10周年のSPコンテンツ!

應典院寺町倶楽部寺子屋トーク第59回<葬式仏教>再生論!〜日本人の死生のゆくえを考える twitterまとめ

「葬式は、本当に無用なのか。  死者と遺族をめぐる儀礼とは、どうあればいいのか。  日本仏教の本丸=の再生は、ある得るのか!  「お葬式は、要らない」の宗教学者島田裕巳と  「お葬式をしないお寺」應典院の秋田光彦による、 続きを読む
0
秋田光彦 @mitsuhikoakita
明後日20日1330から「葬式は、要らない」の島田裕巳さんと対談。不毛なお布施論議ではなく、では葬式仏教はいかに再生するのか、私のプランをぶつけたい。日本人全体の問題として考えてほしい。残席わずか。詳しくは應典院のWebを。ツイッター中継もあります。
秋田光彦 @mitsuhikoakita
現代消費社会で、そもそも(布施とは)論は殆ど有効でない。高い安いか論も不毛。自死、無縁死3万人、幼児や老親の遺体を放棄する無関心社会に対峙すれば、そんな議論は消し飛ぶ。僧侶までが社会に無関心でいいのか。共感や尊敬が伴わない布施は、今やサービスの対価と誤解されても仕方ない。
浄土宗應典院 @outenin
住職により…RT @mitsuhikoakita: 明後日20日1330から「葬式は、要らない」の島田裕巳さんと対談。不毛なお布施論議ではなく、葬式仏教はいかに再生するか、私のプランをぶつけたい。日本人全体の問題として考えてほしい。残席わずか。應典院のWebを。ツイッター中継も。
秋田光彦 @mitsuhikoakita
今日は彼岸の入り。近くのお寺の彼岸法要のお手伝い。午後は島田裕巳さんと対談だが、こちらはこちらで参詣者でにぎわう昔ながらの先祖供養がある。衰退とか崩壊とか言い立てるが、現場からその兆しが窺えない。そこが、また恐ろしいのかも。
信州さらしな長谷観音 @shirasuke
寺子屋トーク@応典院、いよいよという今、デンチギレなう、、。さようなら
浄土宗應典院 @outenin
間もなく應典院寺町倶楽部「寺子屋トーク http://www.outenin.com/otc/projects/tkt.html 」第59回が開会。「葬式は、要らない」の著者、島田裕巳さんを招き、満場です。#terakoyatalk で可能な限り中継!
浄土宗應典院 @outenin
應典院寺町倶楽部「寺子屋トーク http://bit.ly/cll4mr 」第59回開会です! #terakoyatalk http://plixi.com/p/46133327
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>「今日は葬式仏教を成仏させるような話になるかもしれない。それは1970年代初頭から、仏教を学問として学び始めたことによる。そして、尼崎出身の柳川啓一先生を師としたことも関係しているだろう。そこでお祭り、儀礼の研究をしていた。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>祭りや儀礼の中でイニシエーションという視点に関心を向けてきた。それは人間が変わっていく、ということを指していた。試練に合格したら大人になれる、という社会の構造の中で、一回死んで再生する、ということが重要な枠組み。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>そういう意味で、今日は葬式仏教のイニシエーションの機会になればと思っている。つまり、一旦これまでの葬式仏教には死んでいただかないといけない。果たしてそこから生まれ変わるか、再生するか…。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>『葬式は、要らない』という本は、幻冬舎の社長さんから提案があって『葬式は、贅沢である』という当初案から変えることになった。実はタイトルが変わって一番影響を受けたのは著者自身。だんだん「要らない」のではないかと思うようになった。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>今、NHKで「無縁社会」と掲げた番組が作られつづけ、言わばキャンペーンとして展開されている。無縁化が進み、葬送のかたちとして「直葬」などの簡略化が進んでいることが取り上げられた。人間の遺体の処理に特化した形態。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>昔は「密葬」と言っていたものが「家族葬」と呼ばれるようになってきた。人付き合いが薄くなっていくと、従来型の葬儀をしても自ずと参列者が少なく、結果として家族葬となる。それらを『葬式は、要らない』に記したら、特に僧侶から悪口を…。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>「最近、オウムのときに少し懲りたはずの島田が…」といった具合に「仏敵」のように扱われている。