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多分 #掛算 タグを使っているからには

@denkounezumi さんと @cosycube さんのやりとりが興味深かったのでまとめました。
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denko @denkounezumi

多分 #掛算 タグを使ってるからには、「解答の示し方を教師が押し付けていいのか」に関する問題提起なんだろうけど、こればかりは伝える努力を怠ってると言われてもしかたなかろ。

2013-06-14 23:12:15
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 「伝える努力を怠ってる」の主語は何ですか?

2013-06-15 02:34:53
denko @denkounezumi

@cosycube ああ、解答をする人が、です。ここでは小学生の娘さん、とか

2013-06-15 02:38:44
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 すると、小学校の算数のテストって、小学生が配慮しないといけないほど算数ができない大人がテスト問題作って採点しているとお考えなんですね?それとも何か別に理由があるのでしょうか?そうなら、それは何ですか?

2013-06-15 02:47:58
denko @denkounezumi

@cosycube 小学生がテストで「自分の正当性を伝えるにはどうすればいいか」を考えなければならないことを指して、大人が算数できない/大人の採点の仕方が悪い とは思えませんね。「導出過程や手段も示すべき」と促すために、答案に△をつけるべきかどうかという問題はありますが。

2013-06-15 03:32:32
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 「小学生がテストで「自分の正当性を伝えるにはどうすればいいか」を考えなければならない」って、しばしばおかしいんですよ。掛算習いたてで四苦八苦してる子に、プレゼンまでやらないとペケとかですね。しかも恣意的で教えてないなマナーを守らないといけない。

2013-06-15 03:35:39
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 それはやはり「大人が算数できない」と言われても仕方ないでしょうし、「大人の採点の仕方が悪い」んですね。「導出過程や手段も示すべき」と促すために、答案に△をつけるべきかどうかというのは問題であるわけです。そして、生徒は式も答えも示している。

2013-06-15 03:37:54
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 式で掛けている順番が違う。その順番とはどこから出てきたのでしょうか?授業では確かにある順番でやってみせた。それは説明サンプルでしかありません。同じ文章題で一度にいろいろやってみせると、習い始めるときは混乱もするでしょう。

2013-06-15 03:39:46
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 あるいは、先生ごとで違っていても困る。なぜなら、違うクラスの生徒同士で勉強の話をして、言うことがそれぞれ違うと分からなくなる。説明の仕方の違いを子どもに解決させるのは酷いと言わざるを得ません。だから、説明は統一してよいわけですし、するべき。

2013-06-15 03:41:26
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 しかし、説明サンプルはサンプルでしかなく、掛算のルールとは言えません。もし、ルールであるなら、そのルールの根拠は何でしょう?数学にはなく。だから学問としての算数にもありません。もし算数にだけあると困る。算数の正しさを保証するのは数学だからです。

2013-06-15 03:43:29
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 算数は数学のサブセット(一部分)ですから。では教育効果でしょうか。順番をどうやっても答えが正しいことはすぐ後で習う交換法則です。それ以前に順番はどうでもいいというのが掛算です。数学としては、です。掛算記号は前後に何を書くか全く決めていません。

2013-06-15 03:45:55
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 すると、3匹の2本耳の兎の耳の数は、3×2でも2×3でも正しい。掛算を自由に使える大人はそうしています。買い物レシート見ても分かる話ですし、実務で掛け順に拘ると、むしら叱責されるくらいです。それが世間の常識なわけです。

2013-06-15 03:47:38
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 数学、一般常識、そうしたことに反してまで掛算の数の順序次第で間違いだとし、それがなぜ間違いなのか子どもに説明できるでしょうか?威圧して黙らせたりせずに、です。子どもが納得するように、ですね。もちろん、保護者も納得できる必要があります。

2013-06-15 03:49:21
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 そういう子どもも保護者も納得できる説明をお持ちですか?そして、それは算数の上達にどのように役立ちますか?もちろん、掛け順でペケにされてびっくりし、よく分からない子が主役ですよ。そして、掛け順の有無を比較しての説明でなければなりません。

2013-06-15 03:51:42
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 掛け順を守らせて勉強させても、確かに算数は上達します。物凄く間違ってない限り、勉強すれば伸びるものです。問題は、そうでない場合との比較なんです。掛け順がない前提で学んだ場合と比較してどうか。それのない掛け順推奨論は無意味です。どうですか?

