高橋名人の昔話

ところで、フォローも4000人を越えることが出来ましたが未だに、どんな事つぶやいていいのか分かってません。みなさんは、ゲームの思い出話でもいいでしょうか?
2010-02-07 11:58:41
@meijin_hu 一度ご本人に聞いてみたかったのですが、この辺に書いてあることは大体合ってるんですか? http://bit.ly/PlC5R
2010-02-07 12:01:02
細かな部分でちがうところもあるけど、ほぼあっているかなとおもいますよ。しかし私が知らない事もあるので面白いです。(w@masakiteru 一度ご本人に聞いてみたかったのですが、この辺に書いてあることは大体合ってるんですか? http://bit.ly/PlC5R
2010-02-07 12:03:08
最初は、ハドソンのPCの時代から話していこうと思います。私が入社した82年は毎月20作品くらいのタイトルを出していました。それを思いっきり買えて、年間に数本にしていこうと決めたのですが、その第1弾がデゼニランドでした。
2010-02-07 12:05:46
このデゼニランドを作る前に、千葉のあそこに、全社員で遊びに行ったのですよ。当時は、全社員がパロディ映画が好きで、帰ってくるなり、これで作ると面白いだろうという事で作ったのです。ジャンルは当時流行っていたアドベンチャーにしたのです。
2010-02-07 12:07:21
この頃は、解答を選ぶのでは無くて、キーボードから入力していくので、英単語が思いつかないと先に進めなかったのです。が、その単語は、中本さん式の英語だったので、他のスタッフでも分からないのがありました。
2010-02-07 12:08:44
一番難解だったのが、十字架を棺桶にはめ込むという意味の単語でした。putなのかinsertなのか悩んだのですがわからずで、聞いてみたらattach(attacheかな?)だったので、質問多いだろうなと思ってました。
2010-02-07 12:11:20
まぁ、あいろいろあったデゼニランドですが、これはかなりの本数売れたのですよ。今でももう一度出して欲しいという声は多いのですが、さすがに出せません。(笑
2010-02-07 12:17:37
ちなみに、この頃の描画は、ラインとペイントでした。まず、画面に戦を引いていき、イラストを書いていきます。その後に、その中を塗っていくのですが、1枚描かれるのに、時間が掛かってましたね。でも、その作業を見ている事が楽しかった時ですね。
2010-02-07 12:19:07
このデゼニランドの基本ストーリーは、埼玉県に建設されたデゼニランド(出銭ランド)に隠された「三月磨臼(みつきまうす)」を見つけ出す事でした。
2010-02-07 12:27:33
@meijin_hu ハドソンに入社したキッカケは社長が元気いっぱいの大声で生鮮食品を紹介する名人に一目惚れしたとどこかで聞いた(読んだ)のですが真相は?
2010-02-07 12:33:39
ちょっと違っているのは、面接に行った時に、私の事を覚えてくれていたのですが、そのきっかけが店頭販売でした @mmmizo @meijin_hu ハドソンに入社したキッカケは社長が元気いっぱいの大声で生鮮食品を紹介する名人に一目惚れしたとどこかで聞いた(読んだ)のですが真相は?
2010-02-07 12:35:18
このデゼニランドが発売になったのは、83年です。この年の9月頃に、副社長がファミコンを買ってきたのです。その画像を見てみんなでビックリしました。だって、パソコンの数分の1の値段で、パソコン以上の画像が出ていたのですから…
2010-02-07 12:32:31
単に出来なかっただけです。 @skicco @meijin_hu デゼニワールドって何度も発売延期になった記憶があるのですが当時何があったのでしょうか?
2010-02-07 12:35:52
その83年の頃、N社からS社経由で、ファミリーベーシックの開発を依頼されていたのですが、さすがにゲームを出すという話しには至っていませんでした。なので、この時画面を見た事が、FCでゲームを出す一番のきっかけになったと思います。
2010-02-07 12:37:19
この頃のPCは、Bugが出てもメディアを書き直すだけで修正できましたけど、FCのROMは、そうもいかなかくて、出すにはかなりの気合いが必要でした。副社長からは、失敗したら倒産するぞと言われていたのです。それで、その当時人気のあったロードランナーを1作目に選んだのです。
2010-02-07 12:46:19
先ほどのFC版ファミリーベーシックですが、最初、N社はS社に依頼していたのですが、S社がHuを紹介してくれたのです。それまでに、S社のパソコン用にHu-BASICを作っていたからなんですが、それがとてもいい結果になりました。
2010-02-07 14:16:28
ちなみに、私のFCに関する一番最初の仕事は、このファミリーベーシックの解説本を作ることでした。 「ファミリーコンピュータ・ファミリーベーシックのわかる本」です。
2010-02-07 14:17:20
「わかる本」書くために、プログラムを20本書いたのですが、途中でベーシックのバージョンが変わって大変でした。本のプログラムリストは、プリンターが無かったので、タイプライターを買ってきて、入力していったんですよ。
2010-02-07 14:26:02
最初のファミリーベーシックは、2バージョン出ていたので、最初のに合わせると、次のバージョン様に作ったプログラムが動かなかったので、両方で動くようにする改造に、割と手こずりました。
2010-02-07 14:29:48
これって、当時は写植だったのですが、自分で入力していった方が、その場で間違いが分かるので良かったからです。 @meijin_hu 本のプログラムリストは、プリンターが無かったので、タイプライターを買ってきて、入力していったんですよ。
2010-02-07 14:31:59
83年の秋を過ぎた頃に、最初のゲーム「ロードランナー」と「ナッツ&ミルク」を作り始めたのですが、なぜ2作出したかというと、不安で一杯だったからです。ロードランナーは、それまでに他機種で出てましたからね。なので、押さえとしてナッツも出したのです。
2010-02-07 14:38:44