「独白~新選組隊士たちのつぶやき 第一章 斎藤一~明治二年五月~越後高田謹慎所にて」
お待たせいたしました 新連載「独白~新選組隊士たちのつぶやき」 第一章「斎藤一~明治二年五月~越後高田謹慎所にて」第1回 ゆるゆると始めていきたいと思います。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:07:29一章前文 重い空だ。 黒い雲が僅かに風に揺れたならば、間違いなく雨が落ちてくる。そんな暗くて重苦しい空の下、元新選組三番隊組長・斎藤一は、壁に凭れ遠い目をして佇んでいた。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:08:55いっそうのこと、土砂降りにでもなれば、少しは気持ち晴れるかもしれないのに。 斎藤は思う。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:09:59しかし、今の気持ちがそう簡単に晴れないことは、斎藤自身が一番よく知っていた。ここ越後高田に身を移されてから、いやそれ以前、会津で元新選組副長・土方歳三と別れたときから今に至るまで、斎藤の心は一時として晴れることはなかった。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:11:06八月前、明治元年九月二十六日、斎藤の戦は終わった。 会津藩が降伏・開城したのだ。 新政府の暴戻に憤り、会津救済に立ち上がった奥羽越列藩同盟の諸藩だったが、歴史の勢いには抗しきれなかった。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:12:29当初三十を越していた同盟諸藩が、くしの歯の欠けるがごとく、一藩、また一藩と、降伏しあるいは内通して脱落していき、ついに最後、会津一藩が残された。城内外の惨状を見聞きするにつけ、藩主・松平容保も最早、 「最後の一兵まで」 とは、とてものこと言えなかったようだ。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:13:31鶴ヶ城に籠城していた者と城外で戦っていた者を合わせて約千七百名の会津藩士達は、一旦塩川に集められ、その後、籠城していた者は東京で、城外で戦っていた者は越後高田で、正式な処分が決定するまでの間、謹慎となった。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:14:31斎藤も会津藩士に混じり、翌明治二年正月、塩川より会津若松を経て越後高田へと出発した。#試衛館の青春
2013-05-14 17:15:23謹慎所での藩士達の生活は、凄惨を極めた。 新政府から与えられる食料は、生きる為に必要な最低限の量だけ。衣類寝具なども同様だった。それ故、餓えと寒さで病に罹り、命を落す者が続出し、その状況に耐えかねて、脱走する者も多かった。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:16:42斎藤も、何度、ここを脱出し函館に行こうと思ったことか。 函館には、土方がいる。旧幕府艦隊を率いる榎本武揚らとともに、今も新政府軍と戦っている。 自分ももう一度、土方さんと共に戦いたい。 何度そう思ったことか。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:17:34しかし、斎藤は、その都度思い止まった。会津藩への処分、藩主容保公への処分がまだなのだ。脱走が、その決定に不利に働くことは容易に想像できる。斎藤は、 「今更自分一人くらい・・・」 などと考えられるほど器用な男ではない。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:19:55斎藤は、耐えた。 会津藩に義理を立てるために自分はここに残ったんだ。だから、最後まで、その義理を貫かないといけないんだ。 そう自分自身に言い聞かせて、歯を食いしばり、耐え忍んだ。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:20:49そして四月あまり、季節は既に初夏をすぎ梅雨に入ろうとしていた。 凍死する者はなくなった。しかし、栄養不良で死んでいく者は未だ後を絶たなかった。 遺体を葬る。 謹慎中の藩士達にとって、それが唯一の仕事のようになっていた。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:21:43その日も一人を葬って戻り、所作なく佇む斎藤に、男が近づき、 「五稜郭が陥ちたそうです」 小声で囁き、立ち去った。 男が去ったその後も、斎藤は、見たところ前と何ら変わることなく、ただそこに、黙ってじっと佇んでいた。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:22:32第一章 斎藤一 ~明治二年五月 越後高田謹慎所にて~ 俺、なんで、今、生きてんだろう。 ずるいですよ、土方さん。一人で、さっさと・・・。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:24:05あの日、母成峠で、土方さんは俺に会津に残れって言った。 新選組の名を背負い、会津に義理を尽くせって。 俺、一度は断った。 どうせ死ぬなら、土方さんと最期まで一緒に戦いたかった。 だけど、土方さんは許してくれなかった。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:25:24新選組は、会津には義理がある。落城寸前の会津を見捨てるわけにはいかないって。 それはわかる。 そして、土方さんが会津と共に戦いを終えるわけにいかない事も。 だけど、なんで、俺なんですか。 そう思ったけど・・・。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:27:05ああ、もう、誰もいないんだって気がついた。 永倉さんも原田さんも総司も平助も、もういないんだ。今残ってるのは、土方さんと俺の二人だけなんだって。 そしたら、急に、土方さんに逆らいたくなった。甘えてみたくなったんだ。二十五にもなった男が、恥かしげもなく。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:28:36いやだ!土方さんと一緒に行くんだ! 思いっきり、駄々をこねてやった。 もし、総司や平助だったら一緒につれていくんでしょう、あいつらと俺、どこが違うんですかって。 土方さん、驚いてた。初めてだったから、俺が土方さんに逆らったの。 #試衛館の青春
2013-05-14 17:29:40総司と平助と俺、三人は同い年だ。近藤さんとは十、山南さんとは十一、そして土方さんとは九つ違う。 俺達は、二十歳で新選組の前身、浪士組に参加した。 #試衛館の青春
2013-05-15 17:59:39浪士組は、半年後、新選組となり、局長近藤さん、総長山南さん、副長土方さん、そして俺達も一応副長助勤と幹部に名を連ねた。だけど、最高幹部三人にとって、俺達三人は、まだほんの子供だったんだと思う。 #試衛館の青春
2013-05-15 18:00:46総司と平助は、ごく自然に、みんなに甘えて可愛がられていた。鬼の副長と言われた土方さんも、二人を見る目はいつも優しかった。子供扱いしているところもあった。 #試衛館の青春
2013-05-15 18:01:52俺だって、江戸の近藤さんの道場「試衛館」に出入りしていた頃は、二人と一緒にガキみたいに戯れてた。ちょっと背伸びして、近藤さんや山南さん達の攘夷とかの話に首を突っ込んで、とんちんかんな事言って、笑われたりもしてた。けっこう可愛がられてたと思う。 #試衛館の青春
2013-05-15 18:02:44あれは、確か、十九の春、そう、今から七年前のことだ。 俺は、人を斬ってしまった。 姉上と早朝、花見をしていた時だった。前々から姉上に懸想していた奴が、酔って仲間と悪さを仕掛けてきたんだ。そんな馬鹿、相手にたくはなかったんだけど、 #試衛館の青春
2013-05-15 18:05:02姉上を守らねば。 その思いだけで、俺は刀の鞘を払った。 #試衛館の青春
2013-05-15 18:06:56