山本七平botまとめ/「対外的に満点を取り、それが満点であることを対内的に提示して指導性を確保する」行き方しかできない日本の指導者

山本七平著『存亡の条件――日本文化の伝統と変容――』/第三章 指導者とその時代/カリスマ的指導者と「時代」/93頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①民法の編纂は明治3年…江藤新平がフランス民法の翻訳を基に着手したとはいえ、本格的になったのは19年に入ってからである。 当時の司法大臣山田顕義が法律取調委員長になり、委員会を外務省において、内閣法律顧問ボアソナードとロエスレルを原案起草者として編纂にあたった。<『存亡の条件』

2013-06-03 23:27:47
山本七平bot @yamamoto7hei

②その目的は、憲法発布に引きつづき、23年11月の第一議会の前に民法、商法、民事訴訟法、裁判所構成法をつくりあげ、「法治国」の体裁をしあげて、条約改正を達成しようとしたわけである。 この基本的な考え方とプランは、もちろん、伊藤→黒田→山県と引き継がれたものであった。

2013-06-03 23:58:00
山本七平bot @yamamoto7hei

③ここで「民法典論争」を生じたわけだが、ただ日本の場合は、政府がこの行き方をしたのは、単なる外圧と条約改正だけが目的でなく、明治以来の明確な「社会の欲求」に応じたという一面も否定できない。 もちろんその「社会の欲求」は例によって、きわめてムード的ではあったが。

2013-06-04 00:27:38
山本七平bot @yamamoto7hei

④例えば…神田孝平「日本国当分急務五ケ条」は、日本の独立、国力充実、国内一致、施政権浸透、民意の採択の五項目を強調しているが、その末尾に「右五ケ条西洋国法学の大綱領に基きて我国当今の急務を掲示するもの也」と記している。 …「西洋国法学の大綱領」に基づく一新を望んでいる訳である。

2013-06-04 00:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤これらに続く当時の啓蒙的論説は全て 「欧羅巴政治家の説に……」 「是れ欧人の所謂……」 「民選議院の説は、理の上からは至公至平、また実の上からしても欧米諸国の富強がそれを証する」 とあり、これらは当時の国粋主義者いわゆる鹿鳴館的欧化風潮排撃派にも見られる論説である。

2013-06-04 01:27:38
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥従ってここには、欧化を進歩と信じられているから…「社会の到達すべき目標」を具体的に示して…全員をその方向に向かわせるという意味の指導者、すなわち厳密な意味のカリスマ的指導者は必要ではない。 そしてその存在はむしろ「害」と見られて、排除されて不思議ではないわけである。

2013-06-04 01:57:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦これらの指導者の特徴は、上記の目標に到達したか、あるいは人々が到達したと信じた時に、一瞬にして「政治家」から「政治屋」に転落する――否、転落したように見えることである。 そして、そう見られまいとする時、それまでと同じ方法を駆使して「政治家」としての指導性を保とうとする。

2013-06-04 02:27:36
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧だが多くの場合、それはさらに決定的な転落を生じ、急速な指導力の低下を招来するにすぎないという状態を現出する。 この例は明治末期から大正にかけても存在するが、戦後に例をとった方が、その図式が明確になるであろう。

2013-06-04 02:57:45
山本七平bot @yamamoto7hei

①【マッカーサー時代の終り】片山内閣という例外を除けば、戦後一貫して政権を担当しているのが自民党である。 すべての人がこの政党を「政治屋連合」と規定している。<『存亡の条件』

2013-06-04 03:27:37
山本七平bot @yamamoto7hei

②確かにこの政党は「統治システムにおける最高の地位に達するに必要な能力」を十分すぎるほどもつ人びとで構成され、「それを維持」しかつ運営する仕方を知っている人びとである。

2013-06-04 03:57:50
山本七平bot @yamamoto7hei

③戦後の日本が一大変革期であったなら、これらの人びとが政権を担当し、その指導者が一国の指導者であったということは、実に不思議な現象といわなければならない。 そしてこの状態を現出した前提が、皮肉なぐらい明治と似ているのである。

2013-06-04 04:27:38
山本七平bot @yamamoto7hei

④すなわち「社会の到達すべき目標」は一転して封建性からの解放、民主主義社会の完成ということとなり、その「欲求をはっきりと正確に感じとる」には「天与の資質」(カリスマ)は必要としない。

2013-06-04 04:57:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥そしてそれを能率的に実施するには、有能な「政治屋」「職業外交官」であれば、それが十分な「天与の資質」であって、それ以外の資質は逆に障害になる。 同時に、この「満点」は、社会の欲求として、社会に先どりされているから、全般的な「衝撃や苦痛」ははじめから存在しない。

2013-06-04 05:57:49
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦そして例外的にそれを受ける者も「耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで」その問題を自己の内心の問題に還元して、各自が心理的に解決してくれるわけである。 その転換への「先どり」がいかに素早く行われたかの一例証として、終戦から僅か135日目の…『読売新聞』の社説の一部を引用してみよう。

2013-06-04 06:27:37
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧「……封建性の桎梏から日本を解放するにあたって米軍総司令部渉外局が今月28日に発表した如く、総司令官の相次ぐ措置は一貫して進歩的心理が流れており…いままでのすべての非科学性を清算して、原子時代への忠実にして勇敢なる使徒としてわれわれは起ち上らなければならない。……」

2013-06-04 06:57:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨…前述の図式でこれを達成すれば「政治家」なのだが、ではこれが達成されるか、達成されたと人々が信じた場合はどうなるのか。 結局その場合は別のマッカーサーを求めて、それによって「対外的に満点をとり、それが満点である事を対内的に提示して指導性を確保する」という行き方しかできなくなる

2013-06-04 07:27:40
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩そして日本の指導者は、常に、それしかできなくなるのである。 中国を対象としてこれを演じたのは田中首相であった。 この典型的な「政治屋(ポリティシャン)」は、この方法によらない限り「政治家(ステーツマン)」としての指導者とはなり得ない事を、一つの経験則として知ったのであろう。

2013-06-04 07:58:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪だが、それによって起こったブームは、消え行く灯の最後の輝きのようなもので、昭和初期と同様に終戦以後も続いて来たこの行き方は、大体これで終わったものと思う。 戦後長く続いた米ソの冷戦・二つの世界は、この明治的行き方を与党にも、野党にも可能にした。

2013-06-04 08:27:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫野党は専ら、与党の反対側で、対外的満点を一つの権威とし、それをもって国内に臨み、これを対内的指導力の基点とすることによって、指導者として振る舞い得た。 従って野党の指導者もカリスマ的指導者であってはならなかった。 ここに日本の野党の不幸があると思う。

2013-06-04 08:57:48
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬指導性は常に、互いに相反する二要素が併存しない限り存在し得ない。 これは、現存しかつ活動をつづける最古の組織ヴァティカンが、最初に記したカリスマの定義に見られるように、二重の指導性を認めていることで明らかであろう。

2013-06-04 09:27:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭またモスカの定義する「幸運」も、この二重性が 「政治家としての類まれな能力と政治屋としての二次的な能力を兼ね備えた」という形で併存しているとき、 とされている。

2013-06-04 09:57:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮従ってそれなしで幸運であったのは、例外的特殊事情と考えるべきで、今後に期待できることではない。 従って野党におけるこの状態も終わったものと思われる。

2013-06-04 10:27:56