2013-06-15 03:53:20
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 どうなんですか?掛算の順序が自分の正当性を伝え、算数の上達に役立つとおもっているのではないのですか?何らかの根拠があって、そうお考えではないのですか?例えば個人的に経験したことでもいい。意見を述べるのに制約はないですから。何かあるはずです。

2013-06-15 03:56:56
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 私は一方的に「掛け順駄目」なんて思ってはいません。貧弱で狭いながらもいろいろ見聞きするようにし、他人から教えを乞い、話もし、何よりも自問自答を自分としては徹底的にして、頭一つ「掛け順なしのほうが良さそう」と思っているだけです。

2013-06-15 03:59:02
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 例えば「二重盲検法に準拠した相関研究をしたら、掛け順を強く推奨したグループの方が統計的に検定しても、義務教育トータルで有意に良い結果となった」といった研究結果が複数出れば、いつでも意見を180度変えますよ。ですから話はお聞きします。

2013-06-15 04:01:04
denko @denkounezumi

@cosycube 別に掛け順にこだわれば解答を説明しやすいと思っているわけではないですよ。ただ、生徒が何らかの手段で自分の考えを説明して、先生が答案に×や△を付けるってことは、先生と生徒が互いに違う考えを持っていたときの、コミュニケーションのきっかけだろうと思います。

2013-06-15 04:11:25
denko @denkounezumi

@cosycube 今回話題にしようと思ったのは、「さすがに何も過程が示されてなかったら、先生は△付けてでも、説明するように求めるしかないんじゃない?」ってことだけです。

2013-06-15 04:11:46
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 思った通りの掛け順だったら無条件に正解とし説明も求めない。逆だったらペケして説明をさせる。それがどういうことか、きちんとお考えになられましたか?かなり残酷な状況ですよ。相手は小学2年生なんです。対しているのは、大人、しかも先生です。

2013-06-15 04:15:45
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 もし逆順なら説明させ、思った通りの掛け順なら無条件でいいのでしょうか?思った通りの掛け順は何を意味しているか、きちんと説明できるのでしょうか?でしたら、ぜひお話をお伺いしたいと思います。このタグを始めた数学者で親である人も知りたがっています。

2013-06-15 04:17:53
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 繰り返しお尋ねします。一方だけに説明を求めるのはなぜですか?そういう状況が生徒に与える影響も含めて、お教えを乞いたいと思います。

2013-06-15 04:18:54
Salah Rieman @cosycube

@denkounezumi #掛算 どうなんでしょうか?ちなみに、他の生徒が何も言われていないのに、自分だけが説明しろと言われる状況ですよ。そういうことをさせられるのは普通は悪いことをしたときくらいです。そういう前提で説明させるのですか?そうでないなら、どう訊きますか?

