芸道における型・かた について

芸道における型・かた についてまとめました。
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radioya📻 / Kaneda Tsuneo @radioya

"「型ができてない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか? 難しすぎるか。結論を云えば型をつくるには稽古しかないんだ」..." http://t.co/KsXDuIlNHK

2013-05-13 10:35:37
平田 崇 @takasi_tao

「型は、技そのものであり、理論そのものである。その動きは、軽く、柔らかく、速く、静かで浮いている。しかも、美しく、動きは消える。これが古伝の日本武術の世界である。」黒田鉄山『気剣体一致の「改」』より

2013-06-15 13:49:36
卍蹴り @manjigeri

黒田鉄山先生の、「型は実戦の雛形ではない」と言う言葉に得心した今日この頃。

2012-10-14 18:02:49
光岡英稔 @McLaird44

「型」を用いての教学が行われる時によく間違われることが、伝える者が“型を伝えよう”としてしまうことにある。「型」とはあくまでも伝える為の媒体であり、実質的に伝えれるだけの内容が伝える者にない限り形骸化・形式化された型のみが残ることとなる。(続く)

2013-06-14 23:40:21
光岡英稔 @McLaird44

私たちは「型」を通じて“何か”を伝えているのであり、その「型」と共に受け継がれてきた“何か”がないまま型を伝えてしまうと、内容が失われ、形骸化した型のみが残って行くことになる。実際の感覚的身体構造と一致する「型・形・体・意」があって初めて稽古で用いることのできる「型」となります。

2013-06-14 23:55:42
光岡英稔 @McLaird44

また、誰も自分がしてきた流派が何代も前から、もしくは近年の開祖から“間違っていた”などと考えてみたくもないだろうから本当に致し方ない。(続く)

2013-06-15 12:57:14
光岡英稔 @McLaird44

武術の世界でも拳の良し悪しを語る者は多く居るも改めて明確に何を持ってして是非を語っているのかを問うてみると、「形・意・拳」と何ら関係のない習慣化された経験主義からくる主観的判断か、何処の誰それが言った事や書いた事の客観的見解しかない虚しいものばかりである。(終)

2013-06-15 13:01:29
武文研/居合文化研究会@川村景信 @kawamurakeishin

大事なのは「型」を教え、「型」を教わっているのではないということ。物事の法則性であるとか、考え方、動き方、それらを自身で導き出せるようになるということ、それが重要ではないだろうか。「免許」とは最低限のボーダーに達したという証明だ。一人で正しく向上できるようになったという証なのだ。

2013-06-20 01:13:54