〈自己犠牲〉や〈善意のアドバイス〉が相手を苦しめているとしたら…

“知り合いがされていたアドバイスの中には、知り合いがとっくに調べて実行しているものもあったし、気持ちとしてはやりたくとも色々な事情で実行を諦めているものもあった。アドバイス屋さんは「頑張らせよう」とするんで、そこが辛かったんだと思う。”
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胸すか @Munasuka
言葉がきついんだよみんな。悪口なんかにセンス使わずに、「あいつウザイ」っていうやんわりとした否定で十分なのに。
maria/安倍 茉里/sabrina/ @marianna_ave
正当性や説得性をもたせようとすると、きつくなる(そうきこえる)ってのはあるだろうなあ。って、これはいかづら氏の「悪口論」で詳しく記述されるはず…!!!
maria/安倍 茉里/sabrina/ @marianna_ave
「好き」にも「嫌い」にも理屈なんかない、あってもどうせ全部後付だ   っての、結構好きなんだよね。でも、誰かに言うときって何故か理屈をつけないといけないような気分になったりね。いや、私がそうだって話なので、誰かをdisってるわけじゃないです。
倉泉遼 @B_Rein
誰でも好き勝手批判する権利はある。それは確かにそうなんだけど。うーん。
倉泉遼 @B_Rein
そう……足を引っ張るためじゃなく、応援のために、何ができるのか。その中で批判すべきこともある。その批判の権利は誰にでもある。
倉泉遼 @B_Rein
批判の質の良し悪し。応援したいのなら質は高めるべきで、単に厳しいだけでは甘い。でもそれは、批判の権利がある事実は妨げない。……難しいなぁ。それなりに大きなものを応援すれば敵も大勢出てくるし、応援仲間の質の悪さを話し合って改善できればいいけど、周りを馬鹿にしきってる人も居るし。
倉泉遼 @B_Rein
応援されたら、普通は嬉しい。声出して応援されれば尚更だ。応援は自己満足が根本かもしれないが、その自己満足で少しでも相手の力になれれば、最高じゃないか。いかに「自己満足」を「相手の助け」に変換できるか、が、応援なんだろう。助けるのが応援だ。
倉泉遼 @B_Rein
でも、応援のために相手の「周り」を悪く引き立てるのも、歪みを招くのかもしれない。周りが悪いだけ、と言ってしまったら、本人の努力そのものは影響しないことになる。そうでなくて、努力を少しでも助けるような応援を注げば、意味があるのかもしれない。
倉泉遼 @B_Rein
かつて、野球の阪神ファン……と言っていいのか、一部の人が、応援のつもりなのか、選手をひたすら持ち上げて、周りをひたすら「お前の良さをわかってない」みたいに言うことで、深いぬるま湯に漬けてしまったらしい。そのせいで選手はまっとうな努力ができなくなっていく。これは「応援」にならない。
倉泉遼 @B_Rein
応援のためには、「相手のため」と「自己満足」のすれ違いに気を付けないとならない。最終的に「自己満足」が勝って、相手の努力を間違えさせてしまったら、「応援」としては質が悪いと言える。立場云々でなく精神的に、まず相手が自立していて、自分はそれを応援で支える関係である、のが良いのかな?
