夢のあとに見た夢ノ会 第参会決起集会「映画-film-cinema 第二部」
- Hamlet___telmaH
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ボンソワール@saqrako @Strange_Actor @harapion ほか極東夢のあと消費者の皆様。「映画-film-cinema」第二部開始です。
2013-06-03 21:03:15@Strange_Actor @saqrako @harapion第一部では「映画」が我々見る側にどれほどの「精神学的」衝撃(作用)をもたらすのか。つまり「映画」が自分たちに与える「影響」を映画史初期の「前衛映画」を軸にしました。
2013-06-03 21:07:45@saqrako @Strange_Actor @harapion 「映画」とは一種の「ハプニング」であり、「暴力的に音と映像から成る情報を(ある種機械的に)劇場の大きなスクリーンや家庭用DVDもしくはVHSで洪水のように流し込まれる。と
2013-06-03 21:20:02@saqrako @Strange_Actor @harapion で見る側に「精神的作用」をもたらすと。
2013-06-03 21:22:12@Strange_Actor @saqrako @harapion で「映像と音が暴力的に~」について追求している評論家や学者の方、もしくは書籍・論文は佃煮にして売るほどあるとは思います。
2013-06-03 21:29:17@saqrako @Strange_Actor @harapion である種「ダダ」的で「シュルレアリズム」的な方向性を秘めているフェデリコ・フェリーニやジャン・リュック・ゴダールやブルイス・ブニュエルの映画に見られる「人文学的」かつ「精神学的」に関連性が高い世界感。
2013-06-03 21:35:24@saqrako @Strange_Actor @harapion で今までは「ヨーロッパ」の映画でしたが今度アメリカになると「見る側に暴力的に音と映像の洪水を流し込んでくる」映画が見る側と感情や感覚を同調させる。
2013-06-03 21:38:48@saqrako @Strange_Actor @harapion 「観客重視」=「商業的成功」を目的にした(そうでない場合も・・・)映画が主流になってきたと思います。それはやはり時代背景「冷戦」や「ベトナム戦争」、「フラワームーブメント」が影響してると思うんですが。
2013-06-03 21:42:48@Strange_Actor @saqrako @harapion どうですか?みなさまお忙しいくて?
2013-06-03 21:43:25@ketchup_tomato @Strange_Actor @saqrako 映画に関しては、ベルグソンの映画批判というのがあって、一方で純粋持続するような生きられたものの時間があるのに対し、映画とは静止画像が連続するだけで、持続とは言えない。それは機械的なものだと。
2013-06-03 21:58:19@ketchup_tomato @Strange_Actor @saqrako 実存哲学以前の生の哲学者であったベルグソンは、生命とか精神のエネルギーの側に立つ人であったから、アナログ的時間概念こそが生の固有の時間であると。それに対し映画のデジタル的時間概念は機械のものだと。
2013-06-03 22:02:38@saqrako @Strange_Actor @harapion確かに我々が見ている「映画」は「有機的」でありながらも映像を何らかの「機械的」な加わりを施されている。=デジタルであることにはちがいないですな。
2013-06-03 22:06:12@ketchup_tomato @Strange_Actor @saqrako 今日的な観点からすると、アナログとデジタル、生命と機械を、二項対立的に捉えるよりは、ハイパーデジタル的に両者を地続きに観る事はできないか。コマ数を無限に多くするとアナログに近づくのではないか。
2013-06-03 22:08:35@harapion @saqrako @Strange_Actor 「点が線になる」(安易な解釈か?)
2013-06-03 22:11:03@ketchup_tomato @saqrako @Strange_Actor このテーマ、興味を持ってもらえるか判らないのですが、昔、如月小春が機械音が好きだと言っていて、機械と人間を対立させては考えないのだと。このことは映画についても言えるのじゃないかと思ったのですが。
2013-06-03 22:11:58@ketchup_tomato @saqrako @Strange_Actor 参考までに。ベルクソンの事が書いてある。→ http://t.co/mQ6a5Y6HnR
2013-06-03 22:15:28@harapion @saqrako @Strange_Actor un.。映画に関してはそういえる場合といえない場合があると。
2013-06-03 22:15:36@harapion @saqrako @Strange_Actor たとえばロバート・アルトマンの「ロング・グッドバイ」やデヴィット・リンチの「ブルー・ベルベット」はそれに当てはまると思います。
2013-06-03 22:18:10@ketchup_tomato @saqrako @Strange_Actor ところで、最近『カフカと映画』http://t.co/8NPDqufEkD という本が出ていて、映画がなかったら、カフカの文学はあのようにならなかったと。映像が想像力を変容させる例という事でしょうか。
2013-06-03 22:19:38@ketchup_tomato @saqrako @Strange_Actor 勅使河原さん、『ブルー・ベルベット』とかの話、もう少し詳しく。
2013-06-03 22:21:20@ketchup_tomato @saqrako @Strange_Actor 『カフカと映画』にも、『吸血鬼ノスフェラトゥ』が出てきますが、この映画、ゴダールの『アルファヴィル』にも影響を与えていますし、勿論、種村季弘の『吸血鬼幻想』にも出てきますし、吸血鬼映画は侮れませんね。
2013-06-03 22:24:52@harapion @saqrako @Strange_Actor 切り取られた耳が草むらに落ちていようと「ブルーベルベット」猫缶を夜中の3時に買いに行こうと「ロング・グッドバイ」ストーリーに関係してようとしてまいとどっちでもいいっていうある種の「乱暴」さ(笑)
2013-06-03 22:26:39@ketchup_tomato @saqrako @Strange_Actor 恐怖の持つ想像力の喚起力というのは、重要です。また、吸血鬼は、文化の古層とも結びついています。それだけに、強力なものを持っています。
2013-06-03 22:27:48@harapion @saqrako @Strange_Actor 確かに「ドラキュラ」やに見られる「血」と「古典的」なストーリーはやはり見る側の非常に原始的な潜在意識への喚起力は強いですね。特にベラ・ルゴシとか。
2013-06-03 22:37:27