乙武とその擁護者にモノ申す 

正義の為に何をしても良いとなれば それは虐殺やリンチすら正当化するロジックになる そんなものは人権という大義名分が有っても認められない それを認めれば、人権そのものを否定する自家中毒になるだけだ 続きを読む
4
巡礼者 @Hagiasophia765

俺はこう言う介入主義に明確に反対するね。それで欧米が敵に回るなら、やむおえんだろう。このロジックは「湾岸戦争」を正当化する > @tyk97さん連続Tweet:乙武さん入店拒否の件から考察する「グローバルいんちき」というプロトコル http://t.co/Bybx4gI0Pt

2013-05-19 13:07:21
巡礼者 @Hagiasophia765

いま、最も恐ろしいのは人権(=民主主義)をダシにした強者による愚者(?)弾圧である。地域の風土文化は地域の住人が公平な対話を通じて改善すべきものだ。それを晒し炎上動員でリンチして解決する暴挙を認めて良い理由はない。エスカレートすれば、「グローバル資本主義化を推し進める戦争」になる

2013-05-19 13:16:46

コレを書いた理由となる危機感

巡礼者 @Hagiasophia765

ま、乙武の件を擁護している人間の経歴やTL志向を見ればわかるけど、基本的にはグローバリゼーションや資本主義の礼賛者ばかり。早い話が、国民国家日本や各国主権を破壊したがっている連中というわけだ。わかりやすい構図では有る。彼らが唱える人権によって、まさに人権の守護者が破壊されるだろう

2013-05-19 13:31:43

資本主義による民主主義破壊の巧妙なところは、まさに「人権擁護」と「人権擁護地域の拡充」という美名のもとに、戦争を通じて人権侵害を行ったり、人権の擁護者となるはずの国民国家を破壊しようとしているところだろう。

無論、もともと政治思想に民主主義を掲げていない国民国家も有るだろう。しかし、そういう国々は自国民の努力によって政治思想を選択すべきなのである。他国民が介入して良い正義は存在しない

この血塗られた介入主義への明確な反対論が「民族自決」の原則なのだ。親しき中にも礼儀あり。それを忘れれば、世界統一の戦争を是認する事になる

それは、結果として国民市民から人権の基盤を奪い去る行為である

追記 乙武が個人商店主をツイッター上で晒しあげて血祭りにあげた事件に対する意見

5/20

巡礼者 @Hagiasophia765

怒ったから、ネットに晒すという風潮は、なんとしてもタブーにするべきだろう。ネットに実名を晒して糾弾するということは、ある意味、私人の判断で社会制裁を加えるということだからだ。それを著名で動員力のある人間が行えば、まさに司法を介さない社会制裁。リンチといえるかもしれない。

2013-05-19 02:12:25

特定属性差別解消に、ほんとうに必要な事

巡礼者 @Hagiasophia765

こういう事書くと怒られると思うんだけど……。フェミニストにしても特定属性の人権擁護者にしても、普通人とくらべて自分らの権利比率を上げろって主張するじゃんね。それって、損しているなとは思う。そのロジックだと普通人とのパイの奪い合いになるから、抵抗大きんだよね。両方拡充したら?

2013-05-20 16:34:01
巡礼者 @Hagiasophia765

例えば、狭い駅にエレベーターやエスカレーター置けって話があったとすれば、そもそも駅を広くしましょうって話から始めたほうがいいんじゃないの?その為の予算と制度を整備したほうがいいのでは?って思う。

2013-05-20 16:35:14
巡礼者 @Hagiasophia765

ただ、これは飲食店には当てはまるかどうかは分からない。人権問題は何にも増して重要ってのは分かるけど、特定属性の集会所的なサービスを人権問題を全面に押し出して社会から排除していいのか?とは思う。それでも、そういうものは排除すべしって話になるなら……。

2013-05-20 16:40:36

5/20
人ってのは、自分が幸せだと感じないと、他人を助けようとは思わないと思うのよね。
幸せってのは、一種の感染性のある何かだと思う。

だから、差別を無くそうとおもうなら、まずは普通の人がいがみ合わずに生きていけるようにしないと、大きな進展はないと思う。

弾圧や強訴で差別を排除できたとしても、その後に残るのは不信と訴訟の山だと思う。

で、普通人(最大分母の属性の人たち)がいがみ合わなくなって、初めて歴史的な差別の精算が始まるんじゃないのだろうか?

差別撤廃っていうのも一種の理想なのだから、こういう隣接する重要な理想を無視していては、信頼と共感は得られないと思う。

表向きは、「万歳三唱」で同意されても、きっと心の中ではそうは思わないのではなかろうか?私は、そういう醜さもまた人間の真実だと思う。

必要なのは、「心が醜い人」でもなんとか納得できる制度・環境整備だろうと思う。

なぜならば、私もそんな醜い人間の一人だからだ。