沼崎一郎先生@Ichy_Numaの「トランスナショナルの対概念はなんだろう?ナショナルではない気がするのだが?」
現代日本における「ナショナルなもの」を捉えるには、ナショナリズムとは異なる新しい概念が必要なのかもしれない、などと考える。
by 沼崎一郎
沼崎一郎
@Ichy_Numa
大学教員。文化人類学者。フィールド:台湾、香港、シンガポール、日本。専門:経済発展と文化変化、企業ネットワーク、社会ネットワーク分析、人権、シティズンシップ、移民、多文化主義、公共性、ジェンダー、男性性、地球人類学。性暴力・DV被害者支援、裁判支援。楽天イーグルス&ベガルタ仙台ファン。落語好き。呟きは個人としての発言。
沼崎 一郎
Ph.D.(Anthropology)
東北大学文学部卒、ミシガン州立大学大学院人類学科博士課程修了。1991年4月より東北大学文学部・文学研究科の教員となり、現在に至る。専門は、東アジア、人権、ジェンダーなど。
[主要担当科目]文化人類学概論、文化人類学調査実習
http://www.sal.tohoku.ac.jp/staff/04040101_numazaki.html
沼崎一郎
@Ichy_Numa
トランスナショナルのいい日本語訳も思いつかない。超ナショナルじゃ変だしなあ。越ナショナルもピンとこないし。中国後風に跨ナショナルと書いてもねえ……
2013-06-15 00:49:41
沼崎一郎
@Ichy_Numa
ナショナルなものを抱え込む、ナショナルなものに絡め取られる、その様態を、日常生活の取るに足らない習慣の中に探ることは、人類学のお仕事であるはず。
2013-06-15 14:03:01