濱口竜介の「はじめのことば」 ②演技における即興性とは
- Hamaguchi_Films
- 2342
- 0
- 0
- 0
毎夜のツイートのはずが、気がつけば夜明けです(いやー、結構大変なんすよこれって、別に誰に望まれたわけでもないのでアレなんですが)。本日は我ながらまだ謎の多い「即興演技ワークショップ in Kobe」(http://t.co/bJgd9LETDm)について。
2013-06-10 05:45:18こちら(http://t.co/bJgd9LETDm)にもありますが、今回は「即興演技ワークショップ」と言っても、例えばひたすらアドリブを繰り返すとか、そうしたことはしません。どちらかと言えば演技の「即興性」を高めるにはどうしたらいいかを考えたいのです(あれ、わかりづらい?)
2013-06-10 05:48:20ものすごく簡単に言えば、僕にとって演技の即興性が極めて高まっている状態というのは「普通に会話ができる状態」のことです。我ながらまだまだ危うい言葉遣いですが、他に言いようもないので、とりあえず続けます。いずれもっと適当な言葉が見つかるかも知れないし。
2013-06-10 05:51:19日常の中で「普通に会話」をできているときにふと覚醒して思うのは、「ああ、今ここにカメラがあったならば、もうそれだけで映画なのに」ということです。僕にとって、最も素晴らしいことは「普通に会話する」ことの中から生まれて来ますし、そのときはそれを「日常」と呼ぶのはためらわれるほどです。
2013-06-10 05:52:44このワークショップ(http://t.co/UDWPvsWmeE)で目指されるものも、基本的には「普通に会話できる」状態を創ったり、保ったりすること、しかもそれを集団的にすることです。それは台詞を言うのでも同じことです。そして「普通に会話」の中には当然、沈黙だって含まれるでしょう
2013-06-10 05:55:08そう言うと、じゃあ今回のワークショップって「しゃべり方教室」みたいなこと?ということになりますが、違います(違うつもりです)。「普通に会話をする」ことを、多くの人の前で、究極的にはカメラの前でできること、しかも繰り返せるようになることが目標と言えるかもしれません。
2013-06-10 05:56:19「普通に」を繰り返すと、それがひどく簡単なことにも思えますが、どうもそうではないようです。万人の目であり得るカメラの前で「話す」、ということは多くの人にはとても負担のあることです。それを生業としている役者にとってもそれは変わらないことだと想像します。
2013-06-10 05:57:57時に、「演技」というものが単にカメラの前で自分をさらけ出すことを避けるための自衛策になっているのを見ると非常に歯がゆくもなりますが、仕方ないこととも思います。カメラの前に立つというのはそれだけ危険なことであって、役者は誰より(無意識的にでも)そのことを理解している存在だからです。
2013-06-10 05:59:15実感に即して言えば、カメラの前で「普通に会話をする」というのはまったくあり得ないことなんです。しかし、あり得ないからこそ、それを収めるのはカメラの夢でもあります。この夢へと至る鍵として、今回は「話す」ことの影に隠れがちな「聞く」ことについて考えてみたいと思っています。
2013-06-10 06:02:19「聞く」「話す」「動く」が今回のワークショップの三本柱なのですが(http://t.co/bJgd9LETDm)、長くなりましたんで「聞く」ことについては明日。「動く」に関してはまたその次に。「即興」とは何か、までたどり着くのはいつなのか。気づけば朝ですな。おはようございます。
2013-06-10 06:04:00