飯舘村〜迫られた選択〜(明日へ 証言記録「東日本大震災」より)

6月30日に放送されたNHKの番組より、書きおこし。「深刻な放射能汚染にさらされた飯舘村。村長は豊かな生活を守るため村にとどまろうと奔走する。その一方幼い子どもたちの避難は遅れた。生活か命か、村の苦渋の選択を描く」
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まどママ @mama_jp
明日へー証言記録「東日本大震災」飯舘村〜迫られた選択〜の録画を観る。
村と住民の深い溝
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ナレーション「飯舘村は今も全村避難を強いられています。先月行われた住民説明会。村と住民の間には深い溝があります」住民「除染ができるんだかできないんだか、それをいつまでもヘビの生殺し状態で置かれたらこっちは酷いんです。ストレスたまって」
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住民「子供いる親は帰らない。子どもが帰るなら体育館も直す。学校も直す。子どもが誰も帰らないのに直して意味があるのか」村長「誰も帰らないということがありえるのかどうか。学校はやめましたから飯舘村の学校は直しませんということはは役場が言う話ではないと思ってますので」
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ナレーション「村と住民を分断した長い避難生活。深い亀裂が生まれたきっかけは2年前、全村避難に至る道のりにありました」ー2011年3月15日。飯舘村に高濃度の放射性物質が降り注ぎました。村長は避難するよりも、村に留まり、なんとか住民の生活を守ろうとしました。
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村長「ゴーストタウンにはできないな。潰したら終わりだな。そう簡単に復興できないな」ナレーション「しかし、村に留まる危険性を指摘する学者は、村外に避難するように訴えました」
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(映像に当時村長宛に送られた文書。2011年3月29日付で代表:糸島浩司(日本大学生物資源か学部教授)NPO法人エコロジー・アーキスケープより「学校等の開校を遅らせ、子どもたちの健康、安全を守るために、子どもたちの避難の検討をお願いします」と。
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村長「どこに行けばいいんですかということです。どこに家があって、どこに職場があるんですか。全部対応してくれるんですか、ということなんです」ナレーション「一方、避難が遅れたことで、多くの子どもたちが村に残されました
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母親の女性「みんな逃げろっていう指示があれば職場も閉鎖じゃないですか。仕事場はやっている。そこで私たち逃げてったらどうなるのっていうことですよね。逃げるか逃げないかってなったら、逃げれなかったですね」別の女性「村の存続も大事だけど子どもたちの命がなくなれば、村の存続はありえない
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ナレーション「全村避難が完了したのは原発事故から3ヶ月後でした。逃げるべきか、留まるべきか、苦渋の選択に迫られた小さな村の記録です」
2011年3月11日からの数日
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飯舘村は山間に広がる人口6200の村。米と高原野菜の栽培、さらに牧草から育てた飯館牛で有名。丁寧につつましく暮らす『までい』な暮らしをめざし、独自の村作りをすすめていた。2011年3月11日、巨大地震によって発生した大津波が福島第一原発を襲う。翌12日一号機が水素爆発
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災害対策本部で陣頭指揮にあたった村長「爆発が起きたということをテレビで見ながら『大変なことになったな』という感じは持っていましたけど、それが飯舘村にそんなに影響があるとは瞬間的には思わなかった訳ですね」
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避難指示が出た原発周辺の市町村柄1200人を超える避難者が押し寄せ、村はその対応に追われていた。震災を機に防災担当になった役場職員の杉岡さん。大学院時代、原子核物理を研究していた。3月14日、県に依頼を受けた専門家が放射線量を計測するモニタリングポストの設置にやってきた。
3月15日。モニタリングポストに異変。
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杉岡さんは1時間ごとに計測し、県に報告することに。異変が起きたのは翌15日。数値が急上昇したのです。杉岡さん「いきなりどんと100倍近く上がった訳ですから、これは異常だということですぐ県に電話で報告して線量が急に上がった、どうするんだという話は聞きましたね」
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この日の朝、二号機が損傷。放出された高濃度の放射性物質が、風に乗って北西にある、飯館方面に運ばれていたのです。午後6時20分、44.7μSvを計測。これは、一般人が年間に許容する1mSvの限度に、一日で達する数値でした。
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杉岡さん「県の方に、避難は出せなくても、屋内退避なり指示は出せないのかと、かなり私怒鳴り声で電話しましたけど、県の方としてはそういう指示は今出せませんというか「無いです」という言い方だったと思いますけど」
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杉岡さんはすぐに災害対策本部に戻り、村長に高濃度の放射性物質が村内に及んでいることを伝えた。
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杉岡さん「『今、村長座っているその頭の後ろから放射線を浴びて被爆しているんですよ』というとこは言いましたね。だけど村長は何のことだと、何にも俺は感じないぞという感じで、一言もしゃべらなかったし、だから何?という状況であったのは間違いないですね」
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3月15日、事態の悪化に伴い、政府は半径20kmから30kmの範囲に新たに屋内退避の指示を出した。枝野官房長官(当時)「20kmを超える時点では、相当程度薄まって、身体への影響が小さい、あるいは無い程度になっていることが想定されておりますが万が一にも備え…」
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深刻な放射能汚染にも関わらず、飯舘村の大部分に、指示が出ることはなかった。飯舘村の災害対策本部では若い職員から不安を訴える声。「避難者の対応に終始しているが、村民の命を守ることを優先させるべきではないか」「村民と職員の命をどう守るのか」「国の指示を待たず、村として独自に対策を」
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しかし、村長はこの状況で避難を呼びかけるのは、住民にあまりに大きな負担を強いることになる、と考えた。村長「畜産の村ということでやってきて、かなりの人たちが多く飼っている。1頭、2頭飼いも含めてあるわけですから、そこをどうするという話は、さあ明日行ってくださいという場合に(続
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そこをどうするんだという、間違いなく私は、2、3日で帰ってくるなんていう風には思ってませんからね、それは、避難した場合には。国が避難しろと言っていない限り、避難は今のところしない、とこういうことだと思います」
ある住民の声。
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コメント

まどママ @mama_jp 2013年7月3日
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