茂木健一郎さん:第961回「英語ができることと、グローバルは違う」+第962回「国が、決めることじゃないから」+第966回「何を欲しているのか、自分との対話で知る」

 茂木健一郎さんのツイートはいつも興味深く拝読していますが、個人的に興味がある英語について、それが英語ができるとは何かについてなどですので、個人的にも後々読み返したこともあり、まとめてみます。  続く第962回も関連性が深いと感じたので、合わせてまとめにしてみました。  第966回は飢えと必要性の点が興味深かったので追加収録。
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第961回「英語ができることと、グローバルは違う」

茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート961回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、このところ考えていたこと。

2013-06-05 07:10:37
茂木健一郎 @kenichiromogi

えぐ(1)なんだか、世の中がざわざわしてきて、眠っていた日本もそろそろ目覚めそうだけど、ぼくから見るとなんだかヘンな話もいっぱいあるので、天の邪鬼だとかなんとか言われようとも、書いて置きたいと思うのだ。それで、一言でいうと、英語ができることと、グローバリズムは違うんだよね。

2013-06-05 07:13:05
茂木健一郎 @kenichiromogi

えぐ(2)まず、「英語」ということばが、世界に数千あるという言語の中で、一番すぐれているわけではない。たまたま、歴史的な経緯で、英語をみんな話すようになった。それで、英語で表現される内容のすべてが、今日の地球を生きる上で必須の教養を構成しているわけでもない。

2013-06-05 07:14:17
茂木健一郎 @kenichiromogi

えぐ(3)端的に言えば、英語というのは、今日の地球でビジネスをやったり旅行したり生活する上で、使えると便利な言語、というだけに過ぎない。英語ができる、ということ自体は、別に大したことではないから、英語ができることを目標にするという教育は、まずナンセンスだと言いたい。

2013-06-05 07:15:33
茂木健一郎 @kenichiromogi

えぐ(4)その上で、今日における進捗の焦点、るつぼが米国を中心とするインターネット文明にある、という特殊要因がある。クリエイティヴ・カモンズ、ウィキリークス、アノニマス、TEDのような動きを含む文明の胎動に触れるのは、たまたま英語という言語を通すとよい、という経緯があるのだ。

2013-06-05 07:18:04
茂木健一郎 @kenichiromogi

えぐ(5)そのような意味での英語は、文明の波乗りの先端にいようと思ったらおそらく必須だけど、いわゆる英語教育の到るところにそれがあるわけではない。多くの英語教師の感性は凡庸だし、文明の進捗が見えているわけではない。むしろ、日本語でも、そういうことを語れる人の方がましだ。

2013-06-05 07:19:18
茂木健一郎 @kenichiromogi

えぐ(6)国が先導して大学入試にTOEFLを「必須」にするという提案自体がナンセンス。教育機関は国が号令をかけて一斉に変わるものではない、というのが今のグローバル文明の文法だから。英語さえできるとグローバルと思っていると、実は古くさい価値観にとらわれていることになりかねない。

2013-06-05 07:21:01
茂木健一郎 @kenichiromogi

えぐ(7)日本において、英語をやった方がいい、英語ができればグローバル、というようなかけ声は、そういうことを言っている人の感性、世界観が時代遅れで、権威主義的で、全く自由ではないという悲劇がある。それよりも大切なのは、今の地球を動かしている改革者のエートスを肌で理解すること。

2013-06-05 07:22:29
茂木健一郎 @kenichiromogi

えぐ(8)英語がぺらぺらの空気頭になるよりは、物理ができたり、数学ができたり、プログラムができる、英語たどたどしい人の方がよほど価値があるわけで、英語ができる、ということを偉いと思ったり、それを教育目標とすることが、いかにまぬけな話か、ということをまず確認したい。

2013-06-05 07:24:03
茂木健一郎 @kenichiromogi

えぐ(9)日本の大学が変わる必要があることは言うまでもない。「文系理系」なんて区別をしている時点で、石器時代に属する。東大文Ⅰ−>法学部なんて、日本の実定法しか知らない時点で、エリートでも何でもない。単なる専門学校。でも、英語ができればグローバル、というわけでもないんだよね。

2013-06-05 07:25:49
茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート961回「英語ができることと、グローバルは違う」でした。

2013-06-05 07:26:39

字下げ等を入れつつ、一つにまとめてみます。

 なんだか、世の中がざわざわしてきて、眠っていた日本もそろそろ目覚めそうだけど、ぼくから見るとなんだかヘンな話もいっぱいあるので、天の邪鬼だとかなんとか言われようとも、書いて置きたいと思うのだ。

 それで、一言でいうと、英語ができることと、グローバリズムは違うんだよね。

 まず、「英語」ということばが、世界に数千あるという言語の中で、一番すぐれているわけではない。たまたま、歴史的な経緯で、英語をみんな話すようになった。それで、英語で表現される内容のすべてが、今日の地球を生きる上で必須の教養を構成しているわけでもない。

