特別講義「キリシタンと西洋古典―古代地中海世界から近世日本まで」に関する@kunisakamotoさんの実況

学習院女子大学(戸山キャンパス)で行われた渡邊顕彦大妻女子大准教授による特別授業「キリシタンと西洋古典―古代地中海世界から近世日本まで」に関する@kunisakamotoさんのツイートのまとめです。にキリシタン史、および古典ラテン語学習に関心がある方は是非。
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Kuni Sakamoto @kunisakamoto

渡邉先生の講義はじまりました(http://t.co/czvZC4MY29)。西洋古典とは古代ギリシア・古代ローマの文献群のこと(今日扱うのは主にラテン語の古典のこと)。

2013-06-24 13:07:22
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

「古典」の概念は古典しかない所では発生しない。他の文献との関係で成立する。ギリシア語の場合、紀元前3世紀頃に規範(カノンテクスト群)があらわれる。ラテン語では少し遅れて古典概念が成立する。

2013-06-24 13:13:41
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

実は厳密にはラテン語には「古典」という言葉はない。あえていえば autores classici。しかしこれが紀元後2世紀に使われたときには「最上の著作家」ほどの意味で用いられていた。

2013-06-24 13:13:45
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

1595年の羅葡日辞書ではautores classiciは「ラテンの書を卑しき言葉を混じえずして書きおきたる人々」。ギリシア語が入っていない(日本ではラテン語を学んでいた)。「卑しき言葉」には言語の階層意識が現れている。

2013-06-24 13:13:48
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

さてでは「西洋」古典と言えるのか?トルコ、北アフリカで書かれたテクストも非常に多い。そもそもホメロス叙事詩が成立したのは小アジアである。だから地中海古典と言ったほうが実態に即している。むしろその後に「西洋」の「古典」とされたという意味合いが西洋古典という言葉には強いかもしれない。

2013-06-24 13:16:00
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

ラテン語の二大特徴とは。非常に大雑把に言って、語順が自由である。語尾が複雑である。また古代の言語なので古代の人の物の考え方や風習を下敷きにしている。近現代人にがむつかしい(アメリカや欧州でラテン語を教えた経験から)。

2013-06-24 13:20:06
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

しかし欧州ではラテン語がしぶとく使われ続けてきた。近世・近代の欧米で様々なジャンルへラテン語を使ってきたのは、ある意味では不可能への挑戦であった。厳しい規範意識(紀元前1世紀頃にならわねばならない)が働く言語を今になるべく活かそうとする試み。

2013-06-24 13:22:28
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

しかし近世以降のラテン語は従来の学術研究では必ずしも注視されて来なかった。各国語の枠組みにはいらない。また古代のラテン語を専門とするのが西洋古典であり、ここの専門家は多くの場合古代しかみない。

2013-06-24 13:24:20
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

とりわけ非西洋人によるラテン語著作は注目されない。ラテンアメリカやアフリカ出身、また日本人によるラテン語の著述は検証の光をあてられてこなかった。

2013-06-24 13:25:01
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

Classical Receptionという領域が1990年代以降活性化してきている。古典が上、現代が下ではなく、古典の受容や古典との対話を重要視する。これはたとえばハリウッド映画における古典作品の受容といった角度からも問える。しかし近世以降のラテン詩にも適用可能である。

2013-06-24 13:26:45
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

さてでは日本における西洋古典受容。キリシタン時代にあるかどうかは議論があるが、今日は取り上げない。確実に受容がはじまるのが16世紀半ばのザビエル来日以降である。セミナリオができた1580年以降に顕著になる。

2013-06-24 13:28:39
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

江戸時代にはこの受容の伝統は完全にとぎれたわけではないものの、かなり下火になる。明治後期以降に再び受容が起こる。しかしキリシタン時代での受容が西洋と直結した形で行われていたのにたいして、明治以降は日本国内で国内消費のために進行した(日本語で主に起こる)という違いがある。

2013-06-24 13:30:10
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

日本人キリシタンのラテン語使用。天正使節に参加したジョルジュ・ロヨラ(日本人)がラテン語を学んでいる。1584年の11月頃にポルトガルに行っていたころの、ジョルジュらの記録が残っている。ラテン語の文章についてジョルジュが質問にすべて正しく答えられたため、現地の大司教が簡単。

2013-06-24 13:35:15
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

とはいえラテン語を学んだのはカトリック世界とつながるためであった。そのため禁教により外とのつながりが希薄になると、ラテン語もあまり学ばれなくなる(後述)。

2013-06-24 13:39:12
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

現段階でラテン語作文が確認できる日本人キリシタン達。天正使節団、続いてセミナリヨ学生(1614年に閉鎖)、そしてこのセミナリヨで学んだ人物たちがヨーロッパやアジアで活躍する。この最後のグループが一番ラテン語能力が高かったのではないかと推察される。

2013-06-24 13:42:29
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

原マルチノの演説が残っている。マルチノの作品ではないという説もある。しかしそこに見られる初歩的な文法上の誤ち、また初学者向けの古典作品(『アルキアース弁護』)への依拠が見られる。マルチノもこれを読んだか、これを記憶した人から教えられたのではないか。

2013-06-24 13:48:48
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

また posse videamur、esse fateamurといったキケロ風のclausulaがかなり使われている。これも教科書での勧めにしたがって使ったものではないだろうか。またマルチノがローマで聞き、帰路復習していた演説が、マルチノ自身の演説に生かされているのではないか。

2013-06-24 13:50:44
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

この演説を書いたとされる時点までに原はすでに7 8年ラテン語を学んでいた。ラテン語を熱心にやり、また才能があれば、このくらいの年代学んでいればこの程度の演説は書けるだろうという印象を受ける(教師としての経験からも)。

2013-06-24 13:52:48
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

印刷版のすべてがマルチノのものではない。しかし基本的な部分はかれの作文ではないかと考えられる。古典から直前のラテン語文献の伝統を踏まえている。また日本人によるパフォーマンスとしてのラテン語使用という点でも注目に値する。

2013-06-24 13:54:47
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

続いてセミナリヨ閉鎖後に国外に散っていった教師や生徒達のラテン語を見ていこう。そこからもただ単に優雅で正しいラテン語を書いているだけでなく、伝統を踏まえて利用し、またその踏襲を意識的に表明している節がある。

2013-06-24 14:00:42
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

[引用からうかがえる教育の背景、筆跡分析の話。めっぽう面白い。]

2013-06-24 14:05:20
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

岐部カスイの残したラテン語の分析。ここの彼の間違い方から分かることについての解説。「もし私が彼の先生だったらもう一度ラテン語の動詞の語幹を確認しなさいよ、といいます」

2013-06-24 14:08:12
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

荒木トマスの書簡。日本でとらえられて棄教した人物。この人物の棄教前と棄教後の書簡がそれぞれ残っている。これらを比較すると…

2013-06-24 14:10:38
Kuni Sakamoto @kunisakamoto

なぜラテン語で学んだのか。トリエント公会議。典礼はラテン語。古代とつながった教会の伝統の強調。日本での神学教育が海外と直結していた。また日本人キリシタンと欧州から来た宣教師のラテン語を比較すると、どうも日本人たちのラテン語のほうがパフォーマンス性が高い(擬古典ラテン語使用)。

2013-06-24 14:13:51