2013-06-15 04:23:21
denko @denkounezumi

@cosycube 僕が思うに、掛け順を一辺倒で説明するのは、ある問題提起から数式に起こす作業を機械化するためでしょう。基本的な思考回路の形成とでも言いますか。

2013-06-15 04:29:37
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コメント

takehikom @takehikom 2013年6月15日
何が興味深かったかというと、@denkounezumiさんが「#掛算」のタグを書いているのは最初の一つだけで、その後の@cosycubeさんへのツイートでは使用していないところです。このタグに対する、お二方の距離を見ることができたのでした。
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takehikom @takehikom 2013年6月15日
私自身も、距離を置くようにしています。何か面白い話はないかと http://hashtagsjp.appspot.com/tag/%E6%8E%9B%E7%AE%97 にアクセスし、たまに #掛算 タグを付けてツイートしていますが、連続してまとまったことを言おうと思う度合いは減りました。着想をもとに、Webや書籍をかき集め、ときにはコーディングをして、ブログ記事にするほうが、性に合っています。
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takehikom @takehikom 2013年6月15日
ツイートをつまみ食いします。まず「3匹の2本耳の兎の耳の数」に関しては、1979年に遠山啓が講演した件が文字になっています。そこからは「3×2でも2×3でも正しい」は得られません。1972年の科学朝日の記事(6×4,4×6論争にひそむ意味)のあと、遠山はシェーマを変更しているのですが、そのことに配慮した上で「3×2でも2×3でも正しい」と主張している人を見たことがありません。
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takehikom @takehikom 2013年6月15日
「6×4,4×6論争にひそむ意味」は http://www.amazon.co.jp/dp/B000J8MZYC に、1979年の講演は「内包量・外延量と微分積分」と題して http://www.amazon.co.jp/dp/B000J7WQJW に収録されています。
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takehikom @takehikom 2013年6月15日
「算数は数学のサブセット(一部分)」には異論ありませんが、どのような包摂関係にあるかは、少し気になります。例えば、数学者ハイマン・バスによる数学教育(小学校の算数教育)への見方や関わりについて、http://hdl.handle.net/2433/140889 の文献の中でいくつか訳されています。「数学教育は,数学ではない」という文から始まる一節が、おすすめです。
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takehikom @takehikom 2013年6月15日
「二重盲検法」によって、かけ算どころか算数・数学教育の効果を測定した事例を聞いたことがないので、それを含むツイートは、聞きかじりの開陳、もしくは威圧のつもりでしょうか。なお、「エビデンス」に関しては以前に http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130123/1358888400 としてまとめたことがあります。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月16日
雉も鳴かずば撃たれまい(苦笑)。「何が興味深かったかというと、@denkounezumiさんが「#掛算」のタグを書いているのは最初の一つだけで、その後の@cosycubeさんへのツイートでは使用していないところです。このタグに対する、お二方の距離を見ることができたのでした」。距離ではなくスタンスだけどね。読み取りが甘い、つーか相変わらずできていない。教えておいてあげると、人前で話せるかどうか、そういったことだ。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月16日
takehikom 「私自身も、距離を置くようにしています」。ツイッター以外でも全力で逃げたもんねぇ(笑)。何か面白い話はないかと http://hashtagsjp.appspot.com/tag/%E6%8E%9B%E7%AE%97 にアクセスし」て、Sparrowhawk氏のファンになったのかね?(苦笑)「たまに #掛算 タグを付けてツイートしていますが」、宣伝だったね、全部。その前は何か言っていたような気もするが、言うたびにけちょんけちょんに言われて逃げてたね。もう大丈夫?
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月16日
takehikom 「連続してまとまったことを言おうと思う度合いは減りました」。大変に助かるよ。愚かな人を教導するのは難しくてね。馬を水飲み場まで連れて来ることはできるが、水を飲ませることはできない。そんな感じだね。「着想をもとに、Webや書籍をかき集め、ときにはコーディングをして、ブログ記事にするほうが、性に合っています」のなら、Togetter使って遊ばないほうがいいと思うよ?(苦笑)S氏と似た者同士なら二人で遊んでお出で。大人の話に関わらん方がいいだろうね。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月16日
