山本七平botまとめ/明治維新の志士は社会党員だった/~「言いかえ」によって外来の文化的衝撃を緩和した日本社会~
- yamamoto7hei
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①【明治維新の志士は社会党員だった】いうまでもなく、以上のような行き方で「事足りてきた」ということは、一面日本に、情況は似ているが、イスラエルとは違った伝統があったからにはかならない。<『存亡の条件』
2013-06-04 10:57:56②彼らは、一点一画まで厳密に言葉にしたモーセ律法の体系をもっていたから、外来の文化と自国の伝統的文化の摩擦がきわめて明確にわかる。 そしてそれは当時の彼らだけでなく、今のわれわれにも明確にわかる。
2013-06-04 11:27:46③「黄金の鷲の打ち壊し」の「先祖の律法です」という言葉はそれを象徴しているであろう。 ところが日本は、モーセ律法に対比できるような法体系もなければ、また第一章でさまざまな例をあげた「契約関係」に基づく社会でもない。
2013-06-04 11:57:54②それを必要とせず全ては同一文化の中の伝統的慣行で行い得、従ってそう行われてきており、それが、法も道徳も慣行も渾然一体となって、非常に強い拘束力をもち、それが、拘束という意識を人びとにもたせないまでになっていた。
2013-06-04 12:27:50③従って体系化されていなかったしその必要も感じなかった社会である。 そのため外部から来た文化を、どれでも、きわめて簡単に自己同定化でき、その自己同定化によって外来文化の内実を変化・吸収してしまうことができる社会であった。 次にその面白い一例をあげよう。
2013-06-04 12:57:48④「…吾明治維新の一大洪業を成就せる智勇英明の士は、其維新の始に在ては蓋し皆社会党より出ざるものはなし…(中略)… 其の一致する人々は社会党に非ずして何ぞや…(中略)… 吾維新の洪業即ち慶応の一大革命を成就したる所以は国是は、取も直さず社会党の本旨と其揆を一にする者なり、(続
2013-06-04 13:27:44⑤続>此一大革命に従事し、五条ノ誓文に一致したる所の日本国民は、取も直さず社会党の主義と其主義を一にする者なり。」(明治12年8月7日「東京曙新聞」)
2013-06-04 13:58:00⑥これによると、明治維新の志士はすべて「自らそれと自覚しなかった社会党員」であり、当時日本人はすべてその社会党員の主義を自らの主義とした「自覚せざる社会主義者」だったことになる。
2013-06-04 14:27:50⑦こういうことはユダヤでは考えられない。 この説はまことに奇妙に見えるが、30年前に一転して、日本人全員が「民主主義者」になってしまったのだから、「維新時日本人総社会主義者説」を嘲笑する資格のある人はいない。
2013-06-04 14:57:50⑧これが私のいう、外来的文化への「外面的自己同定化」と「内実の不変」の意味である。 維新の志士を社会主義者と同定したところで、維新の志士の実態には変化はない。 この生き方は「言いかえ文化」といってもよい。
2013-06-04 15:27:46⑨入ってきた新しい思想の言葉で対象を言いかえることによって、一見、違ったような印象を与える。 だが実体は変わっていないのだから、次に、言いかえた言葉の方が実体に応じて変化し、それによって、文化的摩擦を避けていけるという方法である。
2013-06-04 15:57:55⑩従ってそれが実生活に影響しない間は、新語が増殖する不便を除けば、あまり問題でないし、これで文化的衝撃は緩和できる。 同時にそれは、古いものを新しい名称で残しておくという便利さもある。
2013-06-04 16:27:47⑪徳川期に、社会において圧倒的権威をもっていたのは儒者だが、この「儒者」という言葉は明治で消えた。 しかし、それは「学者」と名を変えて残っている。 「学者」はたとえ専門外のことでも「儒者」の如き権威をもって、社会に発言できる。
2013-06-04 16:57:55⑫だがこれらも、たとえば民法のように、直接に自分たちの生活にかかわって来ると、「外面化ですむことなら、どうでも結構」と言っているわけにはいかない。
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