神津武男氏の倉田喜弘氏『文楽の歴史』評

神津武男氏の『文楽の歴史』評です。
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神津武男 @Izumonojyo

「文楽」の史料上の初出を、1802享和2年『浪花なまり』とするが、わたくしのみるところでは1788天明8年『浪花素人浄瑠璃見立角力』が早い。90頁図版下段西方前頭6枚目「舟場 文楽」がそれ。  > 倉田喜弘氏著『文楽の歴史』岩波現代文庫

2013-06-19 15:47:45
神津武男 @Izumonojyo

人形「早替り」の最初。1805-6文化2-3年とするが、1779安永8年5月伊勢『伊賀越乗掛合羽』の「人形又五郎早替り 乙五郎出遣ひ」の注記が早い。次が1805文化2年伊勢『仮名手本忠臣蔵』五段目。 …続 > 倉田喜弘氏著『文楽の歴史』岩波現代文庫

2013-06-19 17:16:31
神津武男 @Izumonojyo

著者が「人形史上で初めて」とするのは、1806文化3年3月・大坂御霊宮境内芝居(寄席やなんどというたらバチが当たります)『玉藻前曦袂』番付の「けいこと化粧殺生石吉田新吾 人形出づかひ早がはり」。…ここに「当該演出は淡路人形座に現存」となぜ注記しなかったのか。 マジおこ!

2013-06-19 17:22:54
リンク awajiningyoza.com 淡路人形浄瑠璃公式ウェブサイト 淡路人形浄瑠璃は、500年の歴史を持つ国指定重要無形民俗文化財指定の伝統芸能です。
神津武男 @Izumonojyo

岩波書店には、戦後の近松研究の金字塔とも称すべき『近松全集』がある。 http://t.co/cmWIttvsig そこに掲げるタイトル(および作品名読み)と齟齬があるというのは何事。  > 倉田喜弘氏著『文楽の歴史』岩波現代文庫

2013-06-19 17:34:56
リンク www.iwanami.co.jp 近松全集
神津武男 @Izumonojyo

義太夫節の人形芝居における三人遣い化は、1734享保19年10月初演『芦屋道満大内鑑』が初例とされている(他流では、別に先例がある)。しかしこんにちと同様になるためには左手の「長差金」化が必要で、これは1739元文4年4月『ひらかな盛衰記』四ノ中「無間鐘」の梅ヶ枝が最初と伝わる。

2013-06-19 18:03:22
神津武男 @Izumonojyo

しかし『ひらかな盛衰記』初演の番付は伝わらず、伝承の配役が初演のものとは断定できない。義太夫年表近世篇は、寛保頃の再演を推定するが、1744延享元年11月の播磨追善興行での再演まで引き下げて考えることも可能か。

2013-06-19 18:03:51
神津武男 @Izumonojyo

梅ヶ枝に続く第2例とされるのは、1746延享3年8月初演『菅原伝授手習鑑』四段目切「手習児家」の、段切「いろは送り」の千代。遣い手は、梅ヶ枝も千代も、初代吉田文三郎。

2013-06-19 18:04:12
神津武男 @Izumonojyo

1748寛延元年8月『仮名手本忠臣蔵』初演興行は、義太夫節の人形芝居において「三人遣い」化(延享再演のひらかなと仮定すると)が始まって、まだ五年目。こんにち同様に、人形役割の登場人物がすべて三人遣い化されるのは、寛延・宝暦年間と考えられるが、いつからか、は未だ確定していない。

2013-06-19 18:05:07
神津武男 @Izumonojyo

義太夫節における、こんにちに同様の機巧による「三人遣い」の登場は、わたくしは延享・寛延のころ、と考えております。

2013-06-19 18:06:27
神津武男 @Izumonojyo

1777安永6年刊・浮世草子『当世芝居気質』は、上方劇界の裏話満載の書。人形浄瑠璃関係の部分(巻之一・巻之二)は、明和前半に成立したものと考えられる。巻一に1765明和2年竹本座初演『蘭奢待新田系図』四段目ノ口「住吉社前」の舞台図がある。

