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「神道には『教え』が無い…?」について(神主・神道学者による)

「神道はなぜ教えがないのか」という本が島田裕巳によって書かれましたが、こうした本に代表される「神道には教えが無い」という文言に対する、神主・神道学者でいらっしゃる方による異論・批判と、それにかかわる興味深い対話をまとめました。
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Naka51@神道学者 @genshin01
異論はあるんでしょうが、神道の思想や祭祀を研究する身としては「神道に教えがない」という考え方がどうしても理解できません。なぜから「ちゃんとあるから」です。島田裕巳さんなんかは、本の題名にまでしていますが、罪深いことをしていると思います。
Naka51@神道学者 @genshin01
民俗学の中には、神道否定を旨とする流れがありました。大まかに言えば「国学『だけ』が神道じゃないぞ」風の未開拓フィールド開拓型なら穏当ですが、「国学『は』神道じゃないぞ」風の否定型の人がいたりします。このように神道を学ぼうと民俗学をやると、予期せぬ道があったりします。
浅草大将 @asakusanotaisyo
@genshin01 はじめまして。「神道に教えがない」というのは私にも理解できません。祭祀があればその根底に少なくとも「神を畏れ敬え」という「教え」は存在するはずで、この点には、たとえ原始的なシャーマニズムであっても例外はないのではないでしょうか。
浅草大将 @asakusanotaisyo
神道が「教え」のない宗教だとすれば、何でその神職を養成するため、または少なくともそれを一つの目的として、國學院や皇學館という大学まで設けているのだ?
Naka51@神道学者 @genshin01
@asakusanotaisyo 返信ありがとうございます。「教え」を感じる感性の鈍さ・鋭さがあるように思います。表面的なものからしか「教え」を認識できないとすると問題ですね。島田さんも「教え」を完全否定しているわけではないようですが、とても紛らわしい表現だと思います。
岩崎純一学術研究所(IJAI) @iwasaki_j
@asakusanotaisyo @genshin01 旧社家のご出身の世襲巫女の方々の中に、「シャーマニズム」や「ペイガニズム」といった語が侮蔑用語であった歴史に敏感な方々が多くて驚きます。その場合、「神道は教え・教義・イズムではない」という「言い方」になるようです。
浅草大将 @asakusanotaisyo
@iwasaki_j @genshin01 同時に、岩崎様の指摘点については、私は時折、一部の神道家のナーバスすぎる面を感じます。「単なる」教義やイズムでないのはキリスト教でも同じです。が、そう言い切ると、「神(へ)の道」の途上に自らを止どめることになりはしないでしょうか
岩崎純一学術研究所(IJAI) @iwasaki_j
@asakusanotaisyo @genshin01 シャーマニズム・ネオペイガニズムに憧れる巫女様を時々お見かけするのですが、「神道は、それら“イズム”とも、教えや教義とも違う」という「言い方」を拝見するに、アブラハムの宗教が意識されていることは確かだと思いますね。
Naka51@神道学者 @genshin01
@iwasaki_j @asakusanotaisyo この手の応酬は昔からあるのですが、結局「教え」はあるが、特殊・特定の条件で「教えではない」と言っている…ことが多いと思います。また「○○教のようなdogma(ドグマ)はない」ならわかりますが「教えがない」は眩惑的な気がします
岩崎純一学術研究所(IJAI) @iwasaki_j
@genshin01 @asakusanotaisyo やはりそう思われますか。私も事実上「ドグマ・教義」の意味だと思います。私は、神道とは和歌を通じた交流くらいしかありませんが、いわば「現場」の巫女様がヤマトコトバの「教え」に「ドグマ」を見る意味が分かりませんでした。
Naka51@神道学者 @genshin01
@iwasaki_j 色々なご事情があるとお察し致しますが、その方々自体、無意識に外来語や近代概念の影響を受けているような気がします。仰る通りでして、私としては(やまとことばでいう)教えはあるが、(外来語でいう)ドグマはない!と喝破して頂きたいところです。
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980
@genshin01 dogmaと教えは違うが、神道にはdogmaは無い、解り易くするために、「神道には教えは無い」という表現は正しい、といった趣旨の事を仰る方もいらっしゃいますね。しかしそもそもそういう方々はdogmaとは何かについて本当に「知って」いらっしゃるんでしょうかと続
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980
@genshin01 たとえばプロテスタントでは「dogma(教義)」よりも「doctrine(教理)」の言い方を好み、dogmaの語彙を避ける所が少なくありません。大体キリスト教でも「dogma(教義)」はかなり限定的です。比較しようとするなら、両方よく調べませんと、と…続
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980
@genshin01 そこで伺いたいのですが、 http://t.co/yr2U0utXCW で、正教会における教義は「権威づけられ、疑われたり議論されたりしない教え・信仰を指す」と纏められているわけですが、神道には「疑われたり議論されてはならない信仰」は無いのでしょうか?
