「道」の薀蓄
- KumanoBonta
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*【道メモ】そもそも道路とは? 街道とは?
【道メモ1】「道」の語源はもともと「ち」で、それに「御」がついて「みち」になったと言われているとか。あっち、こっちの「ち」と同じ意味なんだと。「みち」とは、ある方向を面で指す言葉だったのが、次第に道路を指すように変わっていったらしい。
2013-05-29 20:10:28【道メモ2】道が方向を示す言葉ということは、道の呼び名が一つではないということ。 一本の道にいくつもの名前がついていたり、 http://t.co/53dboEPSKJ
2013-05-29 20:10:37【道メモ3】逆に複数ある道が全部同じ名前だったり。伊勢道や善光寺道がどこにでもあるのはそのためです。 というわけで明治に国道・県道が定められるまでは、藩に管理されていた一部の道を除いて、それぞれの道路に正式な名前はありませんでした。 http://t.co/ClxE8w17dt
2013-05-29 20:10:46【道メモ4】ということで、今日私達が「街道」と呼んでる名称は、実は明治時代に国道・県道が定められたときに同時に「○○街道」と名付けられたものの名残です。そして40年後の大正時代の道路法で「街道」の文字がなくなりました。「街道」が公的に使われていた歴史はすごく短かったわけです。
2013-05-29 20:10:53【道メモまとめ】我々は便宜上、江戸時代以前の道を街道と呼んで明治以降の道と区別していましたが (少なくとも私はそうしてる)、本来の「街道」は明治大正時代の道路を指してたんですね。 連ツイ失礼しました。
2013-05-29 20:11:02@KumanoBonta 道の語源は人が首を捧げて歩くということです。だから首という部首がついています。討ち取った敵の首を掲げて歩き邪霊を祓ったところが道です。街道歩きをする人は常識として知っておきましょう。
2013-05-29 21:02:07@KumanoBonta 道という字が出きたのは3000年以上前の中国です。ネットで、道という字の由来と検索すると幾らでも出てきます。日本の漢字はせいぜい記紀の時代ですから、少しスケールが異なります。漢字の起源も調べると面白くて、お奨めは白川静の字源,字統、字訓などの字書です。
2013-05-29 21:21:18@yuugijinn_t うおー、日本語 (みち) だけでもいっぱいいっぱいなのに、漢語 (道) まで足を踏み入れたら、一生かかっても解明できないくらいに疑問が次から次へと湧いてきそう!
2013-05-29 21:28:30@KumanoBonta 道の移り変わりを探してたり話をしたりする時に、旧道と街道とわけて使ってますね、どっちも旧道でいいんだけど、やっぱり何か江戸以前は分けたい。でも探索中、自分の頭のなかでは、「じっちゃん」「父さん」って読んでます。
2013-05-29 21:09:34@KumanoBonta 語源オモシロイ!(^^) 私は「ミチ」と「マチ」が似てるなぁ〜と思って調べてみたことがあります! 先に町があって、町と町(人のいるところ)をつなぐのが道なのかと思ったんですが、逆らしくて、「ま」は「間」のイミ、道の間に出来たのが町なんだとか〜(^^)
2013-05-29 21:13:40@sanpocafe へーっ、私も前者だと思ってた。お隣に醤油借りに行ったり回覧板持ってったりする (イメージの例えです) うちに地面に跡がついたのが道だと。確かに、けもの道を人間様も拝借したのが始まりの道もあるしねえ。いろいろなパターンが想像できるね。
2013-05-29 21:18:28@sanpocafe @KumanoBonta え、先に町があって町と町の間に出来るのが道じゃないの?って私も思ったけど、よく考えてみたら、最初に有るのは恐らく村とか集落みたいなもんで、その間に道が出来て、その道の真ん中とか交点なんかの重要ポイントに町が出来るって事なのかも
2013-05-29 21:23:34@sanpocafe @KumanoBonta 例えば市が立つ場所とか、宿場みたいな中継地とかを町って呼んだのかなって思った。あ、「市」はどうなんだろ。
2013-05-29 21:26:31@nozi_nozin @KumanoBonta そーそー、先はたぶん「ムラ」ですよね。これは音から行くと「群れ」「群がる」と同じ語源かな〜。さらにそれより前があるかもだけど。町は宿場みたいなのがスタートなんですかね〜(^^) 宿場は町の一形態じゃなく、町の原点ってゆーか。
2013-05-29 21:54:13@sanpocafe @KumanoBonta むらがるとむらかー確かに一緒な感じがする。そー。町は、村と村の間の道に、なんとなく出来た人間の吹きだまりみたいな感じがするなって勝手に思ってる。旅籠とか商売人とか芸人とか飯盛り女とか…
2013-05-29 22:06:49@KumanoBonta そういえば「街道」については、法律とかルールとかの決め事とか時間軸で考えたことなかったな。街道は海道からきてると思ってるだけだった。へぇ~
2013-05-29 21:17:29@alpsmieru 海道を「海ちゃうやん」って街道としたのも江戸時代の政府だよね。「街と街を繋ぐ未来の道路それが街道、どうカッコよくね?」ってお役所で盛り上がってたのかもと考えると面白い~
2013-05-29 21:22:57@KumanoBonta @hide195301 木下さんと式部さんの本面白いですね。古代道まで手を染めると抜けられなくなりそうなので読んだだけで止めることにしましたが、今の高速のルートが殆ど古代道と同じで、しかもサービスエリアの位置も同じというような記述にはうなりました。
2013-05-29 22:06:23*【名古屋・下街道】
ちょっと街道メモ (ほぼ自分用) 【名古屋・下街道 1】起点は名古屋伝馬町本町通の辻 (札の辻) だが、資料では大曽根と記してあるものが多い。終点は中山道大井宿のちょっと西、槇ヶ根の今宿追分。
2012-09-16 07:43:35【名古屋・下街道 2】中山道から名古屋へ下る正式なルートは、もっと西の伏見宿から下る上街道だが、江戸方面からきた場合かなり遠回りになる上に、十三峠を越える酷道ルートだったため、頻繁に下街道が利用された。
2012-09-16 07:43:45【名古屋・下街道 3】下街道は行程が楽チンだったので大人気だった。おかげで商売あがったりの中山道 大湫/細久手/御嶽宿が「ちょマジ勘弁」と何度も陳情しては、商人の下街道使用禁止令を出してもらっていた。(江戸時代の間ずっとこれを繰り返してたらしい)
2012-09-16 07:43:51【名古屋・下街道 4】そんなわけで下街道はお上から認めてもらえない裏街道だったので、街道にお約束の一里塚も本陣も宿場もない。さらに宿駅制度がないので問屋場もない。←戸口から戸口へ同じ運送屋が運んでいたので格安だった。
2012-09-16 07:43:58