takehikom 「ツイートをつまみ食いします」。あなたのガクシキって全部つまみ食いだからねぇ、まあ今さら仕方ない。「まず「3匹の2本耳の兎の耳の数」に関しては、1979年に遠山啓が講演した件が文字になっています」。明治時代からあるよ、遅くともね。「そこからは「3×2でも2×3でも正しい」は得られません」。遠山啓はそう言っているが?ただしトランプ配り論法だがね。トランプ配り論法は『百歩譲ってそうだとしても』ということだよ。そもそも順序が存在しない。遠山啓の個人的な数学観はどうでもいい話だ。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月16日
takehikom 「1972年の科学朝日の記事(6×4,4×6論争にひそむ意味)のあと、遠山はシェーマを変更しているのですが、そのことに配慮した上で「3×2でも2×3でも正しい」と主張している人を見たことがありません」。それで?あなたの判断は?あぁ、いつもなかったんだったね、いつも通りのようだ(苦笑)。私の判断は『遠山啓がどう言ったかなど知ったことではない。なぜなら数学は個人に依存していない以上、当たり前の話だ』ということだ。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月16日
takehikom 「「6×4,4×6論争にひそむ意味」は http://www.amazon.co.jp/dp/B000J8MZYC に、1979年の講演は「内包量・外延量と微分積分」と題して http://www.amazon.co.jp/dp/B000J7WQJW に収録されています」。それで?3行で説明してご覧(笑)。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月16日
takehikom 「「算数は数学のサブセット(一部分)」には異論ありませんが、どのような包摂関係にあるかは、少し気になります」。知りたいなら、調べて考えればいいだろうね。面白いとは思えんがね。「「例えば、数学者ハイマン・バスによる数学教育(小学校の算数教育)への見方や関わりについて、http://hdl.handle.net/2433/140889 の文献の中でいくつか訳されています」。ふーん、そうなの。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月16日
takehikom 「「数学教育は,数学ではない」という文から始まる一節が、おすすめです」。なぜお勧めなのかということだ。あなたには常にそれがない。複写機は不要だよ。人間になりたまえ。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月16日
takehikom 「「二重盲検法」によって、かけ算どころか算数・数学教育の効果を測定した事例を聞いたことがないので」つって、例えばの話なんだけどね。それくらい読み取れるようになりたまえ。だから、あなた相手にモノゴトは教えられないんだよ。「それを含むツイートは、聞きかじりの開陳、もしくは威圧のつもりでしょうか」。あなたにとっては、そう見えるんだね。不勉強にして思考停止なことだ。あぁそうか、例えばの話かどうかも読み取れないんだったね、それでは無理もないか(苦笑)。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月16日
takehikom 「なお、「エビデンス」に関しては以前に http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130123/1358888400 としてまとめたことがあります」。我田引水、手前みそは不要だよ。不味い水と不味い味噌で作った味噌汁など、無い方がましだ。えーっと、あなたのTogetterまとめ、他にあったっけ?(笑)
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takehikom @takehikom 2013年6月16日
1979年の遠山の講演のうち兎を含む内容は、http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20121215/1355501672 で取り上げていますので、関心のある方はご覧ください。「3匹の2本耳の兎の耳の数」を式にすると3×2か2×3か、3+3か2+2+2か、は論じていません。もっと根源的な話です。
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takehikom @takehikom 2013年6月16日
「根源的な話」を言い換えると、「かけ算の構造とは何か」です。国内では1970年代、海外でも同時期から1990年代にかけて、かけ算の構造やモデルが分類され、書籍が出ています。「構造」という言葉は、銀林(1975) http://www.amazon.co.jp/dp/B000JA277K の章題のほか、Vergnaud (1983, 1988)でも"Multiplicative Structures"というタイトルで見ることができます。
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takehikom @takehikom 2013年6月16日
かけ算の構造・モデルに関してはSchwartz (1988) http://www49.atwiki.jp/learnfromx/pages/109.html やGreer (1992) http://www49.atwiki.jp/learnfromx/pages/26.html も重要になってきます。ここまで挙げた英語文献は、算数教育に関する国内外の論文や解説書で引用されてきたものです。
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takehikom @takehikom 2013年6月16日
ところで、「かけ算の構造とは何か」という問題意識で論文や解説書を読んでいくと、単一で簡潔な答えを書いているものは見かけません。2つまたは3つに大別しています。最小字数だと「倍と積」です。例えば http://ci.nii.ac.jp/naid/110000094748 の文献では、倍を対象とし積は対象としないことを明記しており、そこから倍と積の区別を前提としていることが確認できます。
