モーリー・ロバートソンが語るABCC

モーリー・ロバートソンは、日本で活動しているジャーナリスト、作家、ミュージシャン。 アメリカ合衆国ニューヨークに生まれ、生後2ヶ月でサンフランシスコに移住。2歳からサンフランシスコの幼稚園に通っていたが1968年、父の仕事の都合で広島県広島市の比治山公園の近所に移住。父親がアメリカ人で母親が日本人のハーフ。父は原爆傷害調査委員会、通称:ABCC(現・放射線影響研究所)に勤務し原爆患者の研究にあたった医師。(以上、wikipediaより)
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モーリー・ロバートソン @gjmorley

え?ABCCが人体実験をしていたんですか?初耳です。満州では731部隊、広島ではABCC、のちにRERFに改名RT @kyokukyoku1: @gjmorley ABCCにモルモットにされた子供たちのことを考えたことがあるのか?

2011-07-09 18:13:22

東京新聞2011年8月7日付「筆洗」コラムについて

モーリー・ロバートソン @gjmorley

東京新聞 2011年8月7日の「筆洗」コラム記事 http://bit.ly/pkjqms 「▼広島と長崎で被爆者の診察、検査をした米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)は治療を一切しなかった。死者の臓器は米国で放射線障害の研究材料になった。まるでモルモットだ」

2011-08-11 15:19:59
モーリー・ロバートソン @gjmorley

ABCCについてリサーチをしています。現在の感触として A)米政府が調査団を広島に派遣した1945年下旬までにはすでに放射能の毒性で多くの被爆者が亡くなっていた B)日本政府は敗戦後の混乱もあり、どう対処していいかわからず広島市を放置していた →

2011-08-11 15:06:41
モーリー・ロバートソン @gjmorley

→ C)遺体の身元確認がなされないまま、積み上げられて火葬が行われていた。D)調査団が派遣された際、被害者があまりに多く、対応できる医療品もなく、米国側の人員もそれほどいなかったため、治療は見送られた。また、政府から「治療ではなく調査を優先せよ」との意向も感じられた →

2011-08-11 15:09:13
モーリー・ロバートソン @gjmorley

→ E)被爆者が検査目的で米軍に召集される際には軍用車両で迎えが来たため、地元では評判が悪かった F)その後ABCCの活動が本格化した際に、米国の医師が被爆者を治療するのは「日本の医師免許を持っていないから法律違反だ」とする見解があり、米国人医師たちは慎重になっていたそうです。

2011-08-11 15:12:00
モーリー・ロバートソン @gjmorley

G)加えて、1945年時点で日本政府の戦争で罹災した国民に対する医療の対応は短期でしか制定されていなかった、と米政府のレポートにかかれてあります。 http://scr.bi/pe6iu0 ☆とにかく帝国日本政府の下で国民o

2011-08-11 15:14:25
モーリー・ロバートソン @gjmorley

書きなおし 戦前の日本では国民の医療や災害対策はそれほど重要視されていなかった、とレポートは指摘。原爆投下の後は、まったく手付かずの状態が続いていたことに呆れたトーンで書かれてあります。

2011-08-11 15:15:26
モーリー・ロバートソン @gjmorley

東京新聞の「筆洗」コラムの筆者はこのあたりをとことんリサーチした上で「ABCCは被爆者を治療せずモルモット扱いにした」と書かれたのでしょうか?それとも勢いで「原発」と「原爆」を統合で結び「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・フクシマ」と結んだのでしょうか?

2011-08-11 15:17:45
モーリー・ロバートソン @gjmorley

東京新聞「筆洗」に掲載されたの一行「▼広島と長崎で被爆者の診察、検査をした米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)は治療を一切しなかった。死者の臓器は米国で放射線障害の研究材料になった。まるでモルモットだ」をその後、リサーチし続けています。 http://see.sc/JzpacJ

2011-08-12 13:34:18
モーリー・ロバートソン @gjmorley

◯GHQ占領中は米国人医師でも日本で医師免許をペーパー・テストにより取得する方法があった。その後 ,厚生省が難色を示したためこの制度は廃止 ◯ABCCでは米国人医師が日本の医師免許を持たないため、治療をすることが日本の法律で許されなかった。

2011-08-12 13:41:51
モーリー・ロバートソン @gjmorley

◯したがって日本人医師が被爆者を治療する際に立ちあってアドバイスをするという建前を取った。 ◯治療が困難な場合は頻繁に日本人医師がABCCに勤める医師たちの助けを借りていた ◯ABCCに派遣された米国人医師たちは慈悲の心に満ち、被爆者の救済を手伝おうとしていた

