ハルトシュラ mental sketch modified -Jimin Chun /川村元紀展-
今写し取った目の前にあるものが、がらりと変化しているにも関わらず、僕たちはそれを変らないものとして感じている。「そのとほりの心象風景 mental sketch」は常に修正されていく。賢治はmodifiedを詩に音律を施したといった意味で用いていますが #harutoshura
2013-05-29 02:39:49僕にはこのふと書き添えられた英文が賢治のそうしたウィットにとんだ懸命な洞察に思えてくるのです。言うなれば賢治の妄想なのですが、日常の事物を書き換えたり(岩手は彼にかかればイーハトーヴという魅力的な土地になる。)エスペラント語で詩を綴ってみたり #harutoshura
2013-05-29 02:42:40頭の中で考え方を変えるだけで、目の前にあるものを捉えなおすことができる。作家の川村は毎回作品に意味不明なタイトルをつけ続けており、あるときそれを「日常から無意味へのルート検索」と形容しましたが、案外それは賢治の試みと通じるところがあるかもしれません。 #harutoshura
2013-05-29 02:46:00もうひとりの展示作家、韓国人のジミンのそれはまさに「そのとほりの心象風景」といったものです。ドローイング、写真、日記、仮面といったさまざまなメディウムに託した彼女自身の心の内奥。しかしそれは思いのほか多くの制約につきまとわれています modified。 #harutoshura
2013-05-29 02:49:14ある種の理想と現実との摩擦が―それはたとえば飛行機で日本へやってくる際の作品のサイズひとつをとってもそうです―「そのとほりの心象スケツチ」にノイズをきたす。賢治の羅須地人協会が夢破れ失敗したように。しかしその実践のひとつひとつには見るべきものがあります。 #harutoshura
2013-05-29 02:51:39結果として提出されるふたりのインスタレーションは、似通ったものに見えるかもしれない。しかしそこには隔たりが垣間見える(あるいは修羅の10億年)。インスタレーションという手法の氾濫する現在において、ちょっと立ち止まって考えてみる機会をつくることができたら。 #harutoshura
2013-05-29 02:55:16そんなことを考えこのタイトルにしました。ちなみにハルトシュラのアクセントはトにあります。「春と修羅」ではなく「ハル"ト"シュラ」です。伝えづらいですね。よろしくお願いします。 #harutoshura
2013-05-29 02:56:15誰に芸術の何がわかる 展示のお知らせ『ハルトシュラ mental sketch modified -Jimin Chun /川村元紀展-』 http://t.co/KM6eUJXyTB #harutoshura
2013-05-29 03:17:44【無料】大阪で6月15日からの僕の展示はなんと「 全 作 品 無 料 」でお楽しみいただけます [ http://t.co/06LGLRremt ] #harutoshura
2013-05-30 00:19:031点はCASの入っているビルの1階ロビーにどーんと置かせていただく予定です。ロビーに設置する作品のテーマの一つは、平面 [ http://t.co/06LGLRremt ] #harutoshura
2013-06-02 00:36:02日本のインスタレーションをふりかえると、欧米の「ミニマリズム以降の場への意識」という文脈だけでは捉えきれない問題がさまざまあることがわかる。そのひとつとして、とくに壁/平面の問題の延長線上でインスタレーションが試みられてきたことが言える。 #harutoshura
2013-06-02 00:41:54もちろん欧米でもインスタレーション史は見直され、その父をめぐっては議論が多くあるし、平面の問題系についても、例えばトニー・ゴドフリーがソル・ルウィットの壁面作品を重視している論を発表している。 #harutoshura
2013-06-02 00:44:14しかし日本では1980年代のインスタレーションの輸入に際すでに「平面から出発したインスタレーションが多かった」ことが指摘されている。代表格はたにあらた(現:谷新)氏だ。 #harutoshura
2013-06-02 00:47:34「ところで、ストロークもしくはドローイングによる面の活性化と、高松流の面構成、あるいは面的テクスチュアの回復は、これらをもって、"内発的に"開花発展していく方向性と同時に、特に70年代後葉以降に顕著なスタイルへと飛び火していく。 #harutoshura
2013-06-02 00:47:51それがスペース・ドローイングであり、レリーフ・ペインティングであり、インスタレーションである」(たにあらた「面」をめぐる表現の現在 ) #harutoshura
2013-06-02 00:48:15日本でインスタレーションを考える上ではたにあらたは最重要人物だと思っています。1979年の美術手帖にてはじめてインスタレーション(当時はインストレーションと書いた)という語を用いて紹介したのは他ならぬ彼。 #harutoshura
2013-06-02 00:53:58たにはそのテクストにて日本の戦後美術が具体以後屋外に作品を発表してきたことにふれ、60年代に再度屋内へと戻っていったことを指摘する。そして「1970年は東京ビエンナーレが開催された年にあたるが、このころ急速に、室内空間全体を作品化する仕事が増えて来る。」 #harutoshura
2013-06-02 00:54:56最後にたには彦坂尚嘉の「フロア・イヴェント」に言及する。それはラテックスを自宅の床一面に塗りたくるという絵画的要素を保持しつつも、「ものとものの関係で見ようという空間設定の意識はうすれている。むしろ内的空間全体が主体的に提示されている」と主張する。 #harutoshura
2013-06-02 00:55:33故意にせよ無意識的にせよ、川村の作品はこうした日本の現代美術におけるインスタレーション的な作品の系の特質を考える上で示唆を与えるものが多い。 #harutoshura
2013-06-02 00:57:17日用品を使う若手作家はある程度言語化して先行世代と差異化しないとなかなか理解してもらえないという話をちょうど昨日したところだった。言語化するのは必ずしも本人でなくてもいいのだけど。
2013-06-02 01:03:29@cezannisme たぶん、もう「日常品」ということばで説明しない方がいいんだと思います。僕が今回あえて日常品っていったのはそれで清算しようという思いもあってのことで。
2013-06-02 01:04:44@rob_art ええ、そうですね。僕もそう思います。その一方で、「日用品を使う作家」という枠で語られてしまいがちなので、難しいところですね。まあ要するに、わむらもさんの作品の言語化はろばとさんに掛かっているのではないかということですw
2013-06-02 01:07:59