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takehikom @takehikom 2013年6月16日
それと、遠山が「6×4,4×6論争にひそむ意味」を執筆した際には、そういったかけ算の構造(の分類)に関心がなかった可能性が高いです。というのも文章中で、ミカンを配る問題と、机の数の問題を同一視しているからです。
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takehikom @takehikom 2013年6月16日
(個人的に知る限り)1970年代以降の国内外の文献の蓄積、そしてさまざまな教材開発を通じた実践を経て、「2年生の導入時では,被乗数と乗数を明確に区別して扱っている」(布川、2010、http://ci.nii.ac.jp/naid/110007994852 )に至っており、現在においてもこれを踏まえて授業やテストがなされていると考えるべきでしょう。
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takehikom @takehikom 2013年6月16日
http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130324/1364071092 から抜き出します:現状は,授業や指導の工夫,教科書や出題などの配慮によって,「2年生の導入時では,被乗数と乗数を明確に区別して扱っている」(略)が確立していますので,言ってみればこの通説に反する側に,それは不適切であることをエビデンスとして示す責任があります.
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takehikom @takehikom 2013年6月16日
エビデンスとしては、現状のかけ算の指導法で、学習に困難を感じている児童がどれくらいるのかの実態調査からでしょうかね。これもまた、現状がおかしいと思う人々が実施するべきなのですが、実際にそれを行い、報告書や論文にしたところで、「ではこれまでの指導法をやめよう」とならない(「より丁寧に指導して定着させよう」となる)可能性もあるので、やりたがる人はいないような。
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takehikom @takehikom 2013年6月16日
英語だと、かけ算の指導法について対照実験(二重盲検法ではなく)を行っている論文 http://dx.doi.org/10.1016/S0885-2014(01)00058-2 や、小学校2~3年でどのようなかけ算(わり算も)の問題が解けるようになるか、どんな方略で答えを出すかを調査した論文 http://www.merga.net.au/documents/MERJ_4_1_Mulligan.pdf があります。「エビデンスとして(誰が)何を示すべきか」を考えている方に、参考になれば幸いです。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月17日
takehikom これと上の二つでセットだね。掛算の構造まで探してくるのはいつも通りだ。引用されている、で終わってるね。それがあなたの限界なわけだよ。しかし、それを権威頼りと言い換えると外れになる。あなたは是非すら言っていないため、コピペを超えないからだ。何を論じても反論や批判があるからそうなったのかね?何を言っても反論・批判はあるものだよ。それが健全な状態なわけだ。しかし黙殺されるようになると、終わりだ。あなたはその一歩手前と言っていいだろうね。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月17日
takehikom ここも、これとその上の二つ。遠山、遠山とうるさいことだ(苦笑)。名前を連呼しても何も起こらんよ(笑)。あなたは、ある意味古代・伝統的インド的だね。表現において、だけどね。伝統的なインド文学では、内面と外面を区別しないんだよ。だから、悩みが突然目の前に現れた魔王だったりする。意味は察したまえ。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月17日
takehikom んー、短く済ますか。エビデンスなしの通説などにエビデンス付きの反論など示さんよ。最初から言っている。常識に反することを敢えて行うなら根拠を示せ、とね。あなたは常識にエビデンスをいちいち求めるのかね?それは自分でやりたまえ。誰かが常識に外れることを言ったりやったりしているなら、エビデンス求めてもいいけどね(苦笑)。あぁ、たたおえば、だよ。未知の部分についての学問的手続きはエビデンスが必要なこともある。それも常識だけどね(笑)。後、何かあるかね?あれば聞くくらいはしてあげよう。
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takehikom @takehikom 2013年6月19日
「常識」という言葉が、どこでどのように使われているか気になったので、ツイートを読み直しました。「世間の常識」の恣意性もさることながら、「正しい」の定義や判断基準がないのが気になります。
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takehikom @takehikom 2013年6月19日
判断基準に関連して、「正しい」と「受け入れられている」は別物です。布川(2010)の英語のほうでは、correctやwrongではなくallowedが使われています。判断をするのは学校の先生だけでなく、大人や、解答者自身でもあることも、意識したいところです。
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takehikom @takehikom 2013年6月19日