2011-08-12 13:43:25
モーリー・ロバートソン @gjmorley

以上が現在調べた結果です。同コラムにあった「死者の臓器は米国で放射線障害の研究材料になった」については、根拠となる文献が提示されていないので、筆者に公開していただきたいところです。8月7日にわざわざ「モルモット」という言葉を使いたいがために書かれたコラムに思えてなりません。

2011-08-12 13:45:33
モーリー・ロバートソン @gjmorley

反米・反戦の思い出と反核の感情をまず誘導し、それに抱き合わせで反原発を主張するのは、どう見ても根拠や論証データに乏しい活動家の説得手順です。脱原発に向けて「再生可能エネルギー特別措置法案」を通せば、それでいいのか。

2011-08-12 13:48:02
モーリー・ロバートソン @gjmorley

深夜のライブ前にデブ解消でハタ・ヨガのクラスに行かなきゃいけないのにABCCネタで足を引っ張られて不愉快千万だ。この機会に被爆したという事実、それへの感情論、ついでに原発も「ノー」という感情論、実際のABCCに職員も知らなかった秘密の裏側があったのか、を分けて考えたい。

2011-08-12 14:31:56
モーリー・ロバートソン @gjmorley

「日本に原発建設が許された理由は、日本を核兵器の前線基地にするためだった」みたいな、信じたい人から先に信じる陰謀説もそのうち新聞で堂々と漂い始めるのだろうか?ジャーナリズムってもっと人を考えさせる媒体だと思っていたんだけど、落ちたね。残念ですよ。

2011-08-12 14:33:20
モーリー・ロバートソン @gjmorley

東京新聞の「筆洗」(なんて読むの?ふであらい?ひつせん?ぴつぜん?)コラムとは因縁の対決が巡ってきているような気がします。ゆっこさんが仕事を度々した井上ひさし氏、そしてモーリーの父親が医師として8年間赴任した広島のABCC。ジャーナリズムとは何か?を考える機会にもなりました。

2011-08-13 14:12:36

子供の頃のABCCの記憶

m.furuTa (ウルビア大好き) @teatree_ft

父親がABCCだったことが彼の思考をねじ曲げたのかなと言うのは邪推だろう。しかし、J-WAVEで語っていた頃の彼は今はいない。 RT @magicalmako: たしかに CIAではないかもしれないw

2012-05-28 00:15:51
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓ CIA工作員やABCCのドグマにあたる思考が入る余地がないほど、日本語の塾通いと受験で精一杯でした。黒船とペリーさんに始まる、日本を中心とした世界観・歴史観に思い切り染まり、反米でしたよ。 RT @teatree_ft 父親がABCCだったことが彼の思考をねじ曲げたのかな

2012-05-28 12:39:28
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓ABCCに父が勤めていた件で少し付け足します。戦後20年以上が過ぎていた1968年に循環器系内科の研究医だった父が志願して連邦政府からABCCに派遣された背景には、日本の被爆者を救済したいという志があったからだと思います。ソ連との核戦争の危険性も落ち着いた時代でした。

2012-05-28 13:04:11
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓ 終戦直後に「モルモット扱いをされた」と東京新聞が主張するようなことがあったのかないのか、ぼくには検証できません。ですが、子供ながらにABCCに勤めていた大人たちの平和に貢献しようとする情熱は感じ取っていました。

2012-05-28 13:06:18
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓ 岩国の米軍基地に住む子供たちには、地元の日本人を卑下する傾向がありましたが、ABCC研究員の子供たちは広島の文化に同調し、お互いに英語と広島弁を一体化させて会話していたぐらいです。これは当時のインターナショナル・スクールの同級生たちも証言できるところです。ぼくらは広島人でした

2012-05-28 13:07:27
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓ぼくはインターナショナル・スクールをやめて自分の意思で広島の公立小学校に転向しましたが、このきっかけとなったのは、インターで日本語の会話が禁止されたことでした。子供たちがあまりに広島弁をしゃべり過ぎるので、英語の学習の妨げになる、と学校側に判断されたのです。

2012-05-28 13:08:55
モーリー・ロバートソン @gjmorley

↓その結果、漢字が読めない状態からかなりの試練を経て4文字熟語で温故知新、色即是空、春はあけぼのやうやうしろくなりゆく、もののあはれで現在はバイリンガルになっています。ABCCで育った子供たちの多くは、大人たちの情熱と厳格な研究姿勢、そして希望を見て育ちました。日米の架け橋です。

2012-05-28 13:16:24