maria/安倍 茉里/sabrina/ @marianna_ave
「助ける」って、人によって意味が違ったりするからなあ。
maria/安倍 茉里/sabrina/ @marianna_ave
本読ませようとして本買ったって、「買ってもらった本」なんて読む気にならなかったりする。私もそう。お仕着せは嫌い。そのくらいなら図書券でも貰ったほうがいい。でも、図書券が欲しいわけでもないんだ。「あなたに本を読んでもらいたい!」で押しかけてこなくてもいいというか(元から読んでるし)
倉泉遼 @B_Rein
相手を自立させず、自分の協力ありきの関係ってのは、実はあまりよろしくないよな。だって「自分」だけで相手を支えてる状態なんだから。そうでなく、「相手」と「自分」のそれぞれが、「相手」のために動けるのが一番、相手にとって助けになる。いかにも「協力してあげた」って雰囲気なのは良くない。
倉泉遼 @B_Rein
自己満足を充実させることそのものは、人間の本質だし、悪いことではないどころか良い面さえ多分に含んでいる。問題は、その「自己満足」が他人に(良くも悪くも)影響を及ぼす時、だよな。
倉泉遼 @B_Rein
相手にとって「余計なお世話」な支援、というのもあるから、ただ自分の身を削って相手に何かを与えれば「応援」になるとは限らない。もちろん、押し付けがきっかけになって相手が躍進することもあるだろうけど、どんな相手にも押し付ければいいわけではないし。
ぱぱ☆vip @papavip
今、マンガだけ読んでても普段生活してて手に入らない範囲の色々な知識が相当手に入るよね。それこそ「映画を見ろ」みたいなことよりは「マンガを読め」の方が知識だけなら多く入れられるようになってると思う。
倉泉遼 @B_Rein
今の時代は、ネットや書籍の充実もあって「他人の知識や経験」を「自分の知識」にできる側面が非常に広くなってるから、自分自身が「経験」する理由はあまり大きくないよね。肝心なのは、必要な「知識」を得る手段と、その「知識」を有効活用できる状態に自分を持ってくことであり。
倉泉遼 @B_Rein
当事者と同じ立場に立ったことが無ければいけない……なんてことはまったく無い。スポーツにせよ、創作にせよ。「経験」というものは、ただ「一種の知識」でしかない時代だ。もちろん、その経験があってこそ上手くいく場面もあるが、そうでない「知識」を活用して結果を出すこともできるようになった。
倉泉遼 @B_Rein
つまり机上で組み立てる理論の質を、「空論」でないレベルにまで高めやすい時代になった。だからこそ、空論を振りかざす人も多いのだが、だからこそ、立派な理論を持つことのできる人も多くなる。
(*´ω`σ)σ*。:゚[のえる]゚。+ @Lie729nico
自分の身を削って相手に与えれば応援にはならない、の部分、いいなと思ったと言うか参考にしたいというか。たまたまついったー開いたらだるまがいいこと書いてたので!>RT
倉泉遼 @B_Rein
@Lie729nico わりと自分でも間違えそうなところは、こうしてはっきりと言っとかないと後々やりそうだしねw
(*´ω`σ)σ*。:゚[のえる]゚。+ @Lie729nico
@B_Rein うむ。ついつい相手のことを思うあまり自分のことおろそかにしちゃったりするもんね(´・ω・`)あたしもそれで何回怒られたことか…気を付けねば!
倉泉遼 @B_Rein
@Lie729nico 自己犠牲で支援されても、される方は遠慮しちゃったりするし、まぁそもそも犠牲があるから効果が約束されるわけでもないしね。お互い気を付けよう!
maria/安倍 茉里/sabrina/ @marianna_ave
リアル知り合いに対して、善意のアドバイスを会う度(週一以上)にくれる知人ってのがいて、その知り合いはノイローゼみたいになって、知人と会う機会のある場所(長らくそこに通っていた)に行けなくなった。知人は知り合いを助けようとしてアドバイスしてた。どっちも善意でやってるんだけどなぁ。
maria/安倍 茉里/sabrina/ @marianna_ave
アドバイスする方は懇切丁寧に毎回フルコースで説明するし、受けるほうはいい加減に聞き流したり反論することができない性格だった。どちらかがズボラだったらこんな風にはならなかったのかなぁと、何度か思った。どっちも善意なんだよね、それが傍目で見ててもわかるだけに。
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コメント

犬山しんのすけ @shinnosuke_inu 2013年7月2日
人様にアドバイスしているつもりで、単に現実逃避してたバカ野郎を思い出しました。ま、見捨てましたけどね。その分、自分がどうするか、自戒を込めて読みました(・ω・)ノ:
高橋雅奇 @TakahashiMasaki 2013年7月2日
地獄への道は善意でほそ(ry  (←あまりにもありきたりすぎる
marumushi @marumushi2 2013年7月2日
「お前の為を思って言ってるんだ」という言葉が出たら、早急にその相手とは可能な限り距離を取るべき
もふもふ とろろ @mx_mofmof 2013年7月3日
つまり、喜捨。所有権が留保されているような善意なんて胡散臭すぎる。
もふもふ とろろ @mx_mofmof 2013年7月3日
最初の文が変なので訂正。→「つまり、善意は喜捨たるべし。~」