BS歴史館「関孝和 世界水準の“和算”を創り出した男」横道解説

6月20日20時〜のBS歴史館で放送された、〝江戸のスーパー日本人1「関孝和 世界水準の“和算”を創り出した男」〟 http://www4.nhk.or.jp/rekishikan/x/2013-06-20/10/2254/  に出演された佐藤賢一先生(科学史)による、関孝和と江戸の和算の横道解説連ツイをまとめました。
数学 天地明察 科学史 江戸 和算 関孝和 佐藤賢一
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【本日です】和算家・関孝和に関する特集番組です。チョイ役ですが、顔を晒します m(_ _)m → 6月20日午後8時00分~午後9時00分 BS歴史館「関孝和」 http://t.co/VKvgCC4CXO … …
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
今日のBS歴史館。小説「天地明察」と内容設定が似ているな。。。と思われたら、それは当然です。元ネタが一緒ですからw
Makoto Yonezawa @yonezaado
明日6/20の「BS歴史館」は,関孝和の特集。関の写本群の撮影協力をしたのだが,さてさて放映されるかどうか。それにしても,番組予告を見てみたら,あの『ハーバード熱血日本史』で話題の北川智子氏が出演とのこと。とてもミーハーですが,大変楽しみです。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和00】本日のBS歴史館「関孝和」に合わせて、恐らく番組ではカットされていたり、言及されないであろう事柄について、以下連投いたします。大抵の情報は拙著『近世日本数学史 関孝和の実像を求めて』(2005年、東京大学出版会)でも言及しています。 m(_ _)m
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和01】しばしば関孝和の生没年として(1642 -1708)と書かれていることがあるが、没年はほぼ信頼できる情報。生年はというと、今のところ「?」が歴史学方面では定説。ではなぜ1642年生誕説が?これには明確で、トンデモない理由がある。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和02】明治10年代、川北朝鄰という和算家の生残りが関孝和伝を書いた時に、この1642年説が登場。後年「どこでその情報を?」と問われた川北は「関先生の生年が分らないのはどうにも気持ち悪いので、あのNewtonと同い年にした」ということを発言。おーい!!!!!→これが発端。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和03】関孝和は甲府藩士としてあった時、住まいは今の新宿駅前の天竜寺の付近だったことが判明している。墓所は、新宿区牛込にある。ただ、本家の内山家の墓のすぐ隣に関の墓があるのがいかにも不自然だなあ、と私は常々思っている。後代の新造の可能性、無きにしも非ずかな、と。要検討です。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和04】関孝和の自筆資料などの関係資料は今、全く確認されていない。(検地帳ぐらい残存。)なぜそうなったかの理由の1つは、関家が孝和の次の代で断絶しまったこと。孝和の跡を継いだ甥っ子の身持ちが悪く、仲間と博打を打ったのが露見し、財産没収の上追放刑になってしまったから。。。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和05】それでもこれまで、「これは関孝和の自筆!」と言われていた算術の免許状が日本学士院に所蔵されている。しかし、私が見た所、そもそもこれは関の物ではない。『関孝和全集』から該当免許の写真を掲げるが、形状がそもそも不自然。  http://t.co/2WP6nbt6Kd
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和06】何が不自然かと言えば本来、免許状は巻物。それがなぜ頭の部分が無傷で巻末だけ鼠に食われたように破れるのか?これは、誰かが人為的に破ったからに違いない。破損箇所には別人の名前が書かれていたはず。関孝和の名前だけ残して彼の物に偽装されたのである。(該当者は恐らく荒木村英)
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和07】関が刊行した著書は『発微算法』ただ1つ。これには当初ケアレスミスが1箇所あり、即座に関は訂正版を出した。関先生の揚げ足を取って申し訳ないが、間違った箇所と訂正箇所を並べる。傍線部の数字が違うことに注意。左側が正しい値。 http://t.co/pVIyTXBYrD
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和08】関孝和が間違えたのは、文字を変換する規則をうっかり失念して、方程式全体の次数がべらぼうになってしまったこと。それでも、間違いをすぐに見つけて訂正できたのはすごいと思う。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和09】『発微算法演段諺解』という『発微算法』の解説(もちろん訂正済み)ばかりをこれまでの研究者は参照していたので、300年近く関のケアレスミスは気付かれないでいた。関先生ごめんなさい、という気持ちですな。ちなみにこの『発微算法』の分析が、私の修士論文のテーマでしたw
