「社会的なもの」と「新しい労働社会」 by 市野川 容孝×濱口 桂一郎

いずれジュンク堂さんが録画を上げてくださるそうですが、取り急ぎまとめてみました。 (ジュンク堂さんのサイトに上がるのは早ければ一週間ぐらいだそうです) 2013年6月11日(火)19:30~21:00 ジュンク堂池袋店にて
27

hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)で取り上げられ、間違いをご指摘・修正いただきました!
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-cd63.html

濱口先生、大変お手数かけてたいへんすみませんでした。m(__)m
ありがとうございます!

ありす @alicewonder113

昨日のジュンク堂のトークイベントをしばらく連ツイします。

2013-06-12 08:38:59
ありす @alicewonder113

濱口:The Socialというのは「社会」じゃないんだよね。昔ヨーロッパ行って雇用社会局にいた時、みんな「ソーシャル・ヨーロッパが危機に瀕している」と言っていた。「ソーシャル・ヨーロッパVSリベラル・ヨーロッパ」。自分にはヨーロッパ行くまでその「レセプター」がなかった。

2013-06-12 08:39:30
ありす @alicewonder113

(ハマちゃん先生が雇用社会局にいたと言ったのかはメモからは定かでなく自信なし)

2013-06-12 08:40:37

(濱口さんより)ここは、日本はEUの加盟国ではないので、わたくしは欧州委員会の雇用社会総局に勤務することはできません。私がいたのはEU日本政府代表部で、そのカウンターパートが欧州委雇用社会総局であり、欧州労連でありました。

ありす @alicewonder113

濱口:日本に戻ってきたら、誰もそのレセプターを持っていない。ソーシャル・ヨーロッパを言うのは欧州労連なんかで、労組の内部に社会政策局というのがあって、そこでは別に労働政策とか福祉とかやるわけじゃなくて、教育のこととか環境のこととかやるわけ。そういう感覚。

2013-06-12 08:41:11

(濱口さんより)ここは多分、言葉が足りなかったんだと思います。欧州労連はソーシャルの感覚を持ってるけれど、日本の組合はねぇ・・・、という文脈で、日本の連合には「社会政策局」ってのがあるけれど、その仕事は労働でも社会保障でもなく、それ以外(教育や環境)なんだよね、いかにソーシャルの感覚がないか分かるよね・・・という話でした。

ありす @alicewonder113

濱口:ドイツ基本法20条に、ドイツとは「民主的で、ソーシャルな連邦国家」だと書いてある。フランスも「社会的な国家、社会的な共和国」だと。国家は人が集まってできてるから当たり前っちゃ当たり前なんだけど。国家が社会的に運営されるのは。

2013-06-12 08:48:17
ありす @alicewonder113

5)濱口:ところが日本でいう社会学における社会的なものというのは、2人ないし複数の人が意識し合って何かやったらそれで社会的だという。本来社会的なものというのは剥き出しの資本主義に対する批判の言葉なんだけど、そういうものは今の日本にない。

2013-06-12 08:48:43

(濱口さんより)すいません、この二つは市野川さんの発言です。

→発言者を間違えるとは!たいへん失礼いたしました(汗)

ありす @alicewonder113

6)市野川:『世界』5月号で内橋克人さんと寺島実郎さんが対談してるんですが、内橋さんが、「民主党はリベラルだった。(政権交代したけど)今必要なのはリベラルだ、お任せを超えてリベラルへ」と。でも今さらリベラルで政治が何ができるのかと。

2013-06-12 08:53:57
ありす @alicewonder113

7)濱口:象徴的なのは、こないだ政府と経営側と労組で三者協議やろうといったとき、民主党が「共産主義みたい」と言ったでしょ。レセプターがない。まさにリベラル。欧米では三者協議当たり前。ソーシャルパートナー、ソーシャルダイアログと言ったら、労使のことなの。

2013-06-12 08:57:43
ありす @alicewonder113

8)ちなみにNGOはシビルパートナーという。

2013-06-12 09:01:20
ありす @alicewonder113

9)日本にはこの感覚がない。それでソーシャルで政治を語るとどうなるかって話。

2013-06-12 09:01:35
ありす @alicewonder113

10)市野川:日本にもかつて、ソーシャルはあった。社会党は支持母体は総評で。いま、ネオリベとか批判する人に、じゃあどうしたいのといっても、言葉が出てこない。かつてあったソーシャルなものを思い出そう。古来よりそれがどう語られてきたか。政治の選択肢の一つとしてあった。

2013-06-12 09:05:22
ありす @alicewonder113

11)市野川:1993年の『正論』で西部すすむが「始まるかソーシャルとリベラルの対決」と題して書いてるんだけど、実はその時すでに、日本の議会政治の中にはソーシャルの文脈はなくなっていた。

2013-06-12 09:09:49
ありす @alicewonder113

12)濱口:その空洞化はもっと前から。当時自民党はソーシャルだった。(しばらく、党名と、ソーシャル/リベラルが一致しない話)西部がイラだっていた構造は、60年代に確立していた。

2013-06-12 09:13:15
ありす @alicewonder113

13)市野川:民主党は連合とくっついてるけど、議員の系列は社会党や民社党。ところがこの人たちは社会的という言葉を言わなくなってしまった。そしたらリベラルだと(90年前半)言われ出した。山口二郎さんはリベラルは人々を分散させる、切り離していく言葉だという。

2013-06-12 09:17:01
ありす @alicewonder113

14)市野川:確かにリベラルは、寛容な概念で、多様性を認める。これはこれで重要なんだけどそれだけではだめで、ソーシャル、人々を結合させ、まとめ上げる言葉、リベラルとは異質なものが、並列になっていないといけない。

2013-06-12 09:20:14
ありす @alicewonder113

15)内田樹さんは共産党宣言をひいていて(※文献名失念)、「万国のプロレタリア団結せよと。これは英語でいうとuniteだけど。それは合意を見出して結合するプロセスであり、ソーシャルダイアログである。

2013-06-12 09:26:27
ありす @alicewonder113

16)濱口:何で90年代からリベラルが人気になったか。60年代から80年代の日本はあまりにも「社会的」だった。欧州の広がりを持ったソーシャルとは違っていた。社会的なものは会社的であり、有難いとともにウザったいものだった。

2013-06-12 09:30:06
ありす @alicewonder113

17)濱口:それで90年代に反発が噴き出た。「これからは会社人間じゃだめだ」「社畜はだめだ」引き離すリベラルがカッコ良かった。「もういいよ」「自由にやらせてよ」という感じ。

2013-06-12 09:30:23
ありす @alicewonder113

18)産業化によってバラバラになった人々をどう連帯させるかといったとき、日本には中世ギルド的なものはなかったから、まずは一緒に働いている人と何とかしようとして、気づいたら企業で社会的なものが担われるようになっていた。

2013-06-12 09:34:29
ありす @alicewonder113

19)濱口:60年代には皆、終身雇用の年功序列はダメだと言っていた。ところが70年代になると、欧米より日本のパフォーマンスがいいということになって、日本はすごいんだという話になった。ここで切断がある。なんでそうなのかというのが議論されないできた。

2013-06-13 21:54:45
ありす @alicewonder113

20)濱口:ところが90年代になってバブルが崩壊すると、またしても手のひらを返したように、日本はダメだという論調になった。(それが90年代のリベラル賛美につながっている)

2013-06-13 21:55:09