言葉の起源

意識より前に言葉があったってことだよね。こうせんさんの過去ツイより。
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半田広宣 @kohsen

@okadkotaro 「はじめにロゴスありき」を指弾する理由——コタローさんの言われるように、僕はこの一文が「根源における転倒(ニーチェ)」としての人間の領域を作っている号令として働いているだと思っているんですね。

2012-03-11 11:57:22
半田広宣 @kohsen

そして、この号令のもとではあたかも言葉が知覚と並走しているかのような錯覚(シニフイアン/シニフェのシステム)が作られてしまう。言葉と知覚の間には存在論的な転回におけるズレがあるにも関わらず、このズレが見えなくさせられてしまう、ということなんですが。

2012-03-11 11:59:42
半田広宣 @kohsen

ここでいう存在論的なズレというのは、言葉の起源に関するもので、記号論的には「シニフエなきシニフィアン」というやつです。ドゥルーズがいう「対象=x」と呼んでいるものに当たるのかな?

2012-03-11 12:05:08
半田広宣 @kohsen

知覚と言葉が対称的に、つまり可換関係だと、そこには言葉の流動は起こりえないですよね。だからそれは絶えず非可換な関係に保たれている。ここに生まれる差異、つまり余剰と欠如がいわば「空白のマス目」となって言葉を流動させていく。

2012-03-11 12:08:57
半田広宣 @kohsen

僕が問題としたいのは、では、この空白のマス目の起源とは一体何かという問題なんですね。それは当然、言葉ではあり得ない。言葉全体が持った有機的連結を前もって可能にし、かつ、一つのモノに名を送り込めるような「一即多」の文字通り、言葉の霊としての言霊となり得るようなもの。。

2012-03-11 12:14:14
半田広宣 @kohsen

僕自身は、それを前もってすべての人間の知覚を統一した球のようなものとして考えています。つまり、知覚の全体性が集まって言葉の霊(たま)を作り、今度はその霊(たま)が諸々の個物に振り分けられて行く。差異が第二段階の差異として「異化させるもの」を送り込むところのビジョンです。

2012-03-11 12:25:32
半田広宣 @kohsen

言葉で対象を把握し、個々の事物として異化させられたものとして言葉と知覚の関係を見てしまうと、言葉と知覚の関係はレッテルとそれが貼られたモノのような関係でしかなくなり、言葉のシステムに浸透している全体精神の場所も見えなくなってしまう。

2012-03-11 12:30:01
半田広宣 @kohsen

つまり、発生論的境位では言葉が作り出される前に、実は「初めに光があった」のであり、かつ、その光がすべて一つの球として召還させられるという出来事があり、そこに一つの雷光が発生し、電気的な力(欠如と過剰)となって言葉が作り出されたのだ、とするビジョンです。

2012-03-11 12:33:49