山本七平botまとめ/古代イスラエルと近代日本に共通する「文化の受容に基づく矛盾による破滅」
- yamamoto7hei
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①【カリスマ的指導者と「時代」】第一章で記したように「対ローマ=ユダヤ仮乱」は一次と二次があり、第二章で記したのは紀元70年の一次の方である。 二次の方は、見方によっては一次の未清算分の清算にすぎないともいえる。<『存亡の条件』
2013-06-02 23:57:58②ヨセフスは『滅亡について』を紀元前175年から書きはじめたから、二次叛乱の終末の「手紙の洞窟」におけるババタの死を131年とすると、その全期間はほぼ三百年になる。 ヘロデの登位から計算すれば162年。 いずれにしても、その全期間は明治以降の日本の歴史よりはるかに長い。
2013-06-03 00:27:37③叛乱の第一次・第二次の間ですら60年ある。従っていかに現代の動きが急速とはいえ、明治以降僅か百年余にすぎない日本において、文化の受容に基づく矛盾による破減がそう何回も起こる訳はあるまい。 百年に第一回、次の百年の内に第二回、そして完全壊減がありうると予想してよい状態であろう。
2013-06-03 00:57:49④戦後すでに30年すぎたわけだが、その間の事情を見ると、第一次ユダヤ叛乱後とやや似て、基本的な矛盾が解消するどころかますます複雑化し深化しているから、更に30年目の60年後に、もう一度同じような破減を迎えても不思議ではないわけである。
2013-06-03 01:57:54⑤従ってここでまず検討すべきことは、明治70年目の破減を、どのように把握すべきか、ということであろう。 もちろん 過去の日本人は、一握りの軍国主義者に騙されたバカばかりであった、 と考えるなら別だが、本当にそう考え得る人がいれば、その人にこそその名を奉らなければならない。
2013-06-03 02:27:37⑥明治以降の日本は、非常に特異な行き方をした。 「ヘレニズム文化の子孫」と接触し、その子孫による「ヘレニズム文化子孫化」が行われたとはいえ、その行き方は二千年前のユダヤ国家とは、一見、同じではなかったように見える。
2013-06-03 02:57:45⑦指導者は急速に外来文化をとり入れ(これは勿論ユダヤにもあったのだが)これを嫌ったかに見える勢力は一掃されたように見えた。 しかし非常に期間が短かったとはいえ「攘夷」という形でこれを拒否した者が政権をとると一転して「開港」になるという形は…『マカバイ記』にもあった行き方である。
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