乙武さんとレストランの喧嘩の話の感想

2013年5月18日に起こった、東京銀座の名店での、乙武洋匡氏のツイッター発言をもとにしたやりとりを見て考えた事。
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乙武さんは喧嘩がうまくて強い、とういのが一番の感想ではあります。 店に不愉快な思いさせられるって皆経験する事ですが。反撃成功と。 @tyk97さん連続Tweet:乙武さん入店拒否の件から考察する「グローバルいんちき」というプロトコル http://t.co/ssASrfKlS7

2013-05-19 06:42:56
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そもそも、乙武さんって言えばあの乙武さん以外考えられませんが、ああいう方って外食されるときいちいち店の人がずっと付いて食べさせてあげないといけないんですかね?そのあたり、普段からどう生活されているのかがわからない。 そうなら、駅前のラーメン屋にいきなり入られても店は困りますしね。

2013-05-19 06:46:53
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人権問題として、今回のお話を捉えるためには大変な社会的下準備が必要なのではないか。乙武さんに類する人にとって、この社会は無条件に全力を尽くしてサポートする社会である、という共通常識がまずは浸透していないといけないのではないか。 もっと言えば、乙武さんの持つ障害は言わば財産となる。

2013-05-19 06:50:51
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確かに、そういう考え方を進めていくのが本当の社会のありかたなのかもしれない。あるべき社会とは、そうなのかもしれない。しかし、残念ながら現在日本社会はまだそのような社会では無いし、そのようなサポートの仕方を私自身も持ち合わせていない。これも人権意識の欠如と言われればそうかもですが。

2013-05-19 06:55:43
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今回、乙武氏は事実関係を述べた上で飲食店の名前も出してそこでの出来事を伝え、いかにその時の店側の対応が不快なものであったか、屈辱を感じました、という事をまずは訴えていたと思います。この時、氏は相手側実名を出すことでハッキリと攻撃姿勢を示したとも思います。糾弾する意図を充分もって。

2013-05-19 07:08:51
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ですので、人権問題という側面は勿論あるのでしょうが、それ以上に乙武氏と店側のトラブルという側面はとても大きいと思うのです。そして、実際彼がこの問題を人権問題として(も)、提起する立場にある人であり、氏を知っている多くの人にとってそれはかなり優位な立場で進められる「喧嘩」であった。

2013-05-19 07:11:54
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店側と乙武氏の和解は穏便に進んでいる様子です。ですので、周囲がこの喧嘩についてどうこう言う立場にはもうないのでしょう。私としては、ここまでの流れは乙武氏が優位に進めて解決させたと見ています。で、やはり、これを喧嘩として捉えるならば、すこし虚しい感覚にはとらわれます。人ごとですが。

2013-05-19 07:15:11
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人権問題として、ある一人の重篤な障害を持った人に対する社会のありかたとして今回の事件を語るのであれば、私たちはもっと乙武氏や氏と立場を同じくする人の日常や生活についてもっと知っておくべきでしょうし、やはり社会はそういった立場の人に出来うる限りの権利を実現させる方向で進むべきかな。

2013-05-19 07:19:51
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しかし、毎回乙武氏を見て思うのですが、あの方は果たして弱者なのですかね?そのように捉えるのが人権意識なのでしょうか?それはまた彼に対する侮辱であるという解答につながらないのかな。あの人はあの人で、あの身体を極めて有効に利用してはいませんか? 人権云々よりも、彼は主張が大変上手い。

2013-05-19 07:23:41
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乙武氏が喧嘩で負けたところって見たことないですね。あの人は大変な成功者であるし、ずっと勝ち組ですよ。いわば。ですから、ひとつの図式として言えることは、喧嘩の勝ち方っていろいろあって、乙武氏は人権問題とリンクし易い自身の事を最大限利用しているともいえる。これが本来権利の主張の基礎。

2013-05-19 07:32:31
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つまり、その気になれば、言わばマイナス要因さえ主張の手段にはなり得る。いや、マイナス要因であればあるほど、権利主張の原動力にはなり得るという事かもしれない。つまり社会的強者とは権利を尊重しなければならない立場にあることを宿命的に背負うのではないか、という考えが出来るかもしれない。

2013-05-19 07:35:59
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確かに、例えば国家に絶大な力が集約するように組み立てられているのは、それが最も私たちの権利主張の利益につながるから、と考えられる。主張すべきは弱者としての立脚点からであって、強者としての立場からではあるべきでは無い。本来、これが約束事としての権力のあり方、人権の保証のされ方かと。

2013-05-19 07:38:58
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人権問題や国家権力のあり方を考えるときは、これは参考になるかもしれないですね。弱者は、弱いということをこそ論理の立脚点にすると戦いは効果的に進められる。権力という構造は、弱者保護からの社会の成長にこそ真価が問われるように考えられるべきで、人権管理の機関として捉える事の無いように。

2013-05-19 07:44:45