茂木健一郎氏 @kenichiromogi 第963回【競争と、競争】連続ツイート
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きき(1)「アベノミクス」の異次元緩和で一時期上げた株価が下がってしまい、また円の対ドルレートも再び円高に振れている。心理的な「アナウンス効果」がはげおちてしまい、実質的な政策なしでは、日本経済が成長軌道に乗ることはできない、ということが徐々に見えてきたように思う。
2013-06-07 07:29:10きき(2)日本の国が発展し続けるためには、時代に合った政策が必要である。たとえば、技量にすぐれ、人間性もよく、労働意欲のある外国人を日本に受け入れることは必須。大学の国際化も不可避。自民党が担ってきた戦後の日本の成功モデルを超克しなければ、日本の再スタートは難しい。
2013-06-07 07:31:02きき(3)そんな中、憲法改正は、正直言って重要なイッシューではないだろう。特に、昨今報道されていた与党側の改正案は、日本を「次のステージ」につれていってくれるものではなく、むしろ明治以来の古い国家観に戻すもの。政策の優先順位を見極めて、冷静な判断が必要である。
2013-06-07 07:32:18きき(4)ところで、成長する際には市場原理が働くことが不可欠であり、その際には当然「競争」が必要である。しかし、この「競争」のイメージが、ひょっとすると日本人は狭きに失しているのではないかと懸念する。たとえば、大学入試。多い浮かべるのは、偏差値競争であろう。
2013-06-07 07:33:26きき(5)「偏差値」で競争するということは、つまり、同じ文脈、同じ基準での得点を争うということである。日本人が思い浮かべる「競争」は、多くの場合そのようなものではないか。ところが、経済を成長させる「競争」は、そもそも文脈が違い、基準が一致しない「競争」であることが多い。
2013-06-07 07:34:29きき(6)例えば、100メートルをよーいどーんで走り始めて、誰が一番速くゴールするか、というような「競争」ではなく、そもそもスタートラインにうずくまって地面に何か数式を書いているとか、あるいは青空を見上げているとか、そういうのが本当の意味での「競争」だと思う。
2013-06-07 07:35:42きき(7)偏差値とか順位をつけられるのは、トリヴィアル(とるに足らない)競争。種目が違ってしまえば、そう簡単には比較できない。例えば、サッカーの人と、カーリングの人と、ダーツの人はお互い偏差値がいくらで順位は何位というのはナンセンスだろう。比較できない世界に住んで、初めて面白い。
2013-06-07 07:37:56きき(8)以前から繰り返し言っているように、アメリカの大学入試に「偏差値」の概念がないのは、入学者がすぐれている点が異なるからで、たとえば数学オリンピックの金メダルと、オリンピックの金メダルと、高校から小説出版して成功、というのを、同じ基準で比較することなど、できはしない。
2013-06-07 07:39:26きき(9)一つの文脈での競争しか見れず、異なる文脈での競争がわからない。これが、日本の風土病。一部の軽薄なマスコミ報道がそのような風潮を助長している。100メートル競走に参加せず、地面に数式を書いている人こそが未来を開くということがわからない限り、日本は成長しないだろう。
2013-06-07 07:41:05