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書いて、読んで、書く。これが勉強。

一連のツイートは、多崎つくる~の、例のアマゾンレビューを読んだことがきっかけですが。
人文 授業 学校 国語教育 教師 作文
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福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
多崎つくるの例のアマゾンレビューを読んでみた。で、それをめぐる批評(笑)等もざっと見てみた。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
なんというかやっぱり、「自分の言葉で語ること」に陶酔した人々という感じがするよね。どれを読んでも。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
自分の言葉で語ることって、恥ずかしいことであるはずなんだけどね。普通は。たいていの場合、無知をさらけ出すことになるから。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
ネット上の言論の多くは、「オレの無知 みんなで晒せば 怖くない」といったところなんだと思う。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
ま、自分も相当、無知をさらけだしてるけどね。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
それでも子どもたちに自分で文章を書かせることが大切だと言えるのは、アウトプット(=構成)なくしてインプット(=再構成)の力は育たないから。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
子どもたちが自分自身で文章を発信しなければならないのは、他者の文章を受信できるようにするため。そして、その先で、新しい自己の文章を発信できるようにするため。まず自己に沿い、次に自己を離れて他者に沿い、そして他者を離れて新しい自己に沿う。このプロセスの繰り返しが、勉強というもの。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
それを繰り返していくと、こういう境地に立てるわけです→ http://t.co/0r9Spx3jpg
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
ネット上の言論についてはまさに、「良い言論と悪い言論がある。どっちから聞きたい?」と言ったところ。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
ともすれば自己陶酔してしまいがちであるというのは、ネットの明らかな欠点。でも、他者の存在がこんなに押し寄せてくるというのは、ネットの明らかな利点。どちらに目を向けるか次第で、いかようにも価値が変わる。それがネット。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
無知をさらけ出すのって、慣れると怖いね。ブルブル。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
本の原稿をサボってtwitterに向かってしまいがちになる理由の1つが、今なんとなくわかった。twitterは常時、自分より知識・能力のある誰かに監視されている感じがするから、スリリングなんだよね。でも、本はその「常時」感が足りない。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
「〇〇が驚くほど伸びる本」とかを書いていると、「おしえてあげますよー」的な立場に立たざるを得ない。スリルが足りない。一方、ネットでは、「なにを偉そうにおかしなこと言ってんの」と笑われるかもしれないというスリルがいつもある。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
でも冷静に考えると、ネットなんかよりもやっぱり本のほうが明らかに、本当に知識・能力の高い人の目に触れやすい存在だと思う。しかも、時間をかけて。しかも、断片でなく丸ごと。だから、気をつけて書かなければならないのは、本のほう。まあ、当たり前だけどね。
福嶋隆史/著書60万部超/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
twitterに書く気楽さでは、たしかに本は書けない。でもそこには、何かが足りない。それはリアルタイムのスリルなんだろうな。ということにしておく。今日のところは。
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