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和10】こちらが関孝和が創始した 傍書法のサンプル。『発微算法演段諺解』より。コピー画像ですみません。 http://t.co/KU318igti4
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和11】もう一つ関の著作として著名なのが『括要算法』。1712年に弟子の荒木村英らが関の遺著として刊行したと言われてきた。これもその当時の出版事情を精査すると、とんでもないことが見えてくる。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和12】江戸時代の書籍業界では、印刷物の元になる版木が売買の対象になっていた。つまり、ある本の初版がAという本屋さんで出た後、再版はBという本屋が版木をAから買って出すということもあった。実は『括要算法』もそういう本。しかも再版時に表記の改竄まで行われていた。。。 orz
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和13】改竄は編著者名の操作。初版では関の弟子の荒木村英・大高由昌の2人が編集したと解釈できるが、再版は関の「遺編」を荒木が「検閲」し大高が「校訂」したように、数文字書き加えられている。赤線枠内の文字に注目。左が初版、右が再版  http://t.co/q5dHhpoxbN
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和14】さらにこれは大高の「自序」を「序」に変えている頁。大高が「自序」と書いてしまうと、『括要算法』が関の著作ではないことが明確になってしまうための操作。こんな改竄をしてしまったのは誰か?  http://t.co/koJVCFLvBV
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和15】改竄したのは京都の本屋、天王寺屋市郎兵衛。実は彼、京都の和算家・中根元圭、彦循親子の門弟だった。関孝和の著作として『括要算法』を世間に定着させたかったのだろうか。以後、天王寺屋は代々幕末まで、律儀に関流の和算書を刊行してゆく。。。それにしても、それにしても。 orz
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和16】天王寺屋をめぐるもう一つの謎。この本屋の刊行目録を見ると、ある時期、関孝和の著作として「算学玄訓」という本が「近刊」として掲載されている。この本は一体何だ?というのがこれまで全く分からなかった。 http://t.co/B8LjfYZhXI
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和17】ところが、江戸時代も終わりになると「算学玄訓」の刊行は放棄された模様で、目録では別の本に置き換わっている。さて、この本は存在したのか?意表を突かれたが、どうやらそれは関の著作として有名な『解伏題之法』だったらしい。。。  http://t.co/UySC3e1agN
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和18】『解伏題之法』の古い写本に「算学玄訓」の名称があった。(東北大学所蔵本)関の写本はかなり内容がばらついているが、これは門人等のノート類を後世に編集したものが多かったからと推定される。厳密に言うと関の「著述」の確定は困難。 http://t.co/YkM2weryfI
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佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和19】余談を。1642年説の余波。もしも関がこの年に生まれていたとすると、関の本家であった内山家が群馬の藤岡にいたことが確かに分かっている。つまり、関は「群馬の偉人」!ということになる。それで作られたのが上毛カルタの「わ」の札「和算の大家関孝和」。残念ながらこれは。。。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
【関孝和20】番組にも出ていた関孝和の肖像、あれも由来は不明です。それから関が算額を掲げていた明確な証拠は無いです。渋川春海とライバルだったというのも全く証拠は無いです。無い無い尽しですが、甲斐国の国絵図作製に役人として関わっていたのは確かです。以上、長々とありがとうございました
Tomohiro Takata @wingcloud
BS歴史館で関孝和に興味を持たれた皆様、関孝和を本気で知りたいと思った人すべてのバイブルとなるであろう、新版『関孝和全集』が @ke_1sato 先生たちの手によって鋭意編纂中なのでお楽しみに!

コメント

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2013年6月20日
橋本さん、早速まとめを作って頂き、どうもありがとうございました! m(_ _)m
935 @935 2013年6月20日
グンマー諸君に衝撃的な報せがある。上毛カルタの「わ」の人の群馬不在説が。 Ω ΩΩ<な、なんだってー!?
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