2013-06-19 18:17:41
神津武男 @Izumonojyo

『当世芝居気質』は、早稲田大学図書館が画像を公開しています。グーグル検索の一番目に上がるので、是非御覧下さい。端場の庄屋・百姓が三人遣いになっているのですよ、すなわち明和初めの時点で、もう一人遣いの時代じゃないんだ。 > 倉田喜弘氏著『文楽の歴史』岩波現代文庫

2013-06-19 18:24:03
神津武男 @Izumonojyo

三人遣いの様式の一般化は、人形芝居の舞台に「船底」の機巧を設けるのと表裏の関係にある。これは『人形浄瑠璃舞台史』が詳細を究めるところ。当然、『当世芝居気質』も、著者のひく『戯場楽屋図会拾遺』も網羅している。 > 倉田喜弘氏著『文楽の歴史』岩波現代文庫

2013-06-19 18:28:22
神津武男 @Izumonojyo

もちろん著者ならではの資料の紹介も豊富にある。一方、こまごまと喉元に引っかかりを覚える、わたくしにとっては「刺激的」な書です。 > 倉田喜弘氏著『文楽の歴史』岩波現代文庫

2013-06-19 18:40:03
神津武男 @Izumonojyo

竹本摂津大掾と「弥作鎌腹」1。忠臣蔵の外伝物『忠臣義士伝』「弥作鎌腹」段は、其日庵『浄瑠璃素人講釈』74に、「倉田千両と云ふ人が、素人の十三と云ふ人の為に書いた」「亀次郎、即ち竹本摂津大掾を弾かせたより始まりたる」と伝える。

2013-06-20 19:25:13
神津武男 @Izumonojyo

竹本摂津大掾と「弥作鎌腹」2。六代豊沢広助「義太夫三味線(抄)」『大阪時事新報』「檀那衆と浄瑠璃 堂島の住小太先生 鎌腹は都山(とざん)から始まる」条に、弥作鎌腹の創作・初演者に関する記述のあることは、倉田喜弘氏著『文楽の歴史』258頁に知りました。感謝。

2013-06-20 19:33:42
神津武男 @Izumonojyo

竹本摂津大掾と「弥作鎌腹」3。本曲の作曲者を「亀之助」とするのは、「義太夫三味線(抄)」も『浄瑠璃素人講釈』も同様。ただし後者が伝える情報「亀次郎の師匠」であるとすると、鶴沢「竜之助」が正しい。飯島満氏は「竜之助」の誤伝と推定した(「翻刻 忠臣義士伝 弥作鎌腹段」解題参照)。

2013-06-20 19:44:36
神津武男 @Izumonojyo

竹本摂津大掾と「弥作鎌腹」4。本曲の作曲者に関するふたつの情報(「義太夫三味線(抄)」の豊沢亀之助、『浄瑠璃素人講釈』の「亀之助」亀次郎の師匠)の整合については改めて再考したい。いまここに指摘するのは、初演者「十三」「十山」「都山」の読み方で、「とさん」なのだとわたくしは思う。

2013-06-20 19:56:46
神津武男 @Izumonojyo

竹本摂津大掾と「弥作鎌腹」5。本曲の初演者に三様の表記あり。「都山」(義太夫三味線抄)、「十三」(浄瑠璃素人講釈)と、「十山」は「野沢語助」自伝(倉田喜弘氏編『東京の人形浄瑠璃』)に拠る。都・十の読みは「と」で良いだろう。

2013-06-20 20:07:28
神津武男 @Izumonojyo

竹本摂津大掾と「弥作鎌腹」6。三・山の読みは、さん・ざん、と迷うが、語末の「三」をザンと読む例はないように思われる。故に、さん、と読むのだと考える。よって大坂の素人太夫・都山/十三の読みを「とさん」と推定する。

2013-06-20 20:12:06
神津武男 @Izumonojyo

竹本摂津大掾と「弥作鎌腹」7。倉田喜弘氏著『文楽の歴史』は、128頁「十山 じゅうざん」、258頁「都山 とざん」と記す。別々の挿話に登場するため、同一人物と気付かなかったのであろう。岩波文庫版『浄瑠璃素人講釈』「弥作鎌腹」条が両者を結びつけたはづ、と残念に思うところ。

2013-06-20 20:25:57