個人的には、かけ算に関して算数と日常生活をつなぐ知識は「2×3と3×2では、答えは同じになっても、意味が違うことがある」だと理解しています。複数の海外の書籍でも、交換法則に関連して書かれており、http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20130615/1371274369 で取り上げました。「意味」で引っかかったら、「表すもの」に置き換えてください。
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takehikom @takehikom 2013年6月19日
遠山の著作は面白いけれど確かに要注意ではあります。哲学的だとか、マルクス・エンゲルス的量だとかに位置づけられているのを、見たことがあります。http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13516/1/2_p25-41.pdf#page=4
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月20日
takehikom 「「常識」という言葉が、どこでどのように使われているか気になったので、ツイートを読み直しました」。詰まると「常識とは何か」を問いだすね。あなたのようなタイプは、だがね(苦笑)。「「世間の常識」の恣意性もさることながら」、恣意的だろうね、あなたの恣意性には左右されないことが理由だ。あなたにとっては、だがね。「「正しい」の定義や判断基準がないのが気になります」。これもそうだ。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月20日
takehikom あなたは言葉すら遣えていない。言葉は常識の塊と言ってよい。本末転倒な人間は、例えば辞書を引き合いに出して、単語の字義の正誤を論じ始める。単語は文に置かれ、文は文章に置かれて、ようやく意味が確定する。「正しい」にしても、その文脈に従ってしか具体的な意味は成さん。そういうことをあなたは理解できていない。だから話が通じないんだよ(苦笑)。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年6月20日
takehikom 判断基準を他人に求めるのは、あなたは何においてもそうだ。しかし、それは与えてはやれん。ある文脈での「正しい」という言葉は、他の文脈での「正しい」とは意味が異なる。普通はね。しかし、あなたはそれが理解できない。それは常識欠如だからだよ。あなたが常識をわきまえるまで、誰もあなたと話はできんよ。以下は大同小異だし、見逃しておいてあげるから、よく考えておきたまえ(笑)。
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ʇɥƃıluooɯ ǝıʇɐs 𖥶 @tsatie 2013年6月30日
相変わらず、 @takehikom 氏はおよそ人に教えたり指導したりする人とは思えない酷い言説をばらまいているんだな。どうなって行くのだろうこの国の教育は。
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takehikom @takehikom 2013年6月30日
Twitterでリプライをいただきましたので、思ったことを書いておきます。教育を論じるにあたり「自分が受けた教育」と「現在、学習者らが受けている教育」とは分けて考えるべきです。違いは2種類あって、過去と現在、単数と複数です。
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takehikom @takehikom 2013年6月30日
単数と複数の違いは、論理式を使って示すことができます。指導法tが学習者sにとって効果的であったことを、f(t,s)と表記することにします。tおよびsの取り得る値の集合を適当に定め、∃t∀s f(t,s)をP1、∀s∃t f(t,s)をP2としたとき、P1とP2は異なる命題です。
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takehikom @takehikom 2013年6月30日
直感的には、P1は単一の指導法により、学習者はみな「効果あり」となったことを表します。それに対しP2は、学習者に応じて異なる指導法をとることで、以下同文です。
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takehikom @takehikom 2013年6月30日
∃t∀s f(t,s)という形の論理式は、担当科目で決定可能の概念を説明する際に使用しています。ここでf(t,s)は、アルゴリズムtを用いて個別問題sが解けると解釈します(「解ける」の定義は別途定めます)。一方、∀s∃t f(t,s)という形の論理式は、どんなシステムでも、システムに内在する弱点を突けば破られる(攻撃方法ありきではいけない)ことと、関連づけることができます。
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takehikom @takehikom 2013年6月30日
学校教育に対する批判は、P1の否定すなわち∀t∃s ¬f(t,s)で表されるように思います。どんな指導法であっても、その指導法でうまくいかない子どもがいるんだよという事例を示すわけです。
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takehikom @takehikom 2013年6月30日
教育の実態はどうかというと、本や論文そして身近な人から学んだ小学校の算数、そして自分自身の講義やプログラミング演習は、P2が前提となっています。指導法と学習者の多様性のもとで、各時点でベストと信じる指導(授業、出題、フィードバックなど)を行っています。複数の方法を採用したり、指導中に変更したりすることもあります。
