年末年始で福島と宮城に行ってみた

今年になってやっと福島と宮城を回った。Twitterやってなかったしfbでもほとんど知らせなかったけど、海岸部を中心に車で走ってみた。警戒区域には当然入れなかったけど予想以上に普通に生活されてた。
2013-06-08 01:40:55
いわきでハワイアンズとか行ってら・ら・ミュウに行って、そのまま何も調べずに海岸沿いを走って行ったらすぐに警戒区域の検問のところに到達。正月だったけど天気が良くて東北のイメージと違ってた。イメージとして千葉w雪なんてどこにもなかったし。
2013-06-08 01:44:30
警戒区域から山側に迂回して宮城方面に行こうとしたけど道が見つからずウロウロ。ガス欠になりそうになって結局いわきまで戻って、郡山に行って英雄橋がケチつけた県庁だっけ?あのあたりに行ってみたけどよくわかんなくて、どっかの神社がめっちゃ混んでた。普通にみんな元気。当たり前だけど。
2013-06-08 01:46:39
元旦だったので郡山はどこも閉まってて(無計画w)しょうがないので高速乗って仙台へ。横浜っぽい凄く整備された街だなあ。という印象。繁華街は凄く賑わってて「これなら大丈夫」って思った。なんとなくだけど。
2013-06-08 01:48:40
次の日は松島に行って北上。どこからどこまでが津波の被害だったのかわからない場所があって、たまにポツンと新しい家が建ってるのを見て、やはり街っぽいところだったんだなあ。と気づく。
2013-06-08 01:50:35
海の近くはまだまだ橋がぶっ壊れて仮設みたいな状態だったりしてた。仙台見た時は全然大丈夫じゃんと思ったのが甘かった。海岸沿いには工場らしきところに鉄骨が残っててグニャッとまがってたり。テトラポットを作りながら堤防?を直してる現場見てきた。堤防の脇には瓦礫が積み上がってた。
2013-06-08 01:53:50
1年半たった状態で、なんでここにあるの。って思って脱力したけど、これはバカたちが根拠なく反対したせいなのかな。と思って見てた。でも風が強かったけど海はキレイだったよ。
2013-06-08 01:54:46
話は戻る。いわきから、ら・ら・ミュウに行ったけど、室内で遊ぶところ?にはガキがいっぱいいて元気よく遊んでた。大晦日だったので売り場は混雑。「放射能ガー」というのが嘘のようだった。動画は撮った。埋立地らしく一部地盤沈下してて、小名浜?漁港のビルが壊れてるらしく廃墟っぽくなってた。
2013-06-08 01:57:41
この小名浜は漁業でかなり栄えたのかな。小さい街っぽいのにボーリング場があったり風俗店もあったりして活気があったっぽい。海キレイだしいい所。漁港の近くの、地元の人しかいかないようなラーメン屋で飯くった。
2013-06-08 01:59:41
ラーメン屋に入ると、地元の人たちばかり。でもしばらくして店のオバちゃんが「震災以来だねえ。元気でやってた?」みたいな話だった。もしかしたらお客さんは久しぶりの帰郷だったのかもしれない。ラーメンというより中華そばか。
2013-06-08 02:02:01
またまた話が戻る。いわきから小名浜に行く前に海岸沿いを走ると海と山が接している少ない土地が津波でやられているのを見た。そこにお寺があって初詣の人たちがいたから、自分たちも初詣した。屋台がいっぱい並んで賑わってた。もちろんガキも元気に走り回ってる。駐車場も満車で悲壮感ゼロ。当然か
2013-06-08 02:06:40
o参りを終えて海岸沿いの道を走り、なんとなく海のほうに街があるようだったので入っていってみる。すると突然家も何もない土地が目の前に広がる。向こうには堤防があって海。海から離れたところに家や商店がある。商店の中は何もない。ポストのところに連絡先のメモが貼ってあった。
2013-06-08 02:09:28
細い道を海側に進むと海に向かうように建つ小さい神社があったのでそこに手を合わせる。ところどころ継ぎ接ぎで新しい木材だったので地元の人が再建したんだと思う。さらに進んで堤防に上がると卒塔婆が建ってる。お父さんが子供を抱っこしながらお参りしてた。卒塔婆の向こうは凄く濃い青い海。
