memo: 三浦英之・朝日新聞記者の原発と震災…“メディア、ジャーナリストの責任”

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切り取り線 @kiri_tori

✄------------ 6/30(日) -----------✄

2013-06-30 00:00:00
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

明日福島入りすることになり、1日下準備に追われる。震災後は初だが、震災前は何度も通った。すべて原発がらみ。社会部から新潟に赴任した直後に中越沖地震が起き、柏崎刈羽原発が火を噴いた。以後チームを率いて2年間連載を続けた。タイトルは「原発震災」。当時は原発にかなり詳しい記者だった。

2013-06-30 20:53:36
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

福島では原発立地自治体をまわり、首長のインタビューや同行ルポをした。交付金や寄付金を洗い、いびつな立地構造の解明を目指した。震災後、元朝日新聞記者の烏賀陽弘道さんが「なぜ三浦記者は福島に入らなかったのか」と雑誌か何かで指摘した。心ないメールや封書を数通もらったが、反論できなかった

2013-06-30 21:05:48
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

なぜ福島に入らなかったのか。一つは宮城が壊滅していたからだ。4年間過ごした初任地で何人もの顔が頭に浮かんだ。「書ける」「俺しかいない」という傲慢さに似た使命感もあった。その一方で私はどこかで楽観していた。「日本の原発に最悪はない」。それが2年間の取材結果だった。

2013-06-30 21:11:25
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

甘かった。でもそれが当時原発に関わっていた人の共通した認識ではなかったか。だから私はあの時菅直人首相が取った行動を個人的には評価している。「全面撤退」を耳にした彼が東電本社に乗り込むという奇抜な行動を取らなかったら、この国はどうなっていたか。東電もメディアも甘かったのだ。

2013-06-30 21:21:52
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

原因は結果に直結している。今の福島がある原因はその病巣を追及してこなかった我々メディアの責任でもある。学者が偉そうなことを言っているのを見ると腹が立つ。「我々」はこれまで何もしてこなかったじゃないか。現場には今も張り付いて取材している記者がいる。まずは彼らの話を聞いてみようと思う

2013-06-30 21:32:38

cf.

烏賀陽 弘道 @hirougaya

この本の筆者、三浦英之記者だって、柏崎刈羽原発事故の取材経験があるのに、なんでわざわざ福島ではなく南三陸に配置しているのか、さっぱり意味がわからない。もったいなすぎるのだ。記者の特性を無視している。>>> 南三陸日記 三浦英之 http://t.co/QNnWlXM3

2012-04-03 02:44:57
ITmedia @itmedia

[Business Media 誠]さっぱり分からなかった、3.11報道(5):原発報道、なぜ詳しい人が書かなかったのか http://t.co/chSn6qiP

2012-08-01 08:20:19

三浦英之記者が震災後書き続けたこと

三浦英之氏著 『南三陸日記』 

三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

南三陸ホテル観洋の女将から、震災風化を防ぐために小著『南三陸日記』を売店に並べたいという申し出。ありがとう、女将さん。本当にありがたいです。自戒のために読み直す。冒頭の一節を記します(以下、長いので読み飛ばしてください)◇

2013-06-28 23:23:29
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

遺体はどれも一カ所に寄せ集められたように折り重なっていた。リボンを結んだ小さな頭が泥に顔をうずめている。木枝を握りしめたままの30代男性がいる。消防団員が教えてくれた。「津波は引くとき、川のようになって同じ場所を流れていく。そこに障害物があると、遺体がいくつも引っかかってしまう」

2013-06-28 23:25:10
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

遺体は魚の腹のように白く、ぬれた布団のように膨れ上がっている。涙があふれて止まらない。隣で消防団員も号泣していた。震災翌日から現地に入り、18日間取材を続けた。最初の数日はまともに記事が書けなかった。目の前の惨状に何がニュースかわからなくなり、気がつくと空ばかり見上げていた。

2013-06-28 23:26:22
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

「なぜ、こんなにも多くの人が」。がれきの中を歩くたびに、怒りと悲しみに満ちた疑念が胸に押し寄せた。被災地では土砂にまみれた時計の多くが地震の起きた午後2時46分ではなく、午後3時20分前後で止まっている。多くの命が奪われたのは地震発生の直後ではなく、おそらく約30分後のことなのだ

2013-06-28 23:28:12
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

そう思う度に、胸が張り裂けそうだった。「30分」は決して長くはないが、何かしらの対策を講じることができた時間だからだ。その与えられた時間を有効に使える対策や手だてを、私たちは事前に準備することができていただろうか。答えはたぶん「ノー」だろう。

2013-06-28 23:29:22
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

今回の津波では海沿いの病院でたくさんの人が亡くなっている。多くの人が車で移動し、避難所さえも津波にのまれた。私たちが真っ先に取り組むべきこと。それはあの30分に人々がどう動いたのかを克明に記録検証することだと私は思う。それを新しい国の仕組みにいかした上で、後世に語り継いでいこう。

2013-06-28 23:31:43
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

高齢者や障害者を災害からいかに守るのか。いざという時に正しく動ける知識と勇気を、子どもたちにどう身につけさせるのか。そのためには何よりも、あの30分の教訓と反省が必要だ。悪夢は今も続いている。多くの人が今もがれきの中をさまよい歩くこの国でできるだけ多くの記憶と言葉と映像を残そう。

2013-06-28 23:32:33
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

それが生き延びることができた私たちの、最大の使命だと感じる◇  あの頃感じた胸の思いを、今の私はしっかりと心につなぎとめているだろうか。気持ちを入れ直して、被災地に向かおうと思います。

2013-06-28 23:36:57

“新聞”というメディアで

三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

今、新聞は「書きやすい事実」で埋め尽くされている。私もそうだった。「書きにくい事実」には時間がかかるし、相応の覚悟を必要とする。吐きながら苦しんでいる人を取材するよりも、明るい復興の話題の方が読者にも被災者にも「希望」を与えられると逃げてきた。でも実際はそうじゃない。

2013-06-29 23:00:28
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

取材してみるとよく分かる。悲しみなんて癒えていないし、多くの人が「前向きに生きよう」と努力しているだけだ。新聞社の末席に籍を置き、何ができるのか考える。格好つけじゃない。彼らは私にとって、なくてはならない人になっているし、私も彼らにとってそうなっていると信じてもいるから

2013-06-29 23:12:30
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

夕方、仮設で暮らすH夫妻からクール便で「子持ちメカブ」の瓶詰めが届く。夫妻は津波で家と母を亡くした。それでも「津波がなかったら三浦さんに会えなかった」と伺う度にご馳走を振る舞ってくれる。「ほら、どうしても食べさせたくてさ」と電話口。私はなんて幸せなのだろう。そして無力なのだろう

2013-06-29 23:22:37
三浦英之 「太陽の子」に新潮ドキュメント賞 @miura_hideyuki

別に新聞批判をしているわけではなく、メディアの将来を悲観してるわけでもない。ただ「難しい」ということを理解してほしいのです。震災直後1年間現地に駐在した私でもそう。被災した人々をさらに傷つけることはできない。そのなかでプロとして何を伝えられるのか。今日はここら辺にしておきます

2013-06-29 23:42:21

三浦英之記者と宮城、南三陸。そしていま