Naka51@神道学者 @genshin01
@suzutuki1980 結論から言えばNoということになるかと思います。それは各地で育まれた信仰の総体を「神道」と言い表している歴史的経緯に起因するものですが、仮に「神道」ではなく「神社本庁」や「教部省」と言い換えるとご指摘の「dogma」の存在を指摘できるかと思います。
Naka51@神道学者 @genshin01
@suzutuki1980 例えば戦前の神社行政において神道は「非宗教」でした。これはまさしくdogmaに近似した概念と言えます。ただご質問の真意を察し、各地の神道信仰においてあえて「dogma」に近似する存在を探すならば「みたま」に関する諸理解が挙げられます
金田一輝(俳人) @kanedaitsuki
.@suzutuki1980 @genshin01 カトリックでも「不可謬的であり疑う余地のない」もののみが厳密な意味でのdogmaで、そうでないものをdoctrine、さらに広い概念としてteachingが英語圏では使われているようです。「教義」「教理」「教え」と訳してます。
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980
御教示、ありがとうございます。 QT @kanedaitsuki カトリックでも「不可謬的であり疑う余地のない」もののみが厳密な意味でのdogmaで、そうでないものを @genshin01
金田一輝(俳人) @kanedaitsuki
.@suzutuki1980 @genshin01  あ、いちおう補足しますが、カトリックの本でも常に厳密に使い分けられているということではないです(僕の体験上)。が、カテキズム関係のちゃんとした本であればあるほどそういう区別をしてます。
金田一輝(俳人) @kanedaitsuki
.@suzutuki1980 @genshin01 たとえばカテキズムで「教会は次のように定義し宣言した」なら「不可謬」な教義で、「教会は次のように教えてきた」ならただの「教え」です。
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980
…だとしますと、神道には「ローマカトリック的なdogmaは無い、が #正教 的な意味でのdogmaなら近似するものもある」と言えるのかも…? QT @kanedaitsuki たとえばカテキズムで「教会は次のように定義し宣言した」なら「不可謬」な教義で @genshin01
涼月(Κλήμης) @suzutuki1980
@genshin01 御返答頂きありがとうございます。こういう事でしょうか→「神道は各地の信仰の総体の呼び名であり、全体に共通する"dogma"に近似するものは無いが、神社本庁、教部省、各地個別の信仰においては、近似するものはある。」で宜しいでしょうか。
Naka51@神道学者 @genshin01
@suzutuki1980 左様の理解で結構と存じます。
Naka51@神道学者 @genshin01
@suzutuki1980 @kanedaitsuki 「dogma(教義)」「doctrine(教理)」「teaching(教え)」といった語群の存在を前提に、神道側から考察を加えるならば、この3つに「oshie」を加えて考えたいところです。【続】
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コメント

eternalwind @juns76 2013-07-03 13:07:20
Dogmaとteachを混同してるのでは? そもそも日本語にDOGMAに対で呼応する言葉がない時点で すでに、日本の伝統宗教にDOGMAがないことを明示してるようなものですが。 島田氏がタイトルで「DOGMA」の意味で教えと使ってることを批判したいのかも しれませんが、「なぜ神道にドグマがないのか」というタイトルでは 余計伝わらないと思いますぜ
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