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takehikom @takehikom 2013年6月30日
新しい指導(自分の場合は新規科目)を行う場合には、学習者のそれまでの知識(学生が夏休み・春休みに忘却することも含めて)や、その指導のコンテキスト・コンセプトに留意して、良さそうな指導法を選びます。そして実際の授業で適用し、反応や、答案をもとに、良かったと思うものは次年度も使用します。期待どおりに行かなかったところは、改善を試みます。
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takehikom @takehikom 2013年6月30日
教育者としての道は半ばです。ありがたいことに、ある年度に前期後期の異なる演習科目が学科内のベストレクチャー賞に選出されました。異なるTA(大学院生)から、「自分が受けたときよりも分かりやすい内容になっています」と言われたことも思い出します。ともあれ今後も、試行錯誤と錬成を繰り返していくとします。
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takehikom @takehikom 2013年6月30日
違いのうち過去と現在については、本から:「大学教授法を改善する際の本質は、「自分がかつて教わった方法で教える」という「慣性の法則」をいかに打ち破るかという点にあります。」(入来篤史『研究者人生双六講義』p.64)
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年7月4日
takehikom 「教育を論じるにあたり「自分が受けた教育」と「現在、学習者らが受けている教育」とは分けて考えるべきです」。そうだろうね、自分の経験は決してすべてではない。「違いは2種類あって、過去と現在、単数と複数です」。違うだろうね。過去と現在だけではない。現在の学習者は、その後についても配慮が必要だ。掛け順固持といった重荷を背負わせるのではなくね。単数と複数でもない。個々の学習は一個人だ。どうも、あなたは十把一からげに他人を扱いがちだ。注意したまえ。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年7月4日
takehikom 「単数と複数の違いは、論理式を使って示すことができます」。やってはならないだろう。「指導法tが学習者sにとって効果的であったことを、f(t,s)と表記することにします。tおよびsの取り得る値の集合を適当に定め、∃t∀s f(t,s)をP1、∀s∃t f(t,s)をP2としたとき、P1とP2は異なる命題です」。そんな証明問題はどうでもいい。相手は人間であることを、何よりもまず踏まえたまえ。大枠と個々人の双方もだよ。後の論理式もどきは以下同文だ。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年7月4日
takehikom 「どんな指導法であっても、その指導法でうまくいかない子どもがいるんだよという事例を示すわけです」。その通りだよ。論理式こねまわさなくても、見れば分かる事実であり、誰もが経験した事実だ。自分だけではなく周囲も見て、だがね。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年7月4日
takehikom 「教育の実態はどうかというと、本や論文そして身近な人から学んだ小学校の算数、そして自分自身の講義やプログラミング演習は、P2が前提となっています」。確かに一つだけで誰もがうまくいくことはないだろうね。「指導法と学習者の多様性のもとで、各時点でベストと信じる指導(授業、出題、フィードバックなど)を行っています」。誰が?「複数の方法を採用したり、指導中に変更したりすることもあります」。そうなってない部分を何とかしたい、ということなんだけどね。問題が何か分からなくなったのかね?
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年7月4日
takehikom 「新しい指導(自分の場合は新規科目)を行う場合には、学習者のそれまでの知識(学生が夏休み・春休みに忘却することも含めて)や、その指導のコンテキスト・コンセプトに留意して、良さそうな指導法を選びます」。そうしてもらいたいね。「そして実際の授業で適用し、反応や、答案をもとに、良かったと思うものは次年度も使用します」。普通はそうしてるね。「期待どおりに行かなかったところは、改善を試みます」。ここだが、一人に効果があるものをいきなり多数に適用せんように。そこが大事なわけだ。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年7月4日
takehikom 「教育者としての道は半ばです」。端緒、だろうね。「ありがたいことに、ある年度に前期後期の異なる演習科目が学科内のベストレクチャー賞に選出されました」。そんなことで舞い上がってるのか。情けない話だ。「異なるTA(大学院生)から、「自分が受けたときよりも分かりやすい内容になっています」と言われたことも思い出します」。個人の感想だね。「ともあれ今後も、試行錯誤と錬成を繰り返していくとします」。頑張ってくれたまえ、正しい方法でね。あなたは間違いやすい。それは注意してもらいたい。
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ネイル・シューライン(釘宮) @cozycube 2013年7月4日
takehikom 「違いのうち過去と現在については、本から:「大学教授法を改善する際の本質は、「自分がかつて教わった方法で教える」という「慣性の法則」をいかに打ち破るかという点にあります。」(入来篤史『研究者人生双六講義』p.64)」、何度でも教えておいてあげよう。受け売りにせよ、自分の見解も述べたまえ。最低でも、なぜそれを選んだのか、だ。いつも、それがない。あなたは、いつになったら自分で考えるのかね?
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