画家・永瀬恭一氏: 「批評家の批評文」以外の場所にある批評性――《文体》と編集者

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永瀬恭一(一人組立) @nagasek

原子力に関する議論で常にぬけていると感じるのは「他者」をどうするかって話で、誰もが(推進反対問わず)「自分」にとっての話しかしない。「自分」に利益最適化された議論をするかぎり、あとは綱引きゲームしかない。

2013-05-13 13:53:17
永瀬恭一(一人組立) @nagasek

赤塚祐二氏のリード文が素晴らしい。RT @kabatachihiro ホームページニュースを更新しました:武蔵野美術大学油絵学科特別講義「作家探訪シリーズ:椛田ちひろ」5月20日16:30より2号館206教室にて。http://t.co/rsr6UW6q8Q

2013-05-13 21:46:01
永瀬恭一(一人組立) @nagasek

椛田ちひろ氏が切り開いてる地平はあくまで氏個人の苦闘の成果だ。でもその波の及ぶ範囲は多分ずっと広い。これを批評的に示し得てない所に美術のことばが作品に追いついてない現状を示してる。誰が、ではなく、自分の問題としてそれは考えないといけない。赤塚氏の言葉はそこへのヒントだと思う。

2013-05-13 22:04:18
永瀬恭一(一人組立) @nagasek

そういう作家、つまり彼らの作品がリーチしてるところに美術の言説が追いついてないが故に孤軍奮闘せざるを得ない作家って日本に結構な数いると思う。今日本の美術批評のある部分は「研究」分野に傾いてて同時代に対し対応が薄い。この辺をなんとかしないといけないとずっと思ってる。

2013-05-13 22:08:43
永瀬恭一(一人組立) @nagasek

単純に言って岡崎乾二郎論は正面切っては古谷利裕しか書いてないし、村上隆論も椹木氏以外に目立つものがない(それにしたって十分でない)。この辺は作家当人の抑圧もある(あるよね)からなんとも言えないけど、しかし同時代美術批評の多くが適切なメディアに乗らないのは何故なんだろう。

2013-05-13 22:12:40
永瀬恭一(一人組立) @nagasek

美術批評家が実態としては大学人(あるいは学芸員)としてしか成立せず、結果として実績たりうる研究(そうでなければ「教育」素材)しか生産しずらいのかな、とも思うけど、端的に「今」展開されている作品に向き合うことの可能性の厳しさは、なんかもう少しなんとかならんかなと思う。

2013-05-13 22:17:18
永瀬恭一(一人組立) @nagasek

で、こういう問題提起をするのは空気読んでないバカ、みたいな言い方はされず「ディティールの精密な積重ねに基づいた実証的なアプローチでないからただの放言」となるわけで、ま、実際そうなんでいいんですけど。皆それで楽しいんですかね。

2013-05-13 22:20:39
永瀬恭一(一人組立) @nagasek

今の作品に拮抗しうる「ことば」は果たして「批評」という形態をとる必要があるのか?というのは正直考えているところではある。「批評性」が「批評文」に宿るとは限らない。というかここ20年くらいの様子を見てると「批評性」はむしろ「非-批評文」にばかり宿る。

2013-05-13 22:26:07
永瀬恭一(一人組立) @nagasek

僕は「批評家」は絶滅しつつあると思うし、「批評文」はまったく低迷していると思うけど「批評性」に関してはそれほど悲観していない。要するに「批評家」と「批評文」以外のところに「批評性」は宿っていて、それを適切に「編集」できる人がいないだけなんだと思ってる。

2013-05-13 22:31:43
永瀬恭一(一人組立) @nagasek

もしかして今足りないのは美術批評家でも(肩書きだけソートすると「美術批評家」はビックリするくらい沢山いる。皆なんでそんなに「美術批評家」なんだ)なければ美術批評文でもなくて(これまた「美術批評文」は無駄に大量に生産されてる)、【美術編集者】こそが貴重なのかもしれない。

2013-05-13 22:36:51
永瀬恭一(一人組立) @nagasek

ただ一点、今僕が「批評性がある」と思ってる非-批評文に、絶対欠けてると思ってる物があって(つまりそれは僕がブログで書いてる文章とかに欠けてるという意味だけど)、それは【文体】だと思う。批評性のある言葉はtwitterにもブログにもあるけど、これには決定的に【文体】がない。

2013-05-13 22:40:44
永瀬恭一(一人組立) @nagasek

前日まとめた「絵画、アートの「同時代性」」http://t.co/pcp5eFSzPYでも途中で触れたけど、何故自分の文章に文体が欠けてるかと言えば、多分「詩への蔑視」がある。詩的である、というのは僕にとって殆ど蔑称だった。しかし(これも書いたけど)美術批評の起点に詩は外せない。

2013-05-13 22:45:14
永瀬恭一(一人組立) @nagasek

ええと、何故美術の批評性に「文体」が必要なのかと言えば、かつて小説家中沢けい@kei_nakazawa 氏が言った通り、それがないと「文章が立たない」。ブログの文体やtwitterの文体には水平な繋がるベクトルしかなくて垂直な切断するベクトルがない。それがないと「文が立たない」。

2013-05-13 22:49:13
永瀬恭一(一人組立) @nagasek

なんか長くなったけど、今必要なのは「批評家の批評文」以外の場所にある批評性を把握できる美術編集者と、「批評家の批評文」以外の場所にあるコトバ独自の「文体」で、まぁ人を責める立場でもないのでしょうから精励します。というか犯人探しして溜飲下げてる程残り時間もない。

2013-05-13 22:52:24