山本七平botまとめ/見えざる法に違反したために罷免され追及された内村鑑三/~「憲法に基づく法的秩序」と「教育勅語の”口伝”的儀式化に基づく秩序」というダブル・スタンダード~

山本七平著『存亡の条件――日本文化の伝統と変容――』/第三章 指導者とその時代/内村鑑三の不敬事件の位置/107頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【内村鑑三の不敬事件の位置】さて、ここで大きな問題が出てくる。 それはまず教育勅語を空洞化すまいとすれば″口伝″化が要請されること、 次にその″口伝″を教育勅語の名で絶対化し得ること、 さらにこの″口伝″を口にする者乃至は著作化し得る者が絶対化されること。<『存亡の条件』

2013-06-07 02:27:37
山本七平bot @yamamoto7hei

②それは、第二章で記したように″口伝″実行化のため″ファリサイ的″儀式化が要請されること。 以上が起こることは、当然の帰結といわなければならない。

2013-06-07 02:57:46
山本七平bot @yamamoto7hei

③というのは教育勅語は、前述のように、いわば伝来の祖先の律法の要約成文化であり、従ってこれは、伝統的思考の枠内ですぐさま″口伝″を発生する要素を当然にもっており、これを防ぐことはできない。

2013-06-07 03:27:37
山本七平bot @yamamoto7hei

④ではこの″口伝″乃至は儀式が、帝国憲法と相いれない場合はどうするのか、いったい、どちらが優先するのかという問題である。 この場合、 一方は道徳律で一方は法である、 という併存が実際にはあり得ない。 従ってこの問題が、教育勅語の発布と同時に起こったのは不思議でない。

2013-06-07 03:57:54
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤有名な内村鑑三の不敬事件である。 この不敬事件は有名事件であり戦後さまざまに″評価″されているが、この問題の最も重要な点を見抜いていたのは、同時代の植村正久であろう。 彼は『福音週報』に次のように記している。 少し長いが、次に引用しよう。

2013-06-07 04:27:39
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥「吾人は新教徒として、万王の王なる基督の肖像にすら礼拝することを好まず。 何故に人類の影像を拝すべきの道理ありや、 吾人は上帝の啓示せる聖書に対して、低頭礼拝することを不可とす、また之をいさぎよしとせず。 何故に今上陛下の勅語にのみ拝礼なすべきや。」

2013-06-07 04:57:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦「…吾人は今日の小学中学等に於て行はるる影像の敬礼、勅語の拝礼を以て殆ど児戯に類する事なりとはいはずんば非ず。 憲法にも見えず、法律にも見えず、教育令にも見えず、 唯当局者の痴愚なる頭脳の妄想より起りて…明治の昭代に不動明王の神符…を珍重すると同一なる悪弊を養成せんとす…」

2013-06-07 05:27:36
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧「第一高等中学校は…氏に勧告して辞表を差出さしめたりと聞く。 勅語の礼拝は、如何なる法律、如何なる教育令によりて定められたる事なるや。 …全く校長其他自余の人々の頭脳より勝手に案出せるものに過ぎざるなり。これが為に教授の職を解くに至る吾人は其の理由を知るに苦しまざるを得ず」

2013-06-07 05:57:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨「勅語の拝読を慎むは権威を重ずるの趣意に出しことならん。学校の秩序を保ち、慎重従順の風を養成するの結構ならん。 其の策の得失は吾人之を論ぜず。 然れどもこの一事に重みを置き、之が為に一人の教論を免ずるに至る程に熱心なる学校は、何故に生徒のモッブ然たるを不間に置くや、」

2013-06-07 06:27:37
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩「何故に壮士的の運動をほしいままにせしめたるや、何故に秩序をみだるの行を容赦するや、何故に生徒を恐れ、生徒の意を迎ふるに汲々たるや。 吾人は当局者のためにすこぶる之を惜まざるを得ず。 其の自家撞着(じかどうちゃく)の甚だしきに驚かざるを得ざるなり。」

2013-06-07 06:57:50
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪この一文は、憲法に基づく法的秩序と教育勅語の″口伝″的儀式化に基づく秩序という二重基準(ダブル・スタンダード)の存在を証明している。 内村鑑三は、「輸入された法体系に基づく外装的な法」すなわち植村のいう憲法、法律、教育令には全然違反していない。

2013-06-07 07:27:41
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫しかし現実問題として彼は何か決定的な「見えざる法」に違反し、そのため実質的には「モッブ化」した学生の圧力に追われて学校から追放された。 否それどころか、広い日本に身を置く処がなく餓死さえ覚悟した。 その情況は、気の弱い人間なら自殺したであろうと思われるほど酷いものであった。

2013-06-07 07:57:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬事実、彼の妻は、この事件のため死んだのである。 それほどの″処罰″を受けながら、では彼が何に違反したかとなると、誰も明示しえない。 従って、植村の言葉には誰も反論できない。 しかし反論できないからといって、彼を追った″何者″かが、植村の議論に承服したわけではない。

2013-06-07 08:27:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭…ここで明らかに示されているのが、教育勅語発布に基づき「校長其他自余の人々の頭脳より勝手に案出したる」本質的には「運動会等の申合せと毫も〔註:全く〕異なる事なき」申合せが、憲法より、法律より、教育令より優先して、一教授を実質的に罷免でき、かつ徹底的に追究できたという事実である。

2013-06-07 08:57:49
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮そしてこの勅語への″口伝″は修身として義務教育となり、また井上哲次郎はじめ多くの人が「御謹解」を書き、ちょうど宮本委員長がいうように「これを訓詰(くんこ)の学」として空洞化せず、その成果を現実に生かす形で、国民の全部を拘束してきた。

2013-06-07 09:27:45
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯そしてこうなった場合、明治憲法のうち、教育勅語″口伝″に違背すると見られる部分は、実質的に死文化されて不思議でない。 井上哲次郎は、『勅語衍義』『教育と宗教の衝突』でキリスト教と教育勅語が相いれないことをはっきり記している。

2013-06-07 09:57:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰これを推し進めれば、明治憲法に最小限の保障を得ていた「信教の自由」すら、死文化できることはいうまでもない。 そしてこの状態の招来は、俗にいわれるように明治憲法が不完全だったからではない。

2013-06-07 10:27:47
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱論理的にどのようにつじつまを合わせた憲法をつくろうと、たとえばそれが戦後の新憲法と同じものであろうと、それははじめから関係のないことである。

2013-06-07 10:57:54