精神主義の起源と変貌

未だ日本に蔓延る精神主義。 精神主義で例に出されることの多い第二次大戦の日本軍。 しかし、本来は第一次大戦の列強の総力戦を見た日本が、これに追随することは出来ないという現実を認識し、窮余の策として非物量的側面へ注目した事がその起源。 それが、大正・昭和と時代を経て、第二次大戦での過度な精神主義へと変貌・傾倒していったのは何故だろうか。 続きを読む
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司史生@減量中 @tsukasafumio

しかし捕虜を使った銃剣刺突訓練によって、一体何が鍛えられたというのだろうか。

2013-06-15 19:24:53
司史生@減量中 @tsukasafumio

帝国陸軍も体育会もブラック企業も、精神力を無尽蔵無限界とする信仰によっているのだが、これは考えるとアニメのクライマックスにもまま見られる日本人の普遍的意識なので、なかなか消えませんよね。

2013-06-15 19:33:27
司史生@減量中 @tsukasafumio

生活保護など社会福祉叩きの背後には、理不尽なしごきを鍛錬と称する類の伝統的な精神主義があるように思われる。

2013-06-15 20:41:59
司史生@減量中 @tsukasafumio

無根拠な精神主義が相変わらず発言力を得ていることだけでも、過去の戦争に対して(謝罪とか言う以前の問題として)反省が為されたとはとても言えないだろうな。

2013-06-15 20:45:56
司史生@減量中 @tsukasafumio

精神主義が肉体に象徴される物的条件を克服するという教条は、連合赤軍事件の「総括」に見られるように、戦後世代にも受け継がれた。否、戦中派が体験し嫌悪した事情を考慮すると、それは「戦争を知らない子供たち」によって復興されたと言ったほうがいいのかもしれない。、

2013-06-15 20:52:03
司史生@減量中 @tsukasafumio

歩兵操典 http://t.co/uXDOTkHmbr 前にも疑問で呟いたんだけど、各個教練の一章と二章で射撃や手榴弾投擲について動作が詳しく書かれているのに、白兵戦闘については書かれてない。「突撃」は事実上「突っ込め」だけ。

2013-06-15 23:25:37
司史生@減量中 @tsukasafumio

もちろん兵士の実課では銃剣術を一生懸命やってたので、言わずもがなという考えもあるのだけど。銃剣突撃のイメージが非常に強い日本陸軍のマニュアルで、銃剣戦闘が言及されていないというのが興味深い。

2013-06-15 23:33:05
司史生@減量中 @tsukasafumio

あくまで歩兵操典というマニュアルのみに限った話だけれど、兵士に要求されているのは、銃剣をかざしてひたすら前に突進するだけ。突撃に持ち込んだ段階で敵は崩れているという前提なのだろう。突撃中に敵の白兵や至近火力による抵抗に遭遇してこれを撃破することは想定されていない。

2013-06-15 23:39:07
司史生@減量中 @tsukasafumio

記録や兵士の証言を見れば、確かに大勢でこの想定は間違ってはいない。間違ってはいないのだが、「とにかく突撃に持ち込めば勝ち」を基本とした状態で、小隊・中隊・大隊の教練の項で述べるような、突撃頓挫時の対処が柔軟に行えたのだろうか。

2013-06-15 23:48:01
司史生@減量中 @tsukasafumio

謬見かもしれないが、この突撃の遂行自体が目的化し、突撃が勝利のための手段であるという視点の無い操典には違和感を感じる。あるいはそれが日本的精神主義というものなのかもしれない。

2013-06-15 23:56:13
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio ガダルカナルの「突撃」を見る限り、「頓挫したからやり方を変える」という対処はできなかったような…

2013-06-15 23:51:49
司史生@減量中 @tsukasafumio

ですよね。できた場合もあるでしょうが、それはドクトリンではなく指揮官の才能の結果でしょうし。 RT @seibihei ガダルカナルの「突撃」を見る限り、「頓挫したからやり方を変える」という対処はできなかったような

2013-06-15 23:59:11
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 本日聞いた話の一部。WW1の教訓の受容は、大正期には「歩兵火か砲兵火か」という論争だったのが、昭和期には「物的戦力か精神力か」に変貌。そして恐慌後の経済状態を反映し、精神主義に傾倒していく。

2013-06-16 00:05:04
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei 列強の総力戦の規模に追随できないという現実を、言葉のすり替えで糊塗しようとしたら、どんどんすり替わっていったということでしょうか...

2013-06-16 00:09:28
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio 「自分を納得させるための理屈に、自分で夢中になった」ということは大きいと思います。さらに、大正期から続く「社会との隔絶」がそれに拍車をかけた

2013-06-16 00:10:58
司史生@減量中 @tsukasafumio

@seibihei そのあたり、精神力が物的戦力に破れたのではなく、精神主義が合理主義に敗れたという、ソフトウェアの敗北であったことを誤解してはいけないように思います。

2013-06-16 00:17:48
るーでる@柏葉(※パロディです) @rudel101

@seibihei @tsukasafumio 自己催眠に似たものに陥ってしまった、となるのでしょうか。

2013-06-16 00:14:23
名無し整備兵 @seibihei

@rudel101 @tsukasafumio 社会から疎外された人間集団って、どうしてもそういう傾向がありますよね。軍隊に限らず

2013-06-16 00:15:09
るーでる@柏葉(※パロディです) @rudel101

@seibihei @tsukasafumio なるほど。たしかに、そういった傾向は見受けられるかと。

2013-06-16 00:17:59
司史生@減量中 @tsukasafumio

@rudel101 @seibihei 組織としての自己催眠というか、教育があるのではないでしょうか。昭和の士官学校生徒は、自分たちの教本が作られた紆余曲折を知らないわけでしょうし。

2013-06-16 00:20:26
名無し整備兵 @seibihei

大正の「軍隊を忌避するインテリ」の雰囲気から、昭和には「軍隊に親近感を持つ非インテリ」の雰囲気に変わったものの、軍が「地方(特に都会)」に持つ不信感は変わらず、そこに「聖戦」というイデオロギーが忍び込んだ

2013-06-16 00:14:28
万世六兵太 @roppeita_mansei

@seibihei 明治は尊敬され、大正は軍縮平和の流れで忌避されて、満州事変などでまた脚光を浴びましたからね。大正時代のあんな思いをするのは嫌だという反動でしょうね

2013-06-16 00:18:09
名無し整備兵 @seibihei

@tsukasafumio そうですね。しかしロマンは残り、政治的な意味を持ち続けます。中でも外でも。

2013-06-16 00:22:19
名無し整備兵 @seibihei

@roppeita_mansei 「あんな思いをするのは嫌だ」ならまだ外との関わりを気にするだけマシなんですが、どうも「どうせ何やっても理解してくれないんだろう」と引きこもってしまったような…

2013-06-16 00:23:41
るーでる@柏葉(※パロディです) @rudel101

@tsukasafumio @seibihei 仰るように教育の影響も大でしょうね。ソレで士官として育てられてしまうわけですし。

2013-06-16 00:23:41
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