2013-06-08 02:14:37
こんな濃い色の海はあんまり見たことがない。たまたまなのかもしれない。(オレの地元は海近く)凄くいいところだから、家が密集して建っていたんだなあ。と思った。堤防から家が建ってた方を見ると、基礎部分だけが残ってるからどんな町並みだったのか何となく分かった。
2013-06-08 02:18:43
堤防から降りて細い路地を歩き、「あそこらへんが玄関だったんだろうな」とか「この家はまだ新しかったはず」思っていると、向こうのから30代くらいの男性が小走りでやってくる「ちょっといいですか」と声かけられて身構える。報道関係かと思ったから。そっち系は警戒してしまう。
2013-06-08 02:21:42
でも名刺を渡されると元々そこに住んでた人だということらしい。で「なぜ道を歩いていたんですか?」と聞かれた。意味がよくわからない。道以外どこを歩けというんだ。と思ったんだけど彼は続けた。「いや観光客の人は、人の敷地にヅカヅカ入って写真を撮るんですよ。(続
2013-06-08 02:24:18
→「でも、貴方達は道だけをちゃんと歩いていたので、嬉しくて声をかけてしまったんです。」と言われ、そこでやっと意味がわかる。たしかに自分たちは一切敷地には足を踏み入れなかったけど、実はそれ以前にその道を歩くことさえ何となく罪悪感があった。
2013-06-08 02:26:23
彼は「私の家はあの辺だったんです。あの日は休みだったのに会社に行く用事ができてしまって母親1人にしてしまったんです」と聞いてもないけど話し始めた。だから彼は会社に行ったことを悔やんでいるんだな。ということがわかった。冬だというのに立ったままで1時間くらい話した。
2013-06-08 02:29:41
原発が近いところで放射能の心配をしているのかな。と思ったけど、それよりも彼は津波でなくした母親のことのほうが気になってたし、その場所に来る観光客の振る舞いも気になってた。目の前にコンクリの建物が残っていたので「どこらへんまで津波がきたんでしょう」と聞いてしまった。
2013-06-08 02:32:04
彼の顔色は一気に曇って「そういう話はしたくないんです。未だに堤防には上がれません。海を見たくないんです」と言った。謝りながら話を変えた。その他にもいろいろ原発の補償とかで理不尽なことを聞いたし、復興に対しての市町村への苛立ちも聞いた。
2013-06-08 02:34:47
そして続けた。「福島は元気ですよってアピールする気には正直なれないです。本当は元気じゃないんだから無理するのはおかしい気がするんですよ」これを聞いて「いろんな思いがあるんだから決めつけちゃいけないよな」と反省した。
2013-06-08 02:37:56
オレ達が卒塔婆にお参りしてたのも見てたらしい。彼は堤防のほうを指さして「海のほうで遺体が発見されたのはどれくらいの割合だと思います?」と聞かれた。想像もつかないので「半分くらいですか?」と答えたら、悲しそうな顔をして「ほとんど家の下敷きとかだったんです。」と言ったと思う。
2013-06-08 02:41:01
具体的な数字を言われたけど覚えてない。とにかくほとんど海で発見されたわけじゃない。つまり彼が言いたいのは、みんな海に向かって手を合わせているけど実は「いま話してるこの周りで住民が死んでいた」ということだった。思い出しながら書いてるので話が前後してる。
2013-06-08 02:43:24
彼は津波が起きてから、すぐに家に戻ろうとしたが渋滞してるし橋は壊れているしなかなかたどり着けなかった。何処が住んでた家だったのかもわからなかったような状態だったらしい。※記憶が曖昧で間違ってる部分があるかも。
2013-06-08 02:45:50
なかなか話が尽きなかった。このまま話が終わらないのかな。とさえ感じるくらい切れ目なく話してくれた。彼と別れてから歩きながら「きっと誰かに聞いてもらいたかったんだ」と思った。話を聞くことで少しでも彼が癒されたのだったら、自分たちがその地を訪れた意味があったと思う。
2013-06-08 02:52:58