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水野 亮(3) @drawinghell
「作品と作者の言葉」シリーズ(?)。ヴェネチア・ビエンナーレにおける特別賞受賞を受けての作者である田中功起氏の受賞コメントならびに受賞後の一連のツイートが、作品と作者の言葉の関係を考える上でとても興味深い。以下ざっとRTする。
田中功起 koki tanaka @kktnk
ひとつだけ。special mention(特別表彰)でもらったものは一枚の紙です。そこには「special mention to」とタイプで書かれ、そのあとに手書きで「Japan」と書かれています。そこにはぼくや蔵屋さんの名前はありません。つまりこれによって
田中功起 koki tanaka @kktnk
何かが始まったり、終わったりするものではないということです。日本館で展示をしてかつて賞をもらった池田満寿夫も千住博も、個人に与えられたものでした。オノヨーコさんは名誉賞でした。だから日本(館)として賞をもらったのはあの建物が戦後に建てられて初めてのことです。だから、
田中功起 koki tanaka @kktnk
小松崎さん、日本国内でのつまらない世代間、代理闘争にこの事実を使ったり、巻き込まないでください。ぼくら、アーティストはいつもそうしたつまらない断絶をうながず発言に左右されてきました。でも、村上さんや会田さんがいなかったらぼくはいまのような活動をはじめていません。
田中功起 koki tanaka @kktnk
彼らから学んだことはたくさんあります。もちろん、個人的には知らなくても、中原浩大さんからも、中村一美さんや岡﨑乾二郎さんからも、ダムタイプからも、柳幸典さんからも、って名前を挙げていけばきりがなくて、たくさんのアーティストの名前からそれが日本の現代美術の歴史になります。
田中功起 koki tanaka @kktnk
ぼくらは連綿とつながってきているわけで、勝手にそれを切りはなさいでください。もちろん日本だけでなく、海外の美術の歴史ともつながっています。せっかく、海外でも日本の戦後美術への関心が高まっているわけで、ぼくらは単線的な歴史観をすて、複数の時代のアーティストが同時にさまざまな活動を
田中功起 koki tanaka @kktnk
展開する、そんな時代に生きています。だって李禹煥さんだって、菅木志雄さんだって新作つくっています。勝手にぼくらの繋がりを切り離さないでください。
田中功起 koki tanaka @kktnk
日本(館)での受賞は、ぼくと蔵屋さんが獲ったものではなく、たくさんのアーティストたちの試みの果てにえられたものです。ぼくらは今回、運がよかった、けど金獅子は逃しましたよね。そこまでは無理でした。でもいつか日本館で金獅子を獲りましょう。これからのアーティストに期待しましょう!
田中功起 koki tanaka @kktnk
あと受賞時のコメントもここに。「受賞できてとてもうれしく思います。この賞は、この日本館のプロジェクトに関わったすべての人たちのものです。
田中功起 koki tanaka @kktnk
ぼくらがこの展示を通して目指したことは、人びとの協働が生み出す可能性へのささやかな提案です。それがたとえはかない理想だとしても、ぼくらは少しだけ楽観的な態度でもって、この社会に、この世界に働きかけていくべきだと思います。」
水野 亮(3) @drawinghell
一読するとまさに国際展における国別代表の受賞コメントといった体で、非常に優等生的な「美しい」コメントである。しかしここで注目すべきは、これらのコメントが実は今回の彼の出品作のコンセプトと深く関わっていることであろう。
水野 亮(3) @drawinghell
今回の田中の作品は、ヴェネチア・ビエンナーレにおいて東日本大震災発生後に初めて選ばれる日本代表として、未曾有の事態を受けての経験の(そのかたちのあり方も含めての)継承と協働の可能性ということにあったのだろう。
水野 亮(3) @drawinghell
そのテーマに対するアプローチは、キュレーターステイトメントの作者による書き直しから始まって、随所において見事に昇華されているように見受けられる。つまりこの作品の「外形」は、狭く日本館内の展示に留まらず、もっと大きなものを持っているように思われるのだ。
水野 亮(3) @drawinghell
当然作者のコメントもただ言葉通りというわけにはいかないだろう。それは彼の作品の外枠を形成する一要素でもあるのだ。つまり彼の思想や信条とはまた別に、作品を成立させる要素としても田中は協働作業や先人たちの試みの果ての受賞を強調しなくてはならないのである。
水野 亮(3) @drawinghell
だからもし田中が内心では「これは俺一人の手柄だ!」とか「奴らの時代を終わらせてやったゼ!」などと思っていたとしても、それは礼儀や処世としてだけでなく、作品的にも決して口にしてはいけない事柄なのである。つまりそんなコメントを出したら作品が成り立たなくなってしまうからだ。
水野 亮(3) @drawinghell
田中のコメントにおいては協働の可能性のほかに、日本の現代美術における継承性の強調がとくに目を引く。これは大きくは、東日本大震災の体験を受けての日本という国における経験の継承とその発展という問題を照射しているのだろう。
水野 亮(3) @drawinghell
同時にそれはこれまで日本現代美術を特徴づけてきた代表的な言説である忘却性、すなわち「悪い場所」に対する、その問題提起を受けての発展的な継承(乗り越え)としても読むことができる。つまりこれは単なる儀礼上の優等生的なコメントではないのだ。
水野 亮(3) @drawinghell
自分が注目するのはやはり田中の作品の「かたち」である。公式サイトにアップされた共同ステートメントなどを読むと、最初のステートメント発表後にツイッター上で起こった議論なども含め、この作品が実現に到るまでのプロセス(作者の思考の軌跡)もまた作品として昇華されていることが窺える。
水野 亮(3) @drawinghell
つまりここでは空間的な制限だけでなく、時間的、あるいは人称的な制限も従来の常識からは遥かに拡張されているように思われるのである。そして、それ自体が今回の作品のコンセプトを体現しているであろうことは想像に難くない。
水野 亮(3) @drawinghell
興味深いのはここまで主体の人称を解体し開かれたプラットフォームとして構築された作品においても、作者である田中が未だ古典的な「作者」としての役割を担うことである。彼は自分の一言で、彼のプロジェクトに参加した人々全員の経験の意味を奪うことができる位置にいるからだ。
水野 亮(3) @drawinghell
田中の作品は確実に「作品」(今回はおそらく「展覧会」も)の新しいかたちを提示している。そのなかにおける「作者」のあり方は、自分の関心事において、非常に興味深く見えるのである。
水野 亮(3) @drawinghell
※参考:第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館公式サイト→ http://t.co/PEg6cQeqmM
水野 亮(3) @drawinghell
あらためてヴェネチア・ビエンナーレ日本館の公式ページを見てみると、やはりキュレーター・ステートメントの作者による書き直しは大きいのかなと思う。それを掲示することによって、以下の複数の効果を示せるように思われるからだ。
水野 亮(3) @drawinghell
1)作品の決定主体が作者にあることを示す(と同時に、協働作業の可能性のひとつも示す)。2)作者の思考の系譜を示す(時間的なスパンの広がりと、その重要さも示す)。3)作品が微妙なバランスで成立していることを示す。
水野 亮(3) @drawinghell
このうち作品が微妙なバランスで成立していることを示していることは、意外に重要なのだと思われる。なぜならばそれは、とかく理念に偏り対立に走りがちな震災後の日本社会に向けてのひとつのサジェッションにもなっているからだ。
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