自己認識と親について。

なんとなく考えがまとまったのでまとめてみました(`・ω・´)シャキーン
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らいむさんは移転済み @RIME3726

連投いきます(`・ω・´)シャキーン

2013-06-15 08:20:20
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私は誰からも愛されないと言いたくなる心理は、望んだ人から望んだ愛され方をされないから、強引に結論づけているだけだと思っている。そして望んだ愛され方とは、自分の形の肯定だ。

2013-06-15 08:20:27
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ただしそう言う人ほど往々にして自分の形がわからない。どうなりたいのかわからないと言う。なぜなら肯定してほしい自分の形を知らない上に、いつもの惨めな自分のほうが落ち着くからである。なので欲しい自分とはいつもすれ違ってしまう。

2013-06-15 08:20:38
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自分は自分でしかなくて、それ以外の誰にもなれない。でもだからこそ、それこそが尊いことなのだと理解して受け入れるのは難しい。私は私でいいのだと、誰かに言ってもらっても満たされない。なぜなら認めたい自分と認識している自分が余りにも異なっているから。

2013-06-15 08:20:44
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その屈折した認識が最終的に、誰か他の人にならなくてはいけない、と言う認識に変わり、自分ではない誰かとしての形をひたすらに追いかけてしまう。それは自分よりも優秀な兄弟姉妹であったり、憧れの人であったり、はたまた、理想の自分であったりする。

2013-06-15 08:21:45
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仮にその先に行って、手に入れられたとする。しかしそれでもどこか虚しい、それはなぜなら、本来の自分の形ではないからだ。とはいえ、時間が立てばその感覚は薄れる。私たちは慣れるからだ。だとしても、なにかズレた感覚はつきまとう。

2013-06-15 08:21:58
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私はこれじゃない、こんなんじゃない、でも何が正しいのかわからない、そんな困惑。もしくは、誰かを騙しているような錯覚に陥る。最終的に、「今の自分でなくなったら自分は捨てられてしまうのではないか」という疑念にとらわれ、手に入れた誰かの形をなぞり続ける。手放すことはできなくなる。

2013-06-15 08:22:09
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または、形が見つからない人もいる。自分の形を受け入れられず、誰かの形も受け入れられず、誰かの断片だけを蓄積して、今まで出会ってきた何人もの「どこかのだれか」の断片で自分を築き上げているという風に認識する人もいる。「私は誰かの贋作なのではないか」そう思い苦しむ。

2013-06-15 08:22:16
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自分の形がわからない、でもそれでいいんだと思える場所を与えられた人の一部が社畜と呼ばれるのではないかな、と思っている。でもそれは偽物だと僕は思う。自分が介在しない自己肯定は、ただの長期的な依存だ。

2013-06-15 08:22:36
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では依存は悪なのかといえば、そんなことは決してない。家族、友人、立場、金、積み上げてきた結果、仕事、部下、そして思い出。私たちは依存する。依存に依存を重ねて自分を支える。それが自立だ。何に依存し支えられてきたかという解釈で人生を理解することも出来ると思う。

2013-06-15 08:22:42
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長期的な依存の何が問題なのかといえば、すがりすぎてしまうことだ。それが根幹となり、それを失った時に立ち直れなくなる。合理的に考えれば、分散させておくのがいいのかもしれない。人間だから、そうスマートにはできないけれど。

2013-06-15 08:22:49
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では、自分の形の肯定はどうすればいいのか。それは親が全て教えることなのかと言えば違う。子供は親だけに育てられるわけではないからだ。

2013-06-15 08:22:56
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親に支配されて辛い人生を歩んでいる人は少なくない規模でいると思う。でも、囚われることを選んでる自分は確実にいる。そこに選択の自由があるかないかは別として。

2013-06-15 08:43:11
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「僕の親はダメで、こんなに与えてくれなかった!だから僕がこんなになったのは僕の親のせいだ!」という主張をする人は、「親がこうしなくては子は育たない」という考え方が好き。なぜなら責任転嫁が出来て、心の省エネだから。

2013-06-15 08:45:01
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「俺の親はこんなにだめでこんなに僕を満たしてくれなかった」という主張の、親の部分を何かに変えてみるとなかなかシュールである。「僕の先生は」「僕の友達は」「僕の子供は」などなど、いろいろなものが当てはまる。そしてわかるのは「親は他人である」ということだ。

2013-06-15 08:48:06
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親は他人であり、子供もまた他人である。あなたの子供はあなたの物ではないし、あなたの親もあなたのものではない。

2013-06-15 08:49:16
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自分の期待と現実の落差を誰かに押し付けるのはとても楽だ。けれどそれは誠実ではないどころか、あなたを孤独にするだろう。

2013-06-15 08:50:02
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個人的に親が出来る事は、疑問の扱い方と、他人から肯定されると言う経験と、他人と誠実に付き合うこと、この三つが主なものなのだろうと思っている。

2013-06-15 08:23:06
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だいたい三つとも与えられることはないと思うけれど、与えられずに残ったものは、子供が自分の人生の中で、学んでいくことなのだろうと思う。学ばれないこともある。

2013-06-15 08:23:15
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ではどうすればいいか、それはきっと自分の形を見つけること殻なのだろうな、と思う。今まで生きてきた中で、自分の形が作られないはずがない。とはいえ、その形を視認するのは難しい。鏡がない状態で、自分の姿が見えないように。

2013-06-15 08:23:22
らいむさんは移転済み @RIME3726

そして肯定することだと思う。自分の持っている形を。卵か鶏か、みたいな話だけど、始めるまではなにも始まらないのはなんでも一緒なわけで、こんなものなんじゃないだろうか。

2013-06-15 08:23:30