最近の仏教界を揺るがした三大事件を挙げるとしたら、1つが『葬式は、要らない』。あと2つが「千の風になって」の流行とイオンの「僧侶紹介・派遣」事業。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>本『葬式は、要らない』、歌「千の風になって」、スーパーによる僧侶紹介事業によって、葬式仏教が揺らいでいる。私は全日本葬祭業協同組合連合会から抗議文を受け取った。またイオンによるサービスの件で全日本仏教会も先日シンポジウムを開いた。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>改めて葬式仏教が問われたことによって、我々がしきたりだと思っている根拠が薄く、新しいことだと多くの人がわかった。老後の不安より死後の不安。どう葬られるか。お金が負担できるか? それが現実の問題として提示された。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>とりわけ、今、お墓がないということが相当大変だと思う方が増えて来ている。高級車一台分くらいの値段に。でなければ、どこに遺骨を置いたらいいのか、遺骨を誰が引き取るのか、といった具合。遺産相続でもめると、親類が引き取ることになることも。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>遺骨は存在感がある。だから勝手にどこかに置いておけるようなものではない。車のトランクに入れておいたとしても、それでいいのか、と悩み、考える。戦前のムラ社会では土葬で、自然にいつか還るものだった。が、火葬文化が発達して困るようになってきた。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>もし、遺骨を引き取らなくてもよい、となったら、人々の考え方が変わっていくだろう。昔は長生きが稀だった。長寿が大変で珍しく、だから古希ということばがある。しかし今は、充分で高齢で亡くなる方が圧倒的に多い時代に。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>若くして亡くなる方が多いときには「追善」の供養に、より深い意味があったのではないか。しかし、介護にお金を使っていくと、その後の面倒を見るお金や気力がなくなっていく場合がある。そのとき、供養を続けていく意味が見出されにくいのでは? #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>戦後に火葬文化は特に広がる。そして、各家が家の墓を持たなければならなくなった。江戸の時代は名字がない人もいた。明治以降、墓をつくりたい人たちが立派な墓をつくるようになった。戦後の技術革新もあって、朽ちやすい大谷石ではなく御影石が用いられたり… #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>火葬そのものの技術も高まった。それは骨揚げの儀式のために、きれいに焼かれるようになった。ところが「焼き」が入っていることもあって、丈夫で、自然に還りにくい。散骨をしても、粉のままに残ったりする。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>火葬した場合、関西では一部しか持って帰られないようだが、関東では全部骨が持って帰られる。関西では持って帰られなかった骨は、もう一度焼かれるそう。そして産業廃棄物として処理とのこと。もう一度焼かないといけない理由が、骨揚げという儀式に拠る。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>今、生命として、有機体としては死んでも、骨が残り、「死にきる」ことができない。成仏や浄土という概念によって、 弔い上げという習俗も意味を持っていた。「大往生した」と言われる方々を、どこまで供養するか?そもそも仏教はけじめをつけるためにあった。 #terakoyatalk
浄土宗應典院 @outenin
島田先生>一条真也という方が『葬式は必要!』という本を、私の『葬式は、要らない』 の後に出された。この方は元々葬祭業の方。だから必要ということはわかる。また、生きている人のための仏教という宗教者を多く知っていたが、出版後に「営業妨害」という人々が多い。 #terakoyatalk
残りを読む(49)

コメント

佐藤哲朗(nāgita)🇱🇰♥️🙏🏻 @naagita 2010年9月21日
20日に行われた應典院寺町倶楽部寺子屋トーク第59回<葬式仏教>再生論!〜日本人の死生のゆくえを考える twitterでの発言をまとめてみました。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする