・カタカナだったりするが、これは概念に対する物質、物事の「物」。これらが共存する(共に出てくる)
2013-05-12 02:00:50これらを受けて、ポスト概念派・もの派が出てきた。 また学生運動の時代なので全共闘があれば美術でも美共闘を作られ、代表的なのが彦坂尚嘉、堀浩哉。美共闘も制作をしておらず、真に制作を突き詰めると作らないほうがいいんじゃないのか、と考えた人達だ
2013-05-12 02:03:06還元主義というのは、物事を突き詰めて考えていき、最終的に捨てられるものは捨て残るものは残るということ。 グリーンバーグ的な意味でモダニズムで、美学におけるモダニズムは自己批判しても残るものがあればそれだけを見ていくことだ。 絵画とは、彫刻とは、美術とは何か、と突き詰めていく。
2013-05-12 02:06:37そして美術とは何かという回答として、一つは美術とはコンセプトではないか、というもの。 もう一つはコンセプトが邪魔で美術とは単にものがそこにあるだけではないか、というもの。これらから概念派ともの派が現れた。
2013-05-12 02:08:52概念派ももの派も西洋の美術の流れから言えば抽象の流れを組んでいる。 概念派はコンセプチュアルアート、もの派はミニマリズム
2013-05-12 02:09:42ところが、こういったことを突き詰めると、もの派・概念派のやり方を利用する次の作品を作る人達がたくさん出てくる。それがポストもの派・概念派だ。 そういうことで一時期の美術の動向は反芸術までいったのだが、美術の中から、美術やろうよという状況が生まれ、何でもありな状況になってくる。
2013-05-12 02:12:11【再開】復習・実況。 →『美学校アニュアル・リポート2011 ~90分で学ぶアートの歴史 第二回 「日本現代美術史 中ザワヒデキ(美術家)』
2013-05-12 21:30:00【再開】復習・実況。 →『美学校アニュアル・リポート2011 ~90分で学ぶアートの歴史 第二回 「日本現代美術史 中ザワヒデキ(美術家)』
2013-05-12 21:57:31第5章 脱前衛 80~84年 ヘタうま、パルコ、超少女 この時代はポストモダニズムが叫ばれた。 ポストモダニズムとは、アンチモダニズムと言ってもモダニズムに回収されるため、モダニズムの後=ポスト・モダニズムということ。
2013-05-12 22:01:50美術の内部ではポストもの派・ポスト概念派の延長でインスタレーションが盛んに。 吉澤美香などの超少女、大竹伸朗のなど海外の動向に呼応し自由に描くという新表現主義。 ここで時代が明らかに変わっている。新たになんでもやって良い状況になっている。
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