 端的に言えば、英語というのは、今日の地球でビジネスをやったり旅行したり生活する上で、使えると便利な言語、というだけに過ぎない。

 英語ができる、ということ自体は、別に大したことではないから、英語ができることを目標にするという教育は、まずナンセンスだと言いたい。

 その上で、今日における進捗の焦点、るつぼが米国を中心とするインターネット文明にある、という特殊要因がある。クリエイティヴ・カモンズ、ウィキリークス、アノニマス、TEDのような動きを含む文明の胎動に触れるのは、たまたま英語という言語を通すとよい、という経緯があるのだ。

 そのような意味での英語は、文明の波乗りの先端にいようと思ったらおそらく必須だけど、いわゆる英語教育の到るところにそれがあるわけではない。多くの英語教師の感性は凡庸だし、文明の進捗が見えているわけではない。むしろ、日本語でも、そういうことを語れる人の方がましだ。

 国が先導して大学入試にTOEFLを「必須」にするという提案自体がナンセンス。教育機関は国が号令をかけて一斉に変わるものではない、というのが今のグローバル文明の文法だから。

 英語さえできるとグローバルと思っていると、実は古くさい価値観にとらわれていることになりかねない。日本において、英語をやった方がいい、英語ができればグローバル、というようなかけ声は、そういうことを言っている人の感性、世界観が時代遅れで、権威主義的で、全く自由ではないという悲劇がある。

 それよりも大切なのは、今の地球を動かしている改革者のエートスを肌で理解すること。英語がぺらぺらの空気頭になるよりは、物理ができたり、数学ができたり、プログラムができる、英語たどたどしい人の方がよほど価値があるわけで、英語ができる、ということを偉いと思ったり、それを教育目標とすることが、いかにまぬけな話か、ということをまず確認したい。

 日本の大学が変わる必要があることは言うまでもない。「文系理系」なんて区別をしている時点で、石器時代に属する。東大文Ⅰ−>法学部なんて、日本の実定法しか知らない時点で、エリートでも何でもない。単なる専門学校。でも、英語ができればグローバル、というわけでもないんだよね。

――――以下、本論終了後のツイート――――――――――――

 日本の国際教養系の大学、学部の共通の弱点は、数理系に強い、コンピュータハッカー、数学オタクが少ないことで(教科的にも)、そこを強めれば、ハーバードとかに近づけるんだけどね。おそらく日本の高校生という母集団では、英語力と、数理系の能力の間に(弱い)負の相関があるんじゃないかと思う。

 数学も、一つの言語で、おそらく英語よりも大切かもしれない言語である、ということを忘れている人が多いよね。

他の方々の返信を交えてみます

茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート961回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、このところ考えていたこと。

2013-06-05 07:10:37
ボロし〜 @borosy

すごく同意。 QT @kenichiromogi: (略)一言でいうと、英語ができることと、グローバリズムは違うんだよね。

2013-06-05 07:17:22
galipso @galipso

@kenichiromogi 英語ができずにグローバルもないですよ。必要条件と十分条件の話じゃないですか。

2013-06-05 07:51:38
茂木健一郎 @kenichiromogi

英語ができないグローバルもあると思いますよ。たとえば、空気や水。 @galipso 英語ができずにグローバルもないですよ。必要条件と十分条件の話じゃないですか。

2013-06-05 07:55:23
galipso @galipso

@Yohei_Hec666 @kenichiromogi気、水、ビールがグローバルって何でしょうか?

2013-06-05 07:57:26
防災林道 @xxxAsakaze

@kenichiromogi 美味しい食べものに言葉は要らないですよね!

2013-06-05 07:58:52
茂木健一郎 @kenichiromogi

えぐ(1)なんだか、世の中がざわざわしてきて、眠っていた日本もそろそろ目覚めそうだけど、ぼくから見るとなんだかヘンな話もいっぱいあるので、天の邪鬼だとかなんとか言われようとも、書いて置きたいと思うのだ。それで、一言でいうと、英語ができることと、グローバリズムは違うんだよね。

2013-06-05 07:13:05
茂木健一郎 @kenichiromogi

えぐ(2)まず、「英語」ということばが、世界に数千あるという言語の中で、一番すぐれているわけではない。たまたま、歴史的な経緯で、英語をみんな話すようになった。それで、英語で表現される内容のすべてが、今日の地球を生きる上で必須の教養を構成しているわけでもない。

2013-06-05 07:14:17
茂木健一郎 @kenichiromogi

えぐ(3)端的に言えば、英語というのは、今日の地球でビジネスをやったり旅行したり生活する上で、使えると便利な言語、というだけに過ぎない。英語ができる、ということ自体は、別に大したことではないから、英語ができることを目標にするという教育は、まずナンセンスだと言いたい。

2013-06-05 07:15:33
afred®︎ @afred_jpn

@kenichiromogi 小難しく考える前に、道案内や世間話、ツイートやブログ、海外のサイトぐらい読める英語力が子どもたちには身につけて欲しい。たかが言語だし、できて損はないです(^ ^)

2013-06-05 07:30:20
galipso @galipso

@kenichiromogi それだけでは足りないのを「ナンセンス」というのもおかしいでしょう。必要なのは変わりませんよ。

2013-06-05 07:53:57
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