風邪で寝込んでるのにうっかり政治の話始めたら何故か仏教の話になった。何を言(ry
日本は尖閣諸島問題は領土問題ではない、何故ならそれは余儀の差し挟む余地の無い点だから、と言う考え。このスタンスは正しい。一方、竹島/独島問題については日本が領土問題だと考える一方韓国側は尖閣に於ける日本と同じスタンス。つまり同じような問題では韓国の方が上手だって事。
2010-09-18 02:57:59つまり、日本も尖閣の権利を手放す気が無いなら竹島の韓国軍のように自衛隊を駐留させてしまえば良いのだ。いや、それが穏当でないと言うなら数十人人を送り込んで生活させるだけでも良い。生活インフラを整備して、日本の公共財産を置いてしまうことだ。
2010-09-18 03:01:46別に中国の反日だの韓国の反日だのをいちいち気にすることはなくなった。自国の阿呆共と大して変わらんからだ。あれも黙らせられないのに他国のアホに口出しする権利なんか無いもんよ。
2010-09-18 03:04:01ただ、どっちも同じ存在、と括った段階で間違いが生じる事にも留意しなければならない。どちらも社会的フラストレーションを他者や弱者に向けているという意味では同列の下衆だが、その社会背景の違いや、彼らの訴え自体をスルーして良いという事にはならない。
2010-09-18 03:11:05ネトウヨの人に対して分かり易い例えで言うなら、俺達がいつまでも彼らに謝り続ける必要はないけど、だからと言って彼らの恨を否定する権利もまた無い、という事。
2010-09-18 03:14:01ここで急に仏教徒的な物言いをするのはズルいかもしれないけど、拘りが俺達の心や考えを鈍らせてしまう。彼が拘るからこっちも拘る、というのは言い訳にすらならない。彼らには彼らの拘りが有り、それを乗り越えるのは彼らの仕事。こっちはこっちで十分拘りがあって、それを乗り越えなきゃいけない。
2010-09-18 03:19:14で、その一番安易な解決法として流布しがちなのが、「関わらないこと」っていうね。まあ最悪なんですけども。これぞ思考停止の所産なんだけど、更にアレなのが、悟った口で反日情報へのコメントで「こんな奴らと関わるな」と嘯く輩。俺達の業の一面は隣人に嫌われてる事。そこから逃げてるだけ。
2010-09-18 03:24:10俺は真宗信者だから他宗の人からすると一闡提なのかもしれんが、俺の立場は自力の限界を知ってるが故。信仰にしても政治にしても、日々の生活にしても悩んだり苦しんだりして、取り敢えずの結論が出したりするが、それに拘ったらそこでおしまい。苦しみを自覚しない人がどうして心から念仏出来ようか。
2010-09-18 03:29:12韓国語では「拘る」は고집하다(固執ハダ/コジパダ)或いは구애하다(拘礙ハダ/クエハダ)。「こだわる」と和語で言うと私達には耳当たりが良いが、漢語で表現すると拘ってしまうことのアブナさも見える。「固執」は言わずもがな、拘礙はまさに「こだわり」が「さまたげる」のだ。
2010-09-18 03:47:14俺は凡夫なのでなかなかどうして拘りを捨てる事が出来ない。だから仏教クラスタなのに政治ツイートとかしちゃう。逆に言えば、生きている間は絶え間なくあれこれと悩み続けることになる。そこから自力で逃げだそうとすることを、俺はむしろ戒めたい。それは恐らく「拘りに捕らわれる」事に他ならない。
2010-09-18 03:53:24だが拘りに絡め取られないために悩み続けようとすれば、逆に悩むことに捕らわれてしまう。「ああ、悩まなければ思考停止だ!」どっちに行っても拘りは付きまとう。これが俺の感じる「自力」の限界だ。
2010-09-18 03:56:36じゃあ「他力」に答えがあるのか?正直に言えば、誰一人としてそれを保障するものはない。阿弥陀如来だって実在するかどうか誰も証明なんて出来やしない。じゃあ他力が俺に与えてくれる物は何か?「この世に確かな物なんて無いことを再確認」させるタイミングだ。
2010-09-18 03:59:57「この世に絶対に確かな物なんて無いんだ」なんて言ったら誰でも不安になるかも知れない。特に安心して暮らしたい、悩み無く朗らかに生きたいと思ってる人にとっては。でも少なくとも俺は逆に安心する。俺の悩みや拘りや思いこみなど何一つ絶対的に俺を束縛する物ではないのだと。
2010-09-18 04:05:10ふと冷静になれば、俺は俺でしかない。悩んだり拘ったりしてばかりの一闡提の凡夫だけど、生きている限り地に足の付かない不安に苛まれているけど、他人との軋轢に怯え暮らしているけど、そしてそれらから逃れようとすればするほど絡め取られてしまうけれど、それらが有っても無くても俺なんだと。
2010-09-18 04:10:23敢えて自覚的に言うのは、信仰すらも俺個人という枠組みの中では結局「拘り」でしかない、という事。別に俺は何かを悟った訳ではないのだから。だから俺は「現世利益」や「成仏極楽」といった「安心」を求めて念仏しているのではない。それらは生命保険並に俺達の生活を安堵してくれはしない。
2010-09-18 04:18:15