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2013年6月4日

国鉄最後の日

1987年3月31日付の朝日新聞夕刊社会面の記事(文責 白井健)
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抜井規泰 @nezumi32

②)以下に転載するのは、1987年3月31日付の朝日新聞夕刊社会面の記事です。僕が社会部に在籍していた時の部長が一線の記者だったときに書いた記事です。国鉄がJRに姿を変える。その国鉄最後の日の夕刊。僕が、これまでに読んだ新聞で、3本、好きな記事があります。その1本です。

2013-06-04 02:23:16
抜井規泰 @nezumi32

③)114年間の旅の終わり。国鉄最後の日の31日、各地で「フィナーレ」を飾る催しが繰り広げられた。良くも悪くも「国民の足」だった線路が、明日から民間企業のレールに変わる。私たちはこの日、何を失い、何を得ようとしているのか。

2013-06-04 02:24:01
抜井規泰 @nezumi32

④)最後の日に誕生した「新駅」、妻子を乗せて最後の乗務につく新幹線運転士、謝恩フリー切符を手に集まった鉄道ファンたち……。旅の終わりの祭りの中で、それぞれが、失うものの確かさを見定めた。

2013-06-04 02:24:15
抜井規泰 @nezumi32

⑤)東海道新幹線「こだま」476号は31日午後零時34分、名古屋駅を静かに動き出した。東京までの2時間半余り、山本徳雄運転士(37)はハンドルを握って、8年間の新幹線運転士生活を終える。国鉄最後の日、国鉄を去るのだ。

2013-06-04 02:24:55
抜井規泰 @nezumi32

⑥)熊本の高校を卒業後、新幹線の運転士にあこがれて上京、雑役係から始めてやっとつかんだ夢だった。新会社に運転士として残れないこともなかった。だが、職場の変化になじめなかったし、郷里にも戻りたかった。

2013-06-04 02:25:22
抜井規泰 @nezumi32

⑦)辞める、と聞いて泣き出した3人の子と妻はこの日初めて、そして最後の「お父さんの新幹線」に乗る。

2013-06-04 02:25:46
抜井規泰 @nezumi32

⑧)山本さんの実家は鹿児島線の上熊本駅近くにある。少年のころ、ガキ大将にいじめられると、決まって足は停車場に向いた。蒸気機関車からもくもくと上る黒い煙と、動輪の間から噴き出る白い蒸気をながめていると、勇気がわいて仕返しに行ったものだ。

2013-06-04 02:26:17
抜井規泰 @nezumi32

⑨)中学3年の秋、東海道新幹線が開業した。東京・霞が関のビル街をバックに走る新幹線を新聞の写真で見た。スマートで、かっこよかった。「夢の超特急」という呼び方が少年の人生を決めた。新幹線の運転士になろうと決心し、高校は鉄道科に進んだ。

2013-06-04 02:26:53
抜井規泰 @nezumi32

⑩)勉強はできる方ではなかったけれど、高校の先生が骨を折ってくれて、神奈川県川崎市にある新鶴見の操車場で働けることになった。臨時雇用だった。

2013-06-04 02:27:15
抜井規泰 @nezumi32

⑪)卒業式の翌々日、熊本駅から東京行きの夜行に1人で乗った。ひな祭りの晩、列車は急行「霧島」。いまでも忘れられない。

2013-06-04 02:27:44
抜井規泰 @nezumi32

⑫)熊本駅に父や姉が見送りに来た。母の姿はなかった。列車が自宅近くの上熊本駅にさしかかった時だった。母が線路わきで、泣きながら手を振っていた。「がんばらなければ」と思った。夜汽車の窓に、学生服に坊主頭の自分が映っていた。

2013-06-04 02:28:21
抜井規泰 @nezumi32

⑬)操車場での仕事はふろ番、便所掃除、飯炊き……。1年たって職員になれた。父親は神棚にタイをあげて喜んだ、と故郷からの便りで知った。

2013-06-04 02:28:54
抜井規泰 @nezumi32

⑭)昭和49年、新幹線の運転士試験を受ける資格ができた。大学の夜間部に通いながら、5年間挑戦を繰り返して、やっと受かった。思わずバンザイをした。遠くのビルがにじんで見えた。上京して11年、29歳になっていた。

2013-06-04 02:29:33
抜井規泰 @nezumi32

⑮)新幹線の運転席は大きなカンバスだ。冬の凍える関ケ原、夏のにぎわう浜名湖、春は新緑の京都。窓いっぱいに季節が広がる。仲間も楽しい連中ばかりだった。みんな乗客を無事に運ぶことに一生懸命だった。それが誇りで、生きがいだった。

2013-06-04 02:31:59
抜井規泰 @nezumi32

⑯)だが、分割・民営化が持ち上がって、雰囲気が変わった。国労の先輩運転士が次々に営業や警備に回された。若い仲間は国労を抜けていった。言いたいことも言えない、気詰まりな職場になった。それに分割されれば、将来は郷里で運転士をしたい、という希望もかなわなくなる。

2013-06-04 02:32:27
抜井規泰 @nezumi32

⑰)妻に相談した。「思う通りにしたら」と言ってくれた。運転席で見慣れた四季のパノラマがかすみ、出口のないトンネルを走り続けるような毎日だった。

2013-06-04 02:32:53
抜井規泰 @nezumi32

⑱)3月10日、辞表を出した。東海旅客会社への採用が内定していた。その日、少なくなった国労の仲間は山本さんに抱きついて泣いた。歯を食いしばってがんばっている仲間に、すまない気持ちでいっぱいだった。

2013-06-04 02:33:18
抜井規泰 @nezumi32

⑲)辞表を出してからしばらくたった朝、食卓で「お父さんは国鉄を辞める」と子どもに言った。小学校4年の長男が涙をポロポロ出して泣いた。その子にとっても誇りだったのだろう。「ぼくのお父さんは新幹線の運転士だ」とよく学校で言っていた。妻も一緒に泣いた。

2013-06-04 02:33:42
抜井規泰 @nezumi32

⑳)4月からは熊本で保険の外交員になる。北海道生まれの妻に、申し訳ないと思う。

2013-06-04 02:34:05
抜井規泰 @nezumi32

21)退職する仲間は、休暇に入っている人が多い。だが、山本さんは国鉄最後の日の乗務を希望した。それがけじめ、と思ったからだ。

2013-06-04 02:34:40
抜井規泰 @nezumi32

22)「こだま」476号は午後3時12分、東京駅に着く。列車を止めて、ブレーキ弁ハンドルを閉めると、19年の国鉄生活の終着駅だ。

2013-06-04 02:35:04
抜井規泰 @nezumi32

23)「国鉄は青春でした」。山本さんはそう言った。/▽総線区数 201▽1日の列車本数 21,639本▽駅の数 4,925▽年間輸送人員 6,941,000,000人▽営業キロ数 21,447Km/いずれも旅客部門、年間輸送人員は60年度、列車本数は昨年11月末現在

2013-06-04 02:36:58
抜井規泰 @nezumi32

24終)僕がこれまでに読んだ中で、最も愛している記事の1本です。白井健という、僕の元上司が書いた夕刊記事です。こんな記事も載っている夕刊をご覧頂けないのは、残念だな、と。

2013-06-04 02:40:00

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