「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」論考まとめ
- terry_rice88
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@ruroa2 奇しくも8話演出の格好の「予告」になった批評文ですねw。>「クライムエッジ」7話について/ところで、今夜暇がありましたら教えてください。よかったら「Q」のお話がしたい。午前は仕事をし、午後に開封したBDを視聴するため、ちょっと時間が合わないかもだけど、よかったら。
2013-05-25 05:56:11…ああっ、あああっ、ああああっ、カヲルくん、きみは、彼に殺され彼を殺した最初の「人間」として、はじめて君の命を忖度した彼のために……(「ヱヴァQ」ED「桜流し」の行で、涙を押し止められない
2013-05-25 15:54:01記憶喪失の「師」のために、省みる鮮明なそのヴィジョンであるために、今は第一使徒である祝福を(別れの場面の直前、輪郭のくずれるシンジのまえで、すずやかな死(普遍)の表情(線画)が浮かぶ…)。はじめに言葉ありき(深遠から取り戻されたウォークマンには魂が眠っている)、音楽ありき…。
2013-05-25 16:00:24君はそんな顔をしていたよ、音楽を憶えているかい? あの頃のことを。救われるべき世界のこと、救った人のこと、救おうとしてくれた僕のことを、ロンギヌスの心を悼んだナザレのヨシュアのように…。
2013-05-25 16:04:51文明は、結局キリストが殺されたということを伝え、そこから癒えぬ魂の裏切りの傷の怨嗟によって、彼らをキリスト者から遠のける―それは自覚している。だがそれでも、彼/女が殺されたことを永遠に許そうとしない(フロイト『モーセと一神教』を参照)―私は救われるべき魂ではないという猜疑に悶え。
2013-05-25 16:09:53まあそれはいい、一(いち)アニメオタクとして語るべきことではない―「ピングドラム」だ、渚カヲルにならなかった高倉晶馬の話をしなければならない。あのウォークマンは拾われ、新世界へと連れて行かれた。だが、おそらく碇シンジ以外誰一人として憶えていることはない彼の物語と、を。
2013-05-25 16:16:41渚カヲルが晶馬のように、(碇シンジ/高倉冠葉の)綾波/陽鞠を感じるということは、おそらくない―だが全てを記憶する男としてその意味を回復すること、あの日魂の兄弟として分けられた「ピングドラム」のように、あの日受取られた親愛がいまこの機会に何を指すべきかを知って、一命を賭していた。
2013-05-25 16:24:39君はあの日、深淵から何を拾い出したか覚えているかい?/君はあの時ただ僕の命を救ってくれたことを、憶えているかい? 君こそが彼女を、あの時すでにして救っていたのだということを、今更知ってくれるかい? 勿論、僕は彼女じゃない。だから君がもっとも心を痛めた彼女のように は伝えられない
2013-05-25 16:32:59僕が美しいのだとしたら、君のおかげだった。僕がひとかどの人間で、恋というものが出来て、少女/年たちに魂を感じさせたのだとしたら、それは君のおかげだった。あるいは君が僕を好いてくれるのだとしたら、それを見つけてくれたのは君だった。僕が誰かに憶えておいて貰えるなら、君のおかげだった。
2013-05-25 16:43:17君は僕に、ローマへ戻る路(みち)をくれた。セントラルドグマの暗い孔のなかで、あのとき君が僕にしてくれたことが、僕を第一使徒にした―そう信じればこそ、僕は君の脾腹を深く穿った。僕は一度君を殺した、そしてその端に立たせてしまった―その償いを、いま。
2013-05-25 16:52:31大体において“特定の入射角”の主題系のうえで、物語は展開してるんですよね。それによって其処が何処で、どのような意味を持つものか、解釈を誘うようになっている。「カシウスとロンギヌス」、「エントリープラグ」。
2013-05-25 17:18:24“サイボーグ化される”エヴァンゲリオン、「破」のシンジと綾波の活劇を(ふたたび佳境、)繰り返そうとするアスカと、そこにはあのとき綾波の手に握られていたウォークマンに相当する渚カヲルの物語が握られていないという残酷な、聖痕の空洞の中の非対称…。
2013-05-25 17:28:05@totinohana 「エヴァQ」においても主題論的な細部がたくさんあるんですけれど、「コレは確信犯的なものだな」と、つい言い切りたくなるものに「ひとつ目」というものがありますね。隻眼とかグラサンの片方のレンズがないとか、あるいは手で片方の目を覆う芝居がとにかく多い。
2013-05-25 17:31:34@ruroa2 それと「複眼」ですね。実質「オリジナル」(原型のまま)をうたえるのが帰還した初号機だけであるなか、決してそれ自体は映されずに「模造品」たちが複眼の意匠で活躍する(あるいは隻眼は、複眼の一表現といってもいいかもしれません
2013-05-25 17:38:34@totinohana「 エヴァQ」における主題系の話と言えば、一見些細なものですが、「こぶしを作ること」(とその各種の変奏)という無数の出来事も反復されていますな。このこぶしはベートーベンの5番をついわたしに連想させるのですが、それは当然のことながら第九につながってゆきます。
2013-05-25 17:38:34@totinohana 「エヴァQ」において繰り返し繰り返しにぎられるこぶしが最も美しい解放の瞬間を味わうのは、言うまでもなくあの感動的にして比類なきシンジとカヲルの二重奏のシーン、打鍵する20本の指のロトスコですね。このシーンが「エヴァQ」におけるクリティカルポイントだと思う。
2013-05-25 17:42:27@totinohana 自分でもベタだとは思うけれども、「エヴァQ」にあってはピアノの二重奏のシークエンス(シーンではなしに)において蝟集するさまざまな意味を把握しておきさえすれば、そのあとは、この物語はどんなふうにも見ることができるし、解釈することもできるとも思うのです。
2013-05-25 17:45:41@ruroa2 ええっ、20本の指は楽譜をなぞり(複数の象徴の継起)、“たおやかに弾む88鍵”へ拡大してゆくというそれは、ヴンターのテクノロジー(コントロールされたエヴァ)や、別れの間際のカヲルくんの「(情報を介して)変わってゆく」という台詞にも重なってゆきます。
2013-05-25 17:54:12@totinohana 碇ゲンドウの眼鏡のデザインが従来のふたつレンズのグラサン(半透明)から、横一線でしかも目の表情が全くうかがえないタイプの眼鏡になっていたでしょう。演出テクという言い方は不遜ですが、可視性をめぐる主題論的な物語というものが「エヴァQ」には確かにありますな。
2013-05-25 17:56:28