「批評、評論について。そしてどうあるべきか。」美術家石森五朗さんの連ツイ
もう、なんていうか美術評論家の自分を権威化するような文章の言い回しと抽象的言語を用いて結局何も語っていない文章とか読むと、怒りを通りこして物悲しくなるな。
2013-06-09 22:05:02
①批評について書きます。 批評や評論の役割は作品またはコンテンツに意味付けや価値付けをし、それを問題提起を含めて普遍化させることだと思う。 それは社会的な視点や美術史からの視点、作家側の視点にたったりと複数の方向(文学、音楽、映画、社会思想、政治など)から光を当て考察し、
2013-06-12 21:05:14②理解できる論理的な文章で語るべき。そして印象論はそのひとつでしかない。 様々な視点から語ることがすべてではないけれど、批評の"厚み"というのは、こういうところから生まれると思う。 そして作品を解体し分析していくうえで問題点を明らかになれば指摘し、
2013-06-12 21:11:15③改善するべき方法もしっかり提示するべき。 作品に深くコミットしていけば、ハイコンテクストな領域に踏み込んでいってしまうこともある。しかしその難解な言説を論理的な文章に置き換えられるかはその批評家の"力"なんだよね。
2013-06-12 21:17:38④あと批評家はその語る対象の”分野”がどの文脈と深く結びついているかを見極める冷静な”視点”も必要だと思う。現代ARTであったら、世界情勢、アングロサクソンの動向、美術史、Power 100、あと自国の社会状況とその思想体系でしょうか。(ゴシップも含めてかな。)
2013-06-12 21:25:55⑤そしてその紡いだ言葉によって議論が生まれるかもしれないし、それが歴史の一部として組込まれるかもしれない。批評の力によって"新しい可能性"と"指針"が見出されることもあるだろう。 批評や評論はこういった責任もあり、人々の見かたを変え様々な示唆に含んだ視座を提案しなければならない。
2013-06-12 21:28:40⑥上から目線で否定し難解な単語と横文字を多用させ、自分の頭を良く見せる欺瞞に満ちた論法や小綺麗な飾り言葉を並べて空虚な文章を書いても何も意味がない。 それは逆説的に、自分自身の想像力のなさと知的退化した自分を露呈しているだけだ。
2013-06-12 21:34:23⑦もっともっと個別に言いたいことはたくさんあるが、今はやめておこうと思う。以前、友人にも話したのだがすべては舞台を整えてからということで。
2013-06-12 21:37:19⑧最後に作品を制作している作り手も、もう少し疑いの目を持ったほうが良いと思う。インテリの言葉遊びに騙されるなと。なぜなら結局のところ、体を張って傷つくのは大体において作家なのだから。
2013-06-12 21:42:12