あずまんの歴史認識問題への立ち位置

東浩紀本人の表題関連の一連のツイートのみをまとめた。
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東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

おそらく理解してくれないと思いますが、いちおうちゃんと書きます。ぼくが最初に高橋哲哉の名前を出したのは、ぼくのこの歴史認識についての「いいかげん」な不可知論的立場がデリダについてのぼくの研究(と高橋氏の研究の差異)と理論的に繋がっていることを示唆するためです。@nogawam

2013-05-15 13:03:56
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

20世紀半ばの哲学者たちはおしなべて、世界に真実はない、ものごとは解釈でいくらでも自由になる、と主張してきました。それが行きすぎてソーカル事件が起きたのはご存じのとおり。1990年代からは一気に風向きが変わり、「確かな真実は疑い得ない」がトレンドになります。

2013-05-15 13:05:13
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

デリダといえば脱構築ですが、そんな彼も90年代には新しい方向で再解釈されました。けれどもぼくはその流行に抗して、むしろ「テキストだけではなにも決定できない」という古い主張を擁護した。それがぼくの博士論文ですが、その立場と歴史認識問題へのぼくの立場は密接に関わっているのです。

2013-05-15 13:06:50
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

ぼくは別に、真実が複数あると言っているわけではありません。真実はひとつです。しかし、真実に近づく方法が文書資料しかない場合、そこにはつねに複数の解釈可能性があって、その差異は合理的討議では決して回収できない。これは理論的問題であり感情的問題ではない。

2013-05-15 13:08:26
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

そしてこの問題はネットの出現で深刻になっている。なぜならネットとはなによりも文書の場だからです。ある事件について資料が公開される。そこまではいい。しかしその解釈は、資料が多ければ多いほど拡散し複雑化して、結局肝心の真実は闇に包まれる。歴史認識問題で起きているのはそういうことです。

2013-05-15 13:10:04
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

熊川さんは「調べている」とおっしゃいました。それはそうだと思います。しかしその調査が資料解釈でしかないのであれば、同じ作業はいまは熊川さんが軽蔑している保守陣営やネット右翼もいくらでもできる。しかも正反対の結論が出てくる。そしてそれを調停するのは解釈論争では不可能です。

2013-05-15 13:11:55
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

ご指摘の「リアルのゆくえ」のなかで、ぼくはこのような話をしています。そしてこのようなぼくの考えからすれば、「哲学」を掲げる方が、素朴に資料解釈だけに基づき他陣営の主張を覆せると思うことがよく理解できません。ですから昨日のようにツイートしました。

2013-05-15 13:13:22
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

つまりこうです。従軍慰安婦はあったかどうか、南京事件はどのていどの規模だったのか、ぼくはぼくなりに「個人的」な見解をもっています。しかしそれは結局は書籍やネットからの伝聞情報でしかなく、新しい一次資料はない。他陣営を説得できるとは思えない。だから宙ぶらりんの立場に立つほかない。

2013-05-15 13:16:40
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

ぼくはそういうきわめて現実的な——しかしデリダの理論から導かれる必然的なものでもある——知恵に基づき、相対主義的な立場に立っています。これがぼくの歴史認識問題についての見解です。以上、どうせまたお叱りと罵声しかやってこないでしょうが、ぼくなりにまじめに応答してみました。

2013-05-15 13:18:04
東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma

ぼくの文章を読み直して欲しいのだけど(どうせ言葉では真意は伝われないのだけどw)、ぼくの主張は「真実がない」ではなく「真実には言葉だけでは辿り着けない」です。裏返せば、解釈の余地がない(少ない)一次資料の発見が重要ということですよ。

2013-05-15 14:00:47