幅と奥行きの関係

こうせんさんの頭の中。萌える(ハァト)
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半田広宣 @kohsen

この半年間というもの幅と奥行きの関係についてずっと考え続けている。きっきり言って病気だ(笑)。

2013-05-22 15:05:39
半田広宣 @kohsen

それは「奥行きと幅」というこれら単純な二つの観念こそが実のところ本性上の差異(スピ系的に言えば覚醒のようなもの)に到達するための思考法の原点であると考えているからなんだけど、さすがに睡眠中にまで幅と奥行きが作る十字架がいびきの音に合わせてクルクル回ってるってのはヤバい(笑)。

2013-05-22 15:05:46
半田広宣 @kohsen

「本性上の差異」。。分かりにくい言葉だろうと思う。これは一言で言えば、あらゆる存在を他として見て内包している自己自身との差異ということだ。

2013-05-22 15:11:02
半田広宣 @kohsen

つまり、人間という領域から出ることとでも言おうか。それをベルクソン=ドゥルーズは持続と主体との直接的一致と考えている。奥行きが持続の場所であるのならば、奥行きそのもの中に身を投げ入れることがこの「本性上の差異」への到達となるのだけど、

2013-05-22 15:15:26
半田広宣 @kohsen

というストーリー。そこでは今度はそれぞれ独自の奥行きと幅を持ったものが二人登場してくる。それが構造としての自己と他者というものだ。こいつらには羽が生えていて、タケコプターのようにクルクルと奥行きと幅を回しては、一緒に手を取り合って次元を上昇していく。

2013-05-22 15:22:33
半田広宣 @kohsen

そこで事を終わらせてしまっては「主客の一致」という従来の神秘的達観の域を出ないという意味で「本性上の差異」への到達には至ることはない。問題はそこからいかなる知を作り上げるかなのだ。そこで時間と空間が混淆した時空という場を後にして、複素空間という差異の運動の場に侵入する。。

2013-05-22 15:18:40
半田広宣 @kohsen

西田哲学風に言えば「自己の中に絶対の他を見る」という感覚なのだろうが、この思考なかなか楽しいのだが、楽しすぎて眠りの中まで入ってくる始末。ここは心機一転、地上のエロでも考えることにしよう。